『アンダーカレント』今泉力哉は“キリストの視点”を持っているのかもしれない

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今泉力哉監督の最新作『アンダーカレント』は、初めて観るタイプの今泉作品だったように思う。

無様に、不格好に、もがきながら、あがきながら、それでも恋愛や人生を必死に生きていくのが、今までの今泉力哉作品に登場する人々だった。地べたに這いつくばり、七転八倒しながらも、確かに生きていた。

だが、今作に登場する3人の主要人物たち──真木よう子、井浦新、永山瑛太──は、みな黄泉の国に片足を突っ込んだような雰囲気を纏っている。

この3人はなぜ、半分死んでいるのか。

かなえ(真木よう子)


親から継いだ銭湯「月乃湯」を切り盛りするかなえは、よく同じ夢を見る。夢の中でかなえは、優しく首を絞められ、そのまま水に沈められる。殺される夢を見ること自体は、特に珍しいことではない。だがかなえの場合は、そのまま殺されることを望んでいる節がある。

「ひとつだけわかってることがあって、それが私が一番望んでいることだってこと」

かなえは、自身は仲良くやってるといると思っていた夫に、失踪されてしまった。そしてかなえは、少女時代のある出来事によるおそらく一生消えない贖罪の気持ちを、抱え続けている。自殺しようとまでは思わないが、誰かが殺してくれたら楽になれるのにな。そんな軽い希死念慮から見る殺される夢。首を絞められる時、顔の見えないその男は、かなえに優しく囁きかける。

「どうして泣いているの?もう何も悲しまなくていいんだよ」

きっとかなえは、その声に聞き覚えがある。その声は、誰の声なのか。

真木よう子の声には、少し浮世離れした響きがある。その声が、彼女の魅力でもある。その響きが、半分黄泉の国にいるような雰囲気を醸し出している。聞き心地のいい声ではあるが、油断していると一緒に黄泉の国に連れて行かれそうになる。

試しに、2019年のNHK・BSドラマ「八つ墓村」を観るといい。この作品で彼女が演じる“魔性の女”の声を聞くと「一緒に黄泉の国に行ってもいい」とさえ思ってしまう。

堀(井浦新)


共同経営者である夫の失踪により人手不足となった「月乃湯」に、臨時で雇われた男性。無口で無表情で、自分のことはほとんど話さない謎の男。

かと思えば唐突に、

「奥さんは、死にたいと思ったことはありませんか」

と尋ねたりする。朝ごはん食べながら。

彼自身、強烈に「死にたい」と思った時期があったのではないか。そしてなぜ、その問いを投げた相手が、かなえだったのか。

井浦新の持つ“硬さ”が、この堀という男の抱えている物の”重さ”を表している。

“硬い井浦新”を観るならば、若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008)をオススメする。あの時代の連合赤軍の面々の「一方向にしか物事を見られない融通の利かなさ」を、井浦新の“硬さ”が存分に表現している。

悟(永山瑛太)


かなえの夫。物語が始まった時点ですでに失踪しているので、登場するのは主にかなえの回想シーンである。

「いつも笑っているような顔」でかなえの話を聞いている。だがその時からすでに心ここにあらずというか、魂は別の場所にいるような、そんな雰囲気を感じる。

永山瑛太の薄笑いには、鑑賞者の居心地を悪くする何かがある。特に、カンヌ映画祭脚本賞を受賞した是枝裕和監督『怪物』(2023)序盤での薄笑い。怒られているのに冷笑を浮かべている様は極めて不気味で、物語の方向性を一気に不穏なものにしてしまった。

悟は、なぜいなくなってしまったのか。それは後にわかるのだが。

「みんな本当のことなんかより、心地のいい噓の方が好きなんだ。本当のことなんか、誰も知りたくないんだよ」

もう悟のことは、探さない方がいいのかもしれない。だが、かなえは山崎という探偵に悟探しを依頼する。

山崎(リリー・フランキー)とサブじい(康すおん)


ほっといたらそのまま黄泉の国に行ってしまいそうな3人を現世に繋ぎ止めているのが、山崎とサブじいだ。

主要キャラが3人とも心に何かしら重たいものを抱えているこの作品において、この2人の存在は癒しである。

探偵の山崎と、銭湯の常連客のサブじい。2人とも、一見飄々としていてうさん臭い。演じるリリー・フランキー、康すおん共に、うさん臭い役が大変似合う。また、豊田徹也の原作漫画そのままのビジュアルを見て、キャスティング担当の方と握手したくなった。

『窓辺にて』『ちひろさん』と、最近の今泉作品は「ある種達観した主人公が、のたうち回る周囲を見守っている」という物語が続いている。特に『窓辺にて』の稲垣吾郎は、若めの仙人のようでもあった。


今作における山崎とサブじいも、そんな仙人寄りのキャラである。だが達観した仙人でありながらも、下世話な通俗性も併せ持ち、ちゃんと地に根を張って生きている。だからこそ、かなえや堀を黄泉の国から連れ戻すことができるのだ。

そして2人は、彼ら彼女らを現世に繋ぎ止めているだけではない。離れ離れになりそうな彼らと彼女らをも、繋ぎ合わせているのだ。山崎はかなえと悟を、サブじいはかなえと堀を。

この2人がいたからこそ、重いテーマの今作を、爽やかな気持ちで観終わることができる。

原作との違い



映画『アンダーカレント』は、豊田徹也による同名漫画を原作としている。基本的に原作に忠実に映像化されている。だが今泉監督は、終盤とラストカットに、原作にはなかったシーンを挿入している。

これから観る方のために、詳細は述べないでおく。原作ファンの中には、「蛇足だ」と思う方もいるかもしれない。でもこの2つのシーンにより、少なくとも3人のうちの2人は、黄泉の国から戻って来れたのではないか。重い重い足枷から、少しだけ解放されたのではないか。

豊田徹也は今泉監督に「僕はいいんだけど、登場人物が嫌な思いをしない映画にしてください」と言った。今泉監督は「かなえも堀も、今もどこかで元気でいてくれたら」とコメントしている。(共に公式サイトより)

映画オリジナルの2つのシーンは、今泉監督の登場人物への愛だと思っている。

過去の作品においても、無様にのたうち回る登場人物たちを見つめる今泉監督の視点は、大変優しい。それは監督の風貌も相まって、「キリストの視点」なのかもしれない。

半分死んでいた登場人物たちは、「キリストの思し召し」によって黄泉の国から生還した。せっかく生還したのだから、エンドロール後の世界では、もがいてあがいてのたうち回りながら、人生を必死に生きてほしい。従来の今泉作品の、愛すべき登場人物たちのように。

その様を見つめる「キリストの視点」は、いつまでもどこまでも優しいはずだ。

(文:ハシマトシヒロ)

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(C)豊田徹也/講談社 (C)2023「アンダーカレント」製作委員会

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