『変態仮面 アブノーマル・クライシス』はまっとうなヒーロー映画なのだ!……が⁉

■「キネマニア共和国」

ヒーロー同士が喧嘩ばかりしている昨今ではありますが、そんな風潮の中、あの変態仮面が帰ってきました! ひたすら正義のために、愛する人のパンティをかぶって、その力を幾重にもパワーアップさせながら、この世を騒がす悪と戦うこの主人公、結論から先に記すと、我らが幼い頃から勝手知ったる典型的ヒーロー像なのです……が⁉

キネマニア共和国~レインボー通りの映画街~vol.134

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(C)あんど慶周/集英社・2016「HK2」製作委員会


やはり何かが大きく間違っているのです!

勧善懲悪ではすまされない
ヒーローの複雑な系譜


『変態仮面 アブノーマルクライシス』の話に入る前に、ヒーローとは何ぞや? について少しだけ書かせていただきます。

ずばりヒーローとは、いわゆる正義の味方であり、地球の平和を守るため、愛する人を守るため、わが身の命も顧みず、巨悪と戦う存在(それは人であったり異形のものであったり、さまざまです)と、ここでは定義したいと思います。

古くは月光仮面にナショナルキッドに鉄腕アトム、ウルトラマン、キャプテン・ウルトラ、仮面の忍者赤影、仮面ライダー、サンダーマスク、白獅子仮面、その他もろもろ、日本では特に1960年代から70年代にかけて空前絶後のヒーロー・ブームが巻き起こり、さまざまなヒーローが登場してはお茶の間をにぎわせ、子どもたちの夢を育み、理想のヒーローになることがそのまま立派な大人になることであると勘違い、いや信じさせながら、私たちは大きくなってしまい、いや、いきました。

そんなヒーローのありように疑問を唱えたのは、『機動戦士ガンダム』(79~80)の富野由悠季監督でしょう。
それ以前に『海のトリトン』(72)で悪と信じていた敵ポセイドンが実は全然悪くはなかったという衝撃のラストを提示していた富野監督は、その後も『勇者ライディーン』(75~76/富野監督の登板は前半のみ)や『無敵超人ザンボット3』(77~78)などで勧善懲悪的ヒーローのありように疑問を呈しながら、ついに『機動戦士ガンダム』で戦いに悩んでメソメソする少年アムロや、敵ジオン公国の戦士たちもまた同じ人間であるといった斬新な設定によって、戦う側の双方に正義があり、それに逆らうものが悪であるとみなす行為が戦争という悲劇をもたらすことを巧みに提示してくれました。

続く『伝説巨神イデオン』(80~81)は、異なる民族同士のほんのささいな誤解が、ついには全宇宙を崩壊させるほどの戦いへと突入してしまう人間の業の深さを露呈させながら、人の世に善も悪もないという真理を訴えた大傑作です。

こういった作品群に多大な影響を受けて製作されたのが庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』(95~96)で、ここでの主人公、14歳の碇シンジがいかなる哀れな思春期を歩んでいくかは多くの方がご存知の通りで、ますます戦いにヒロイックなカタルシスなど見いだせなくなったご時世にとどめを刺したのが、金子修介監督の平成ガメラ3部作最終編『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒〉』(99)でした。

ここでのガメラは、あくまでも地球の守護神であり、決して人間の味方ではないという設定のもと(第3作では、ガメラは宿敵ギャオスとの戦いで多くの人を巻き添えにしながら渋谷の街を破壊します)、第1作『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95)クライマックスでのギャオスとの死闘の際、家屋が破壊されて親兄弟を亡くした少女がガメラを憎み、それが高じてイリスの封印を解き、育て上げていくというストーリーで、それこそ今年のハリウッド大作『バットマンVSスーパーマン』(16)におけるスーパーマンの正義のための過剰行為という設定を20年近く前に先取りしていました。

21世紀に入り、『仮面ライダークウガ』(00~01)に始まる平成ライダー・シリーズも、次第にライダー同士の戦いという異様な事態に突入していきます。

そんな中、勧善懲悪のヒーローはスーパー戦隊くらいかと思いきや、実は彼らもオリジナル・ビデオ作品や劇場用映画などで戦隊同士戦ったり、ついには仮面ライダーたちと戦ったり、一体何がどうなっているのかわからないほどに錯綜しているのが、今の日本のヒーローをめぐる現状ではあるのです。

さらに今年は『バットマンVSスーパーマン』『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(16)と、海の向こうのヒーローまでもが争い始めるようになってしまい、それはそれで面白さはあるものの、もうかつてのように、純粋に子ども心をもって仰ぎ憧れるヒーロー像を求めることはできない世の中になってしまっているのかと思うと、正直どこか忸怩たる想いに囚われてしまうのも確かです。

