映画コラム

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2017年05月11日

「美女と野獣」、過去の実写版を振り返る

「美女と野獣」、過去の実写版を振り返る



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世界で大ヒットを記録している話題作、「美女と野獣」が日本でも公開されました。

「美女と野獣」といえば、ディズニーのアニメ映画が原作なのではないかと思いがちですが、1700年代にフランスで書かれた小説がオリジナル。

1946年にジャン・コクトーが「美女と野獣」を初めて実写化し、その後、何度か実写版「美女と野獣」が製作されました。

同じ原作であっても監督によって、解釈、そして脚色が異なる「美女と野獣」。ディズニーの実写版「美女と野獣」を観る前に、過去の実写版を振り返ってみたいと思います。

1946年ジャン・コクトー版「美女と野獣」


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フランスの詩人、小説家、劇作家、映画監督であったフランスのアーティスト、ジャン・コクトーは1946年「美女と野獣」の実写版を製作しました。

「美女と野獣」は「オルフェ」と並び、ジャン・コクトーの代表作の一つとして評価されている作品。ジャン・コクトー版「美女と野獣」は一体どのような作品なのでしょうか。

アングラ的な「美女と野獣」


ジャン・コクトーが「美女と野獣」を製作したのは、1940年代。フランスでは当時白黒映画が主流でした。

「美女と野獣」はもちろん、モノクロ。ジャン・コクトーは映画の中で、野獣の城をホラー的なテイストを加えながら、描いています。お城の中のランプを壁から出てきた人間の手が持ち照らしていたり、動く目の銅像が城を監視しています。

ベルもまた髪のセットアップなど、全て壁から出てくる手が全てやってくれると、兄やその友達に話しています。なんとも不気味な世界です。

このような手や動く目の銅像は魔術の一つと描かれているのでしょうが、現在のようにCG技術のない時代においては、アングラの世界観が感じられます。それがまた映画の緊張感を保っており、ベルと野獣の心理劇を盛り立てる要素になっているように思われます。

ベルの心情の変化と共に物語が進む


ジャン・コクトー版「美女と野獣」は、ベルの心情の変化と共に物語が進みます。

ベルは父の身代わりとなって、野獣のもとへ向かいます。野獣に殺されると思っていたベルですが、野獣は美しいベルにすぐに「結婚してほしい」と求婚。ベルは「野獣」とは結婚できないと断り続けます。そんな野獣は苦しみます。

ジャン・コクトー版の中では、野獣がベルと出会うことによって人間らしくなっていくストーリーではなく、野獣は外見は恐ろしい形相をしていますが、中身は純粋な野獣にベルの思いも変わっていくという風に物語が展開されます。

ベルはどのような女性なのか?


映画の中でベルは、姉たちに虐げられ、父の代わりに野獣のもとへ向かい、病に倒れる父を心配し続けるという健気な女性として描かれています。野獣の外見でなく、心を愛する女性なのですが、ジャン・コクトーは映画のラストで一種の問いかけをおこなっています。

以前ベルに求婚し続けていた兄の友達アヴナンが野獣の館の財宝を盗もうと、窓を割り中に入ろうとしたところで、銅像の矢に打たれます。すると、死にかけていた野獣がアヴナンの姿となり、アヴナンが野獣の姿へと変わります。ベルもアヴナンそっくりな王子様にびっくり。そこで王子は「彼を愛していたのか」と尋ねます。ベルは「ええ」と答えます。

ジャン