映画コラム

REGULAR

2016年11月30日

『シークレット・オブ・モンスター』は“悪童版”の『この世界の片隅に』だった!その魅力がわかる5つのポイント

『シークレット・オブ・モンスター』は“悪童版”の『この世界の片隅に』だった!その魅力がわかる5つのポイント

シークレット・オブ・モンスター03


(C)COAL MOVIE LIMITED 2015


現在、独裁者の幼年時代を描き、その独創性と“わかりにくさ”から賛否両論を巻き起こしている『シークレット・オブ・モンスター』が公開中です。いったいどういう作品であるのか。その魅力がどこにあるのか。大きなネタバレのない範囲で、以下に紹介します。

1:少年の行動の理由がはっきりしない!


この映画の何よりの特徴は、主人公の少年の行動の理由がはっきりしないことです。

例えば、教会の劇の稽古が行われているとき、少年が村人たちに石を投げつけて逃げた、というエピソードがあります。母親が少年に「どうしてあんなことをしたの?」と聞くと、少年は「(お母さんは)僕よりみんなのことが好きなの?」と聞き返しました。

この少年の真意がわかりますでしょうか?映画では、実際に劇で何が起こったのか、少年がなぜ石を投げた(怒った)のか、最後までその理由が明かされることはありません。そのため、観客は少年の心を読み取る必要が出てくるのです。

本作で何よりも観る人を選ぶ要素は、ここにあるでしょう。“心理パズルミステリー”と銘打たれた作品ですが、最後までそのパズルのほとんどは、完全に解けないままなのですから。

ヒントとなるのは、原題の『The Childhood of a Leader』が示している通り、少年が後に独裁者となることです。独裁者という“他人を支配する”人間が、幼年時代に、他者に対してどういう気持ちでいたのか?そこに注目すれば、ある程度は謎を解くことができるかもしれません。

2:戦争が背景にある作品である


劇中では、第一次世界大戦の様子が冒頭の“序曲”として映し出された他、大人たちがヴェルサイユ条約などの政治的な背景について語っている様子がしばしば描かれています。

これらの実際にあった戦争の出来事は、少年に直接的な影響を及ぼすことはない……ようにも思えますが、少年がその大人たちの話し合いに“参加”していた(聞いていた)ことが、独裁者になるきっかけになったという可能性も否定できません(そうした点も、はっきりとは描きません)。

この作品の特徴で思い出したのが、現在公開中のアニメ映画『この世界の片隅に』でした。
『この世界の片隅に』と本作『シークレット・オブ・モンスター』はまったく違う作品のように見えますが、実は“戦争の影”をそこかしこに感じられることと、実際の歴史が背景にありながらもフィクションの登場人物の日常を描いていることが共通しているのです。

両者で違うのは、前者が“普通に暮らそうと日々努力する人々”のささやかな暮らしを描いた作品であった一方で、後者は“やがて普通ではなくなる者”が怒りを溜めていくという物語になっていることです。

ブラディ・コーベット監督は本作について「この少年の人生における、ささやかだが重要な瞬間をつなぎ合わせた夢のようなコレクションである」とも語っています。
少年の生活は鬱屈しているようですが、歴史的な事件の背景にあった、平凡“だった”少年の“大切な時期”を切り取っているとも考えられるのです。

こうした戦争がある世界の片隅に生きていた、“悪人になってしまう(もしくは今も悪童である)少年”の日々を描いていること、それを体験できることが、本作の魅力の1つなのです。

シークレット・オブ・モンスター01


(C)COAL MOVIE LIMITED 2015



3:サルトルの小説でわかることは?


