小津映画を象徴する 伝説的大スター原節子
小津安二郎監督との出会いそして謎の引退
原節子が映画スターとして不動の地位を決定づけたのは、やはり父を残して嫁いでいく娘を好演した『晩春』(49)でしょう。
ここで彼女は初めて小津安二郎監督作品に出演しますが、小津監督自身、ここで小津調と呼ばれる独自のスタイルを確立させるとともに、以後『麦秋』(51)『東京物語』(53)『東京暮色』(57)『秋日和』(60)『小早川家の秋』(61)といった作品群に原節子を起用し、小津映画の象徴となっていきます。
なお49年度の毎日映画コンクールで、彼女は『青い山脈』『晩春』『お嬢さん乾杯』を対象作に女優演技賞を受賞。
51年度も黒澤明監督『白痴』(51)、成瀬巳喜男監督『めし』(51)、そして『麦秋』の演技で毎日映画コンクール女優演技賞、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞しています。
ちなみに『麦秋』の撮影中、原節子と小津監督が結婚するといった噂が取り沙汰されるようになり(もちろん根も葉もないデマ……のはず⁉)、これが彼女にとって初の、そして唯一のゴシップとなりましたが、こういったところから“永遠の処女”と映画ファンの間で謳われるようになっていったようです。
51年9月より再び東宝専属となって以降は(そう、意外にも彼女は松竹専属だったことが一度もないのです!)、『めし』『山の音』(54)『驟雨』(56)『娘・妻・母』(60)といった成瀬巳喜男監督作品や千葉泰樹監督の『大番』シリーズ(57~58)、稲垣浩監督による東宝映画1000本製作記念超大作『日本誕生』(59)では天照大神を演じました。
こうした活躍の中、原節子は稲垣監督の『忠臣蔵/花の巻・雪の巻』(63)を最後に、42歳で芸能界を引退。
以後、表舞台に出ることは一切なく、マスコミともファンとも一切交流を図ることはなく、現在に至っています。
引退の理由も明らかにされていません。
しかし、そういった神秘性が彼女を永遠のスターとして強く印象付け、伝説として語られ続けているのも事実でしょう。
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(文:増當竜也)
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