『東京オリンピック』だけじゃない、6つのオリンピック公式記録映画
Photo by Chris McGrath/Getty Images
オリンピックと映画の関連性を重ね合わせたとき、例えばパリ大会の『炎のランナー』や、カルガリー大会の『クール・ランニング』などの劇映画はもちろんのこと、市川崑の『東京オリンピック』を思い出す方もいるだろう。
1965年の公開当時、観客動員1950万人を記録し、2001年に『千と千尋の神隠し』に抜かれるまで日本国内観客動員数歴代1位だった同作は、1位から転落したとはいえ、未だに国民的映画のひとつであり、次期オリンピックが東京で開催されるということを受けて、近年再注目を浴び始めているのだ。
ところで、この『東京オリンピック』のように、オリンピックの公式記録映画は数多くある。しかしながら、現在日本で容易に鑑賞可能な作品はわずか6本しかない。今回はそれを紹介していく。
『民族の祭典』、『美の祭典』
世界的に最もポピュラーなもので、この公式記録映画がひとつの「芸術」として認識されるきっかけになったのは、1936年のベルリン大会を映した、レニ・リーフェンシュタールの『民族の祭典』『美の祭典』である。
ナチス・ドイツのプロパガンダ映画のひとつとして、後々糾弾されることになった本作は、ダンサーをしていた経歴を持つリーフェンシュタールらしく、アスリートたちの躍動や、競技における映画的運動をひとつの「美」として捕らえた初めての記録映画だった。本作のように、ドキュメンタリー映画が本来持つべき記録性を超越させたことは、『東京オリンピック』にも影響を与えていると言われているのだ。
60年代になって、この「芸術」と「記録」とのジレンマは顕著になり、それに比例するように国際的な評価を高めていった。1964年の『東京オリンピック』の前、ローマ大会を記録したロモロ・マルチェリーニの『ローマ・オリンピック1960』。そして1968年のメキシコ大会を記録したアルベルト・イサークの『太陽のオリンピア』はいずれもアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞候補にあがる。
『白い恋人たち』
そして、「芸術」としての公式記録映画の真骨頂が、グルノーブル・オリンピックの公式記録映画として制作された、クロード・ルルーシュとフランソワ・レシャンバックの『白い恋人たち』だ。
誰もが一度は耳にしたことのある、フランシス・レイの有名なテーマ曲に乗せて、聖火が灯る印象的なオープニングから始まるこの作品は、記録映像のコラージュによって構成され、ドキュメンタリー映画の制約をものともしない表現の幅広さを見せる。もちろん記録性としても、その場所でオリンピックに関わった人々を、あらゆる角度から見つめる視点をもつことで成立させるが、その一方で、カット割りの抑揚のつけ方や、テーマ曲を挿入するタイミングの巧さなど、劇映画らしい一面もある。
『男と女』でようやくブレイクを果たしたルルーシュと、記録映画から頭角を表したヌーヴェルヴァーグ左岸派のレシャンバック。この2人がタッグを組んだことで、「芸術」と
「記録」の二面性を融合させることができたのだ。
『札幌オリンピック』
そして、忘れてはならないのが1972年に行われたふたつの大会の記録映画だ(当時は冬季と夏季が同じ年に行われていたのだが)。篠田正浩が監督を務めた『札幌オリンピック』は、まさに『東京オリンピック』の圧倒的知名度の高さの陰に隠れて、その存在すらあまり知られていないのが勿体ないほどに、映画界の総力が結集した大作であった。
東宝の40周年記念作品でありながら、松竹が配給協力をしているという、あまり類を見ない大手映画会社の明確な協力体制が敷かれている。
『時よとまれ、君は美しい』
ミュンヘン五輪を記録した『時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日』は、世界中から8人の映画作家が結集して作り出されており、もしかするとこの方法論こそが、スポーツで平和を象徴するオリンピックの精神を、映画に移し替えたものになるのではないだろうか。
ロシアのユーリー・オゾロフ、ベルイマン映画でも知られるスウェーデン人女優のマイ・ゼッタリング、ホスト国西ドイツのミヒャエル・フレガール、アメリカに渡ったばかりのミロシュ・フォアマン、アメリカン・ニューシネマの作家であるジョン・シュレシンジャーとアーサー・ペン。そして『白い恋人たち』のクロード・ルルーシュに、日本から市川崑が参加した。
市川崑が担当したのは、陸上男子100メートル競走の記録。序盤の細かいカット割りで始まり、画面奥から走ってくるランナーの表情を真正面から映し出す。とくに決勝での、画面上に一列に並んだ8人のランナーが、こちらに向かって走ってくる描写は実にスリリングである。
まとめ
この後、76年のインスブルック大会の『ホワイトロック』を最後に日本で劇場公開されることはなくなったと同時に、「記録」としての要素が圧倒的に高まる。しかも80年代ごろからは、TV用のドキュメンタリー映画として作られ、劇場でかかることは珍しくなってしまったのである。それでも、『カラスの飼育』で知られるカルロス・サウラが監督したバルセロナ大会の『Marathon』など、映画史的にも語られる必要性が高い作品は存在している。
84年のロサンゼルス大会から公式記録映画を制作することになったバド・グリーンスパンは、日本で行われた長野大会の『名誉と栄光の物語』をはじめ、亡くなる直前の2008年の北京大会まで多くの作品を手がけた。その直後のバンクーバー大会は彼の作品のプロデューサーだったナンシー・ベッファが監督を務めたが、それ以降一気にオリンピック公式記録映画の存在自体が薄れてしまっているのが残念である。4年後の東京オリンピックの記録映画は果たして誰が制作するのだろうか。開会式の演出よりもそちらが気になるところだ。
(文:久保田和馬)
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