本作はサルトルの短編小説『一指導者の幼年時代』をベースとしており、少年が少女のような格好をしていることや、少年が母親に屈折した感情を抱いていることなどが共通しています。物語や人物設定は異なっていますが、この小説を読めば、『シークレット・オブ・モンスター』の少年の心情や、ラストの意味がよりわかりやすくなるかもしれません。

哲学者であるサルトルが“実存主義”の代表者であったことや、『一指導者の幼年時代』の作中に“我思う、ゆえに我あり”という有名なデカルトの言葉が登場していることも重要です。

実存主義とは“人間の本質はあらかじめ決められていないから、人間は世界を意味づけて行動を選び取り、自分自身で意味を生み出す(人間は実存が先行する存在である)”という考えです。

このサルトルの考えに照らし合わせると、『シークレット・オブ・モンスター』の少年は受身的に物事を認識せず、自分で“その世界”の意味を能動的に考えていったのではないか、だからでこそ独裁者になったのではないか、とも思わせるところもありました。もちろん、これも明確な“答え”とは言えませんが……。

4:ムッソリーニとの共通点があった!


ブラディ・コーベット監督は、イタリアの独裁者であるベニート・ムッソリーニの内面と葛藤に惹かれ、本作の脚本を書き始めたと語っています。

それは例えば、少年だったムッソリーニが、ミサが終わって出てきた教区民によく石を投げていたこと、同級生の手を刃物で刺して退学させられたこと、うぬぼれ屋で傷つきやすい心を持っていたことなどなど……本作はフィクションではありますが、こうした実在の独裁者の少年時代も参考にして構築されているのです。

シークレット・オブ・モンスター02


(C)COAL MOVIE LIMITED 2015



5:少年は女の子に間違われることを嫌っているのに、なぜ髪を切ろうとはしないのか?


これまで書いてきたように、本作『シークレット・オブ・モンスター』は、戦争の背景や哲学的思考など、さまざまな要素が絡み合っており、その内容を完全に理解することが難しい、という内容です。
そうであっても、観る人にそれぞれに異なる解釈があり、それぞれが“謎の答え”であるかのように思えることが、本作のおもしろさになっています(監督も「さまざまな捉え方がありますが、ほとんどどれも正しいです」、「観客に解釈を委ねているところもあります」と語っています)。

ここで筆者も、作中の不可解な少年の行動の1つである、“自身が女の子に間違われると癇癪を起こすくせに、女の子みたいな髪型を直そうとはしないこと”について解釈を描いてみます。

少年は“自分の外見でなく、中身を見てくれる人”を探していたのではないでしょうか。彼は女の子のような格好をすることで、逆説的に自分の中の“男らしさ”を見せようとした、そのような気持ちをわかってくれる、自分の中“男”を見つけてくれる人はいないか、と。

もしくは、彼は戦争の話ばかりをしている大人たちに囲まれていてうんざりしていたため、そのような“醜い大人”になりたくないと願い、せめて少年の今だけでも、美しい髪型を保っていたい、と考えていたのかもしれません。

これも答えはないのでしょう。その他では、“少年が見た夢の意味”、“少年の母親が教育係の女性へ告げた言葉の真意”、“イソップ童話の『ねずみの恩がえし』を読んだ少年が訴えたかったこと”、“カーテンに火が燃え移る意味”なども、観る人によって解釈は違うのではないでしょうか。

おまけ:似ている作品はこれだ!


最後に、前述した『この世界の片隅に』以外で、本作『シークレット・オブ・モンスター』に似ていると感じた2つの作品をご紹介します。

・『エレファント』……高校での銃連続殺人事件を描いた作品。“その顛末”に至るまでの“理由”を描いている他、美少年が主人公であることも本作と共通している。
・『悪の法則』……麻薬カルテル組織に関係した人間たちを描いた群像劇。こちらも本作と同じく“明確に出来事そのものを描かない”作風である。

『シークレット・オブ・モンスター』はとても観る人を選ぶ作品ですが、『エレファント』や『悪の法則』が好きな人は気にいるかもしれません。ぜひ、観た後は、不可解なシーンの意味を考えてみたり、一緒に観た人と話し合ってみてください。

■このライターの記事をもっと読みたい方は、こちら

(文:ヒナタカ)

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

RANKING

SPONSORD

PICK UP!