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40周年記念映画祭開催!角川映画はいかにして昭和後期の日本映画界を改革していったか?(後編)
40周年記念映画祭開催!角川映画はいかにして昭和後期の日本映画界を改革していったか?(後編)
■「キネマニア共和国」
東京・角川シネマ新宿(7月30日~9月2日)ほか全国で、角川映画祭が順次公開されることになりました。
これは1976年の角川映画第1作『犬神家の一族』から、昭和の終わりまでに製作された角川映画の中から48本をセレクトしてお届けするものです。
では、角川映画とは何か? それは時の日本映画界の中、台風の目として一大旋風を巻き起こした、いわば革命ともいえるものでした……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.147》
そんな角川映画の魅力をお伝えする後半戦!
1980年、
プログラムピクチュア路線への転換
1980年、『復活の日』をひとくぎりとして、角川映画は超大作路線からプログラムピクチュア路線へと切り替えていきます。
既に日本映画界は角川映画の参入によって大いにかき回されつつ、従来の2本立てプログラムピクチュアの中に1本立て大作を盛り込みながら、起死回生を狙うようになっていましたが、そんな中で角川映画は逆の道を歩むようになるのが、当時の映画ファンからすると、実にユニークに思えたものです。
また、角川映画のプログラムピクチュアは、単なるB級映画ではなく、企画からスタッフィング、キャスティングなど常に斬新なものが幅をしめていました。
そもそも80年の秋、プログラムピクチュア路線第1弾として発表されたのが『野獣死すべし』(80/原作:大藪春彦/監督:村川透/キャッチ「こんなハードボイルドがあるのか」「青春は屍(しかばね)をこえて」など)&『ニッポン警視庁の恥といわれた二人組 刑事(デカ)珍道中』(80/監督:斎藤光正/キャッチ「デカちん」「ニッポンの恥」など)の2本立てでした。
『野獣死すべし』は主演・松田優作×監督・村川透 × 原作・大藪春彦というハードボイルド映画の安定路線と思いきや、そこで繰り広げられていくのはヴェトナム戦争帰還兵映画を彷彿とさせる戦争の惨禍によって正気をなくした元戦場カメラマンの狂える犯罪劇であり、当時多くの若い映画ファンを虜、というよりもトラウマを与える衝撃作として屹立することになりました。
(余談ですが、本作のヒロインを務めた小林麻美が、今年芸能界復帰して女性誌の表紙を飾りましたね。ものすごいことです!)
『刑事珍道中』は角川映画初のオリジナルで、青春TVドラマに定評のある鎌田敏夫の原案・脚本をノヴェライズ化して出版。中村雅俊と勝野洋、テレビの青春ものや刑事ドラマに定評のあったふたりを主演に迎え、彼らのドラマを多く撮っていた斉藤光正が監督を務めたドタバタ刑事コメディでした。
この後、片岡義男の青春小説を原作とする浅野温子初主演映画『スローなブギにしてくれ』(81/キャッチ「猫好きの少女と、オートバイの少年が、ある日、出逢った。」「WE LOVE KATAOKA WORLD」など)は、日活青春映画の雄・藤田敏八監督のメガホンで、何と山崎努扮する中年男に若者たちが振り回される中年映画へと変貌。
角川春樹プロデュースによる東映映画『魔界転生』(81/原作:山田風太郎/監督:深作欣二/キャッチ「エロイム・エッサイム 古き骸を捨て、蛇はここに甦えるべし。」「魔界のうぬら、地獄へ戻れ!」など)は当時も今もカリスマ的人気を誇る沢田研二に魔界から甦った天草四郎を演じさせ、千葉真一扮する柳生十兵衛との死闘は無論のこと、真田広之とのキスシーン、さらには大御所・若山富三郎が燃えさかる江戸城内で繰り広げていく一大チャンバラなど、話題に事欠かない作品となりました。
81年夏、薬師丸ひろ子主演のSF青春映画『ねらわれた学園』(原作:眉村卓/監督:大林宣彦/キャッチ「みんないつもの通りだ。でも、誰かがこの学園をねらっている。なぜ?」など/同時上映は東宝映画&ジャニーズ事務所提携『ブルージーンズ・メモリー』)は、大林宣彦監督がキッチュな特撮と和の情感の融合、そして当時の自主映画の面々を大挙出演させながらおもちゃ箱をひっくり返したようなセンス・オブ・ワンダーで迫るカルト映画と化しました。
