『3月のライオン』後編は将棋に救われる人々の姿を描く感動作だった!



(C)2017 映画「3月のライオン」製作委員会



3月に公開されたばかりの前編に続き、2ヶ月連続で現在後編が公開中の話題作、『3月のライオン』。

前・後編の間を空けること無く公開し、前編のラストでは後編の予告編も上映されるなど、上手く観客の期待を繋げることでヒットに導いた本作の戦略もあってか、今回鑑賞した公開初日の最終回では、場内はほぼ満員の盛況振りだった。

ただ、一つだけ心配だったこと。それは後編の予告編からの印象では、どうやら将棋の対決よりも3姉妹のエピソードの比重が大きいのでは?という点。

頭をよぎるのは、同じ大友啓史監督による『るろうに剣心』2部作の苦い経験だったのだが・・・。さて、果たして前編の熱い「将棋アクション」的盛り上がりに対して、後編はどんな内容になっていたのか?

予告編


ストーリー


プロ棋士の桐山零(神木隆之介)が、川本あかり(倉科カナ)、ひなた(清原果耶)、モモ(新津ちせ)の川本家3姉妹と食卓を囲むようになって1年。彼女らとの交流に安らぎを感じる一方で獅子王戦に臨もうとするが、幸田柾近(豊川悦司)は頭をけがして入院、その娘・香子(有村架純)は妻のいる後藤正宗(伊藤英明)との関係に悩み、二海堂晴信(染谷将太)は自身の病気に苦しむなど、それぞれ試練に直面していた。さらに、川本家には3姉妹を捨てた父親が現れたことで不穏な空気が漂い始める。


期待と不安で迎えた後編。一見地味な人間ドラマ、だが実は彼らの人生こそ将棋の対局そのものだった!


実は前編のラストに流れた後編の予告を観て、若干の不安を感じていた。

冒頭でも触れた通り、どうやら将棋の対局よりも、3姉妹側のエピソードがメインとなる印象を受けたからだ。特に不安だったのが伊勢谷友介演じる、3姉妹の父親の登場!正直、せっかくの前編での盛り上がりが、新キャラの登場により、大きくそのバランスを崩すのでは?と思ったからだ。



(C)2017 映画「3月のライオン」製作委員会



恐らく、前編のような将棋アクション映画を期待して行くと、「え、これじゃ無い」感が大きいのではないか?そんな予想で鑑賞に臨んだ本作だが、いやいや、その心配は無用だったようだ。

後編での将棋対決は、主に前半の宗谷冬司名人との記念対局と、クライマックスの後藤正宗との決勝戦の2回に集約されており、前作のような「熱く燃える将棋対局の連続!」を求める観客には、確かに地味な印象を与えるかも知れない。

3月のライオン 宗谷冬司(加瀬亮)


(C)2017 映画「3月のライオン」製作委員会



しかし、前編で対局が実現しなかった、伊藤英明演じる後藤との直接対決では、ここに至るまでに重大な人生の岐路に立たされた二人が、もはや己に残された物は将棋だけ!との悲痛な想いで対局に臨むという、前編以上に燃える展開を見せてくれる。

ただ、この対局では、零が最大の危機から突破口を見出すまでの説明がやはり不足しており、正直、何で零があの手を打てたかが、観客には不明のままで物語が進んでしまうように感じた。この辺の演出は、やはり前編の様に「応援する仲間たちの心の声に支えられて勝つ!」方がより燃えるのでは?と思ったのだが、なるほど、周囲との関係性を絶って決勝戦に臨む、二人の喪失感と悲壮な想いを表現するには、このような描き方もまた効果的なのかもしれない。

将棋の対局部分が二箇所に集約されている、と書いたが、実はこの後編においては、登場人物の生き方やエピソードそのものが、各人にとっての「人生と言う将棋の試合」として描かれていることに気が付いた。そう考えると、実はこの『3月のライオン後編』は、全編が将棋の対局だと言えるのだ!

3月のライオン サブ4


(C)2017 映画「3月のライオン」製作委員会



例えば、原作マンガとはまた異なる展開を見せる、いじめ問題に対する対処方やその結果などは、守りを固めて相手の攻めに耐え続け、好機を待って反撃に転じる戦法!と見ることが出来る。更には、私生活での大きな変化により、将棋一筋に集中出来るようになった後藤正宗が、決勝戦では今までの重厚さを捨てて攻撃に出る、という展開も、彼の人生の転機がその将棋にも影響を及ぼしたことが見事に表現されていると言える。

ただ一点だけ、前半部での宗谷冬司名人との対局での敗北と、その後に続くある人生の失敗から、主人公零が何を学んで、それをどう将棋に生かして勝てたのかが、少し観客に判り難かったのでは?そう感じたのが残念だったと言っておこう。

最後に


同じ140分という長編でありながら、全く長さを感じさせなかった前編に比べ、正直この後編はちょっと長いと感じた。

それはもちろん「退屈」だった、という意味では無く、原作漫画でも未完の本作が、果たしてどういうラストに着地するのかが、中々見えて来なかったからだ。

前編にあった、『ロッキー』ばりの将棋アクション映画感は確かに薄れているが、将棋と人間ドラマの部分をバランス良く配置しているので、思ったほどにはドラマ重視の印象を受けなかった本作。

ラストで零が口にする「あるセリフ」に代表される様に、将棋によって自分の人生を狂わされた、或いは将棋に打ち込むあまり人生の多くの部分を犠牲にした人々が、最終的に将棋を通じて心を通わせあい、将棋に救われ、再び人生に向き合うようになる、という決着の付け方は、まさに映画独自の素晴らしい選択だったと言える。

ネットでの評価も、絶賛評と「前編に比べてやはり地味」とで大きく分かれているだけに、是非ここは劇場で2本見比べて頂いて、ご自分なりの結論を見つけて頂ければと思う。

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(文:滝口アキラ)

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