『緑はよみがえる』から描出される戦争の愚かさと人を許すことの大切さ

■「キネマニア共和国」

『木靴の樹』(78)『偽りの晩餐』(87)『ポー川のひかり』(06)などで知られるイタリア映画界の名匠エルマンノ・オルミ監督の最新作が日本上陸しました……

キネマニア共和国~レインボー通りの映画街~vol.129

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今さらあれこれ述べる必要もないくらいのこの名作、『緑はよみがえる』です!

美しい雪の自然を背景に
過酷な戦場の実態を描出


『緑はよみがえる』は、エルマンノ・オルミ監督が、第一次世界大戦に従軍した父親の体験をもとに、邦題とは裏腹な戦争の過酷さを描出した作品です。

1917年の冬、イタリアのアルプス、雪に覆われたアジアーゴ高原の中、イタリア軍とオーストリア軍が雪濠を掘って対峙し続けています。

戦は既に膠着状態に陥っており、兵士たちは飢えと寒さで疲弊しきっています。

そんな中、状況をまったく把握していないイタリア軍司令部から理不尽な命令が下され、それに抗した大尉は軍位を返上し、戦争の経験など全然ない、若き中尉がその後の任を負うことになってしまうのです……。

本作の上映時間は76分。たったこれだけの時間で、オルミ監督は戦争の実態と、その中で蠢く兵士たちの苦悩と恐怖を、雪に埋もれたアルプスの美しい大自然を背景に、リアルに描き出していきます。

語り口はシンプルかつ芳醇。しかし、その中からやがて人は憎しみを越えて、人を許すことができるのではないかといった問いかけが、オルミ映画ならではの静謐さの中から露になっていきます。

少なくとも映画の世界を目指そうと思っている人ならば、一食抜いてでも見ておくべき価値のある名作です。

『緑はよみがえる』の
対ともいえる『木靴の樹』


さて、エルマンノ・オルミ監督作品といいますと、何といっても日本ではカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した『木靴の樹』が東京・岩波ホールでロングラン・ヒットして以来、注目されるようになりましたが、今回はその『木靴の樹』も本作公開の直前にリバイバル公開され、改めてオルミ作品のすばらしさに触れるとともに、個人的にも当時は若く未熟で理解できていなかった部分までもが、今回すっと入ってこれたのが心地よく感じられました。

『木靴の樹』は19世紀末の北イタリア、ロンバルディア地方のベルガモの農場に住む貧しい一家を描いたもので、小作農の収穫の3分の2を地主に納めなければならない苦悩などを、一切のドラマチックな装飾を排して描出していったものです。

こちらの上映時間はおよそ3時間。またキャストの多くは実際の農夫や素人。しかも全編を自然光で撮影したことも話題となりましたが、デジタル時代の今ならともかく、フィルム時代の当時、照明なしで映画を撮るというのがいかに困難であったか知る人ならば、これが画期的な作品であったかも理解していただけるかと思います。

そんな『木靴の樹』と『緑はよみがえる』は、上映時間の対比も含めて、どことなく対になった作品であり、一方では近現代イタリア史の流れを庶民の目で見据えた作品であるような気もしてなりません。

19世紀末を舞台にした『木靴の樹』に登場する、あの一家の子どもが大人になって、もしも第1次世界大戦に従軍していたとしたら?

『緑はよみがえる』を見ながら、ふとそんなことを思ってしまいました。

エルマンノ・オルミ監督は現在84歳。イタリアのネオ・レアリズモの伝統を継承しつつ、『聖なる酔っぱらいの伝説』(88)ではルトガー・ハウアーを主演に寓話的世界を展開させ、さらに『屏風の陰で歌いながら』(03)ではイタリア在住の日本人女優・市川純を主演に起用するなど、意外とユニークな試みにも絶えず挑戦し続けている感もあります。

そんなエルマンノ・オルミ監督の『緑はよみがえる』は亡き父に捧げた作品でもありますが、本作のモノクロームのように淡い映像美を具現化した撮影監督のファビオ・オルミは、エルマンノ・オルミ監督の実子でもあるます。

映画が永遠に、家族の絆を繋ぎ続けていく。

その点でも『木靴の樹』と『緑はよみがえる』は同等の感動をもたらしてくれることでしょう。

理想的には、二本立で見てみたい作品たちです。

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(文:増當竜也

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