同年秋には、何と金田一シリーズの主題歌にビートルズの《レット・イット・ビー》《ゲット・バック》を用いるという世界的にも前代未聞な『悪霊島』(原作:横溝正史/監督/篠田正浩/キャッチ「鵺の泣く夜は恐ろしい・・・・。」など)と、同じく横溝原作ながら金田一が登場しない幻想譚『蔵の中』(原作:横溝正史/監督:高林陽一/キャッチ「燐光のように無気味に、現代に復活する―横溝文学―幻想と耽美の極致。」「一夜の夢か幻か」「遊びをせんとや生まれけむ」など)は今の時代を先取りしたかのようにニューハーフの松原留美子を主演に起用し、倒錯美を際立たせたアート映画のラインを狙った異色作となりました。
(この2作、地方では2本立て興行の劇場も多く見られました)
80年代前半の
大躍進の始まり
そして81年12月、いよいよ角川映画の一大転機が訪れます。女子高生が突如ヤクザの組長に就任させられての一大騒動を、コミカル色よりも思春期特有のリアル色を重んじて描いた薬師丸ひろ子・主演の『セーラー服と機関銃』(81/原作:赤川次郎/監督:相米慎二/キャッチ「カ・イ・カ・ン」「カイカーン・・・・ワタクシ、オロカナ女になりそうです。」など/同時上映は東映映画『燃える勇者』)が配収23億円の大ヒットとなり、この1作で薬師丸ひろ子が一気に日本映画界を代表する青春スターに躍り出るとともに、角川映画の救世主となりました。
(C)KADOKAWA1981
1982年は当時の角川映画に欠かせなかった名優・渡瀬恒彦主演のハードボイルド映画『化石の荒野』(82/原作:西村寿行/監督:長谷部安春/キャッチ「謎、満ちるとき、愛は、血を流す。」「わが怨み、現在完了。」など)を経て、同年秋、角川映画と松竹が初めて提携して、映画人の凱歌を描いた人情コメディ『蒲田行進曲』(82/原作:つかこうへい/監督:深作欣二/キャッチ「人生感動!」「どこを好きになったって? もちろんあんたのセコさよ」など)と、第1回横溝正史賞を受賞小説を映画化したミステリ『この子の七つのお祝いに』(82/原作:斎藤澪/監督:増村保造/今回の映画祭では上映なし/キャッチ「母から娘(こ)へ 一枚の手型が奏でる“殺しの子守唄”」「あなたも一緒にとおりゃんせ」など)が二本立て公開され、この中で『蒲田行進曲』がキネマ旬報ベスト・テン第1位を始めその年の映画賞を独占する結果となりました。
「ヒットはしても中身はない」などと、常に映画マスコミから揶揄され続けていた角川映画が、ここでついに質的な面での評価を勝ち得ることになったのです。
(もっとも観客はそれ以前から「角川映画は面白い」という、これ以上にない賛辞を送り続けていたわけですが)
さらに12月、『汚れた英雄』(82/原作:大藪春彦/監督:角川春樹/キャッチ「0.1(コンマイチ)秒のエクスタシー」「北野晶夫 教科書とは無縁の、その名を僕らは忘れない。」「映画は戦場だ」など)で時の角川映画総帥・角川春樹が映画監督デビューを果たします。
(C)KADOKAWA1982
そして同時上映の『伊賀忍法帖』(82/原作:山田風太郎/監督:斉藤光正/キャッチ「フォッ、フォッ、フォッ、われら、この国に祟りをなさん」「“オン・マリシエイ・ソワカ”愛の呪文は悪魔に勝つか」など)では、オーディションによってえらばれた渡辺典子が映画デビューし(ちなみに、このとき特別賞を受賞したのが原田知世でした)、ここではなんと3役を演じ分けるという難題にも果敢に挑戦しています。
83年の春には、角川映画初のアニメーション映画『幻魔大戦』(83/原作:平井和正&石森章太郎/監督:りんたろう/キャッチ「幻魔侵攻――ハルマゲドン接近! 地球最後の闘いに目覚めよサイオニクス戦士たち!」など)が公開され、日本のアニメーション映画を大きく牽引していく勢力となっていきます。
また『幻魔大戦』では漫画家の大友克洋にキャラクターデザインを依頼。これによって大友はアニメ界に参入し、やがて世界に名だたる『AKIRA』を監督する事になっていくのでした。