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(C)あんど慶周/集英社・2016「HK2」製作委員会



鈴木亮平の鍛え上げられた肉体が
醸し出す「変態だが美しい!」


そんな中、2013年に我が国からお目見えした『HK/変態仮面』は、1992年から93年にかけて「週刊少年ジャンプ」で連載されていた、あんど慶周による伝説的コミック『究極‼ 変態仮面』を原作に、こともあろうか実写で映画化するという暴挙(?)に出たものでしたが、漫画から映画への置換を見事に成功させた福田雄一監督のセンス、そしてなんといっても主人公・色丞狂介こと変態仮面に扮する鈴木亮介は、この作品のために徹底的に体を鍛え上げ、結果として劇場公開されるや、男性はもとより女性ファンから「美しい!」と支持されてのクリーンヒットを記録。

そして今回、待望の(?)続編となった『変態仮面 アブノーマル・クライシス』は、福田監督をはじめとするスタッフ&キャストが一丸となって、前作以上にハードかつスリリングなストーリーで新たな敵と戦う変態仮面の勇姿が、実にまっとうなヒーロー映画として展開されていくのでした!

が、ひとつだけ大きな問題があります。それは……………………………………………………………………

主人公が変態なのです!

M男の父とSM女王様を母に持つ色丞狂介は、女性のパンティをかぶらないと変身できないのです!

しかもそのパンティが愛する人のものであればあるほど、力がみなぎってくるのです!
(ちなみに肉親のパンティでは変身できません)

まだ誰も履いてないパンティでも変身はできるものの、やはり使い古しのものにはかないません!

そして彼は、いつもポケットの中に最愛の恋人・愛子ちゃんのパンティを入れているのです!

サブ1


(C)あんど慶周/集英社・2016「HK2」製作委員会



くだらないことを真剣に取り組むことで
もたらされる微笑ましさと感動


今回のお話は、その愛子ちゃんが自分のパンティを返してほしいとおねがいするところから始まります。

正直、当たり前ではありますが、彼女は恥ずかしいのです。

そして自分の恋人がヒーローであることを頭では理解していますが、そのヒーローが自分のパンティをかぶっていることを生理的に耐えられないのです!

同じ大学に進学したふたりは、学食で変態とパンティに関して真剣な顔で話し合っています。

そこにはギャグっぽい演出はまったくなされていません。

しかし、会話のやり取りを聞いているうちに、何だかクスクス笑いたくなってしまいます。

そう、今回福田監督は、あからさまなギャグ演出を廃し、ひたすら真面目にヒーローが変態であることのみを真摯に描いており、だからこそ見る側は逆に笑えてしまうのです。

福田雄一監督は、悩めるヒーローが嫌いだそうですが、ここでの狂介は悩みまくっていますし、、だからこそ微笑ましいという、そんな好もしい人間臭さを狂介=鈴木亮平が自然体で醸し出していることで、いつしか今回の強敵(福田監督のTVドラマ『アオイホノオ』に主演して一皮むけた柳楽優弥!)と対峙する彼を応援してしまっているのです。

役のためならどんな努力でもする鈴木亮平の真摯な態度は、いかにくだらないことでも真剣にやれば人の心を打つという、最上の見本となっています。

またヒロイン愛子を演じる鈴木富美加は、前作での可愛らしさはそのままに、愛する人が変態であるということに苦悩しながら大人になろうとする健気さが、これまた胸を打ちます。

そして前作で強烈なインパクトをもたらしたムロツヨシと安田顕は……もうあまりにもすごすぎるので、じかに劇場でお確かめください!

(特に今回の安田顕は、ここ最近のチョイ悪イケメン中年のイメージを大きく覆すほどに、狂ってます!)

いついかなる時代であれ、せめて映像の中のヒーローくらいは、やはり愛する人のために命を懸けて戦ってもらいたいものと、個人的には思っています。

たとえ、それが変態であっても!

なお、このシリーズ、前作はPG12でしたが、今回はレイティングがつきませんでした。

なぜなら、前作で連発されていた「チンコ」の台詞が、今回は「ティンコ」と、1回だけ、ある人物の口から発せられるだけだからです。

(映倫の基準って一体ナニ……?)

福田監督は『変態仮面』を3部作構想で企画していますので、続く完結編(⁉)を実現させるためにも、ぜひご家族そろって、カップルで、学校帰りのお子さんたちも、劇場でご覧ください!

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(C)あんど慶周/集英社・2016「HK2」製作委員会



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(文:増當竜也

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