同年夏、それまで受験のため俳優活動を控えていた薬師丸ひろ子の復帰主演作『探偵物語』(83/原作:赤川次郎/監督:根岸吉太郎/キャッチ「ドジな探偵さん。尾行ひとつ満足にできないんだから。」「冗談じゃねえよ、なんでオレがこんなガキの子守しなくちゃいけないんだ。」「私、いつも独りで寂しかった…好きです!」など)と、原田知世の主演デビュー作『時をかける少女』(原作:筒井康隆/監督:大林宣彦/キャッチ「いつも青春は時をかける」「愛の予感のジュヴナイル」「いつかどこかで出逢うはずの彼に、会ってしまった。」など)の2本立てが公開され、これが配収28億円の大ヒットとなります。
(C)KADOKAWA1983
ここから同年12月、薬師丸ひろ子&真田広之主演による久々の角川映画超大作『里見八犬伝』(83/原作:鎌田敏夫/監督:深作欣二/「構想10年、『復活の日』に続く角川映画超大作」「星よ、導きたまえ。」など)のあたりが昭和時代の角川映画のピークであったようにも思えます。興行は配収23億1000万円の大ヒットで、アジア地域でも好評をもって迎え入れられ、アン・ホイなど香港ニューウェイヴ派の監督たちにも多大な影響を及ぼす作品となりました。
(C)KADOKAWA1983
アイドル映画とアニメ映画と
プログラムピクチュアの3形態
ここに至って角川映画は、
①薬師丸ひろ子&原田知世&渡辺典子の角川三人娘によるアイドル映画群、
②ハードボイルドやミステリをメインとしたプログラムピクチュア群、
③アニメーション映画群と大きく三つに分けたラインナップを形成し続けていきます。
84年は3月に②『少年ケニヤ』(84/原作:山川惚治:監督:大林宣彦、今沢哲男/キャッチ「口移しにメルヘンください」「I AM KENIYA!」など/同時上映はアメリカ映画『スヌーピーとチャーリー』)で大林監督が「すべての映画は1秒24コマのアニメーションである」という信念のもと、実験精神豊かなアニメ大作を具現化しています。ヒロインの声は原田知世が担当(彼女は『幻魔大戦』でも声優を務めています)。
同年5月、渡辺典子主演による赤川次郎ミステリ原作三部作の第1弾で井筒和幸監督のコメディ・センスが冴える
①『晴れ、ときどき殺人』(84/原作:赤川次郎/監督:井筒和幸/キャッチ「この家(うち)には死体がいっぱい――!」「全部あなたが殺したのね?」など)&原作のミステリ色を捨て、善人が誰も出ない愛憎の人間ドラマを狙った意欲作
②『湯殿山麓呪い村』(原作:山村正夫/監督:池田敏春/キャッチ「皆!語るなかれ聞くなかれ」など)の2本立て。
7月は天才監督・森田芳光のポップなセンスが満開で野村宏伸のデビュー作ともなった①薬師丸ひろ子主演『メイン・テーマ』(84/原作:片岡義男/監督:森田芳光/キャッチ「愛ってよくわからないけど傷つく感じが素敵…」「セクシーになれば?ってどういう意味ですか。」など)&角川春樹が亡き妹への哀悼を自らのメガホンでしめした①『愛情物語』(84/原作:赤川次郎/監督:角川春樹/キャッチ「お父さんって呼んでもいいですか。」など)の2本立て。
10月、大の映画ファンでも知られるイラストレーター和田誠を監督に迎え、全篇モノクロで撮り上げた②『麻雀放浪記』(84/原作:阿佐田哲也/監督:和田誠/キャッチ「本物のろくでなし、あんたに惚れた」「負けた奴は裸になる。」「人を楽しませる天才が作り上げた最上質の娯楽映画誕生」など)&鬼才・崔洋一監督と渡辺典子&赤川次郎の化学反応の妙①『いつか誰かが殺される』(84/原作:赤川次郎/監督:崔洋一/キャッチ「息止めてミステリアス。誰かが私を狙ってる」など)の2本立て。
12月、原作ミステリ小説を舞台劇に据え、それを演じる若手女優の青春を描いた①薬師丸主演『Wの悲劇』(84/原作:夏樹静子/監督:澤井信一郎/キャッチ「嘘を演じるの。あんた役者じゃない⁉」「愛、欲望、そして悲劇の方程式」「顔をぶたないで! わたし女優なんだから」など)&ニューカレドニア島を舞台に、メガネ姿の知世ちゃんも可愛い①『天国にいちばん近い島』(84/原作:森村桂/監督:大林宣彦/キャッチ「私がみつけた愛と夢、あげる。」「なぜだか、はじめてなのになつかしいの。」など)
なお、ここで薬師丸ひろ子が角川映画から離れて独立することになり、以後、角川映画は徐々にゆるい坂を下りていくようになっていきます。
85年3月、角川アニメ第3弾かつ最高傑作の誉れ高い③『カムイの剣』(85/矢野徹/監督:りんたろう/キャッチ「目覚めよ、冒険心。」「今、巨大な興奮の世界」など)&声の主演・野村宏伸を大いに意識したカリスマ漫画家・吉田秋生の秀逸なキャラクタ―デザインや、鉛筆画のバイク疾走シーンなど技術的にも粋を凝らした必見の中編ながら、なぜか未だにDVD化されない幻のアニメーション③『ボビーに首ったけ』(85/原作:片岡義男/監督:平田敏夫/キャッチ「ときめきのロマンティック・アニメーション」など/今回の映画祭では未上映)。
6月、崔洋一監督が助監督時代に就いた『愛のコリーダ』に主演した藤竜也と組んだ沖縄を舞台にしたハードボイルド②『友よ、静かに瞑れ』(85/原作:北方謙三/監督:崔洋一/キャッチ「Boil up hard」など)、渡辺典子&赤川次郎ミステリ三部作の最終編で若き日の渡辺謙が相手役『結婚案内ミステリー』(85/原作:赤川次郎/監督:松永好訓/キャッチ「Dream or shock」など)の2本立て。
9月、『Wの悲劇』の澤井監督が、今度は原田知世に大人の階段をのぼらせようとする危険で切ない青春映画①『早春物語』(85/原作:赤川次郎/監督:澤井信一郎/キャッチ「背伸びから始まった、大人の恋。」「これ、恋だと思う。」「少女は女になった。男は少年になった。」など)&日本映画界が誇る稀代のアクション女優・志穂美悦子最後の主演映画②『二代目はクリスチャン』(85/原作:つかこうへい/監督:井筒和幸/キャッチ「私、アタマにきました」「てめえら、悔い改めて十字をきりやがれ。でねえと、たたっ斬るぜ」「二代目!」など)の2本立て。
角川映画10周年を迎え、
そしてゆるやかな下り坂
86年4月、角川映画は10周年を迎え、これを記念して②『キャバレー』(86/原作:栗本薫/監督:角川春樹/キャッチ「甦る、’50年代」「ふたりはブルースになった」など)&②『彼のオートバイ、彼女の島』(86/原作:片岡義男/監督:大林宣彦/キャッチ「退屈じゃないのは、オートバイだけなんだ。」など/原田知世の姉・原田喜和子のデビュー作)の2本立てを発表しますが、特に『キャバレー』は大作風のプログラムピクチュアでもあり、もはや『人間の証明』(77)の頃とは違う、一方ではどことなく80年代半ばのバブリーな気運にも呼応しあった番組のように思えたものでした。
逆に9月、角川映画が当初から映画化を目論んでいた耽美ミステリ②『オイディプスの刃』(86/原作:赤江獏/監督:成島東一郎/キャッチ「斬れ 斬って刀の切れ味を試してみろ!」など)がようやく発表されますが、こちらは時代の波に逆行しているような違和感もありました。
12月、スクールバスがタイムリープしていく③『時空(とき)の旅人』(86/原作:眉村卓/監督:真崎守/キャッチ「“敵は本能寺にあり” 歴史の中を彷徨う少年たち」「信長は果たして本能寺で死んだのか⁉」)&手塚治虫の名作を何と1時間の中編で見事コンパクトに仕上げた『火の鳥 鳳凰編』(86/原作:手塚治虫/監督:りんたろう/キャッチ「永遠の命、今、黄金の翼が地球(テラ)へ降り立つ」「火の鳥、接近」など)の2本立て。この時期になると実写よりもむしろアニメのほうが勢いづいてきているような感もあります。
87年3月、何と原田知世主演のハードボイルドで①と②をミックスさせた『黒いドレスの女』(87/原作:北方謙三/監督:崔洋一/キャッチ「男たちの傷口に、女が、しみた。」など)&野村宏伸主演のラブストーリー②『恋人たちの時刻』(87/原作:寺久保友哉/監督:澤井信一郎/キャッチ「何で誰とでも 好きでもない男たちと」など)は、どちらもユニークな視点で興味深いものはありましたが、どこか角川映画としての活気に欠ける薄味な印象も否めませんでした。
むしろ同年9月、東京国際ファンタスティック映画祭で上映され、その後も毎週土曜のオールナイトで『火の鳥 ヤマト編』(原作:手塚治虫/監督:平田敏夫/今回の映画祭では未上映)、『火の鳥 宇宙編』(原作:手塚治虫/監督:/今回の映画祭では未上映)といった角川OVAとともによく上映されていたオムニバス作品『迷宮物語』(原作:眉村卓/監督:りんたろう、川尻善昭、大友克洋)のほうに分があったような気もしています。
88年8月、美少女たちの抗争劇を近未来のアジアンTOKYOに舞台を移し変えた異色バイオレンス映画『花のあすか組!』(88/原作:高口里純/監督:崔洋一/キャッチ「バトルニューウx-ブ・美少女バイオレンス“ASUKA”」「笑わせんじゃねえよ。」など)&大人たちに対する子どもたちの宣戦布告劇で、宮沢りえの映画デビュー作でもある『ぼくらの七日間戦争』(88/原作:宗田理/監督:菅原比呂志/「インチキな大人に、宣戦布告。」「みんなに一泡吹かせてやろうよ。」)の2本立ては、当時よりも今のほうがしっくりくる内容のようにも思えます。
ここで昭和の角川映画は終わります。
1989年1月より、世は平成に代わりますが、この後の角川映画の激動の転換に関して、興味のある方はぜひ調べてみてください。
昭和の角川映画の功績
さて、昭和の、特に80年代の角川映画は当時の自主映画や日活ロマンポルノ出身などの新進気鋭若手監督や、はたまた撮影所育ちのベテラン監督もバランスよく起用しながら活躍の場を与え続け、そこでのキャリアは彼らの後の糧となっていったことは間違いありません。
その中には、テレビCMなど宣伝費を大量投入する角川商法に対して批判的な面々もいましたが、そんな彼らにも角川映画は進んで門戸を開放していました。
(当時発行されていた角川映画の宣伝雑誌「バラエティ」では、角川映画批判を口にする映画人の発言を隠すこともしませんでした)
薬師丸ひろ子をはじめとする、映画からスターを誕生させ、育てるという試みも、映画界がテレビに押されるようになってから久しく行われていなかったことでした。
薬師丸ひろ子主演映画の場合、単に可愛く撮るというよりも、彼女に背伸びをさせながら大人の世界を垣間見せていくといった類のものが多かった印象があります。
対して原田知世は、周囲がまるで妹のように慈しみ、大事に育てていこうという空気感が濃厚でした。
(それだけに『黒いドレスの女』はショッキングでもあったのです)
渡辺典子は正統派美人女優として、赤川次郎原作のコミカル・ミステリが良く似合う存在で、一方では『少年ケニヤ』『カムイの剣』『火の鳥』といった角川アニメ主題歌でも強い印象を残しています。
いずれにしましても、1950年代の日本映画黄金時代を経て、60年代から70年代にかけての日本映画斜陽時代に角川映画は生まれ、日本映画におけるエンタテインメントの復権をうながしていきました。
その試みは、当初こそギクシャクしてはいましたが、要は面白いエンタテインメント小説はいっぱいあっても、それを巧く脚本化できるシナリオライターが当時まだ少なかった(もしくは減ってきていた)というのが大きな一因ではあったかと思われます。
また角川春樹自身が監督をするようになり、映画製作者よりも映画作家として目覚めてしまったことも80年代角川映画のゆるやかな失速を招いていった感も否定はできません。
ただし、映画監督としての角川春樹は、男たちには地の底へ突き落して這い上がらせる厳しさを求める『汚れた英雄』『キャバレー』『天と地と』(90)『笑う警官』(09)と、少女を優しく慈しむ『愛情物語』『REX・恐竜物語』(93)、そしてリメイク版『時をかける少女』(97)と、はっきり傾向が分かれます。その点では明確な作家的視点を持った映画監督として、いずれは熟考していきたい存在でもあります。
昭和の角川映画の隆盛は、日本映画もエンタメができるのだという自信とチャレンジ精神を、後進の映画人に与えてくれたような気もしています。
私自身、今の日本映画が面白くなってきている背景には、当時の角川映画あればこそであったという感慨が常にあります。
実際、さらに配給や興行面におけるさまざまな改革を試み、そこでさまざまな苦難に直面してもいるのですが(それらの多くは今では当たり前になされていることですが、最初に何かを変えようとする者に対して風当たりが強いのは世の常です)、そのあたりのことはいずれ専門のかたに語っていただけたらとも思っております。
ある意味荒っぽくギクシャクした70~80年代の混乱期を乗り越えた、これらの魅惑的作品群、ぜひこの機会にご覧いただけたら幸いに思います。
また南極で映画を撮ろうなどといった大ぼらを実践してしまうドン・キホーテのような映画人が現れないかな、などと思いつつ……。
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(文:増當竜也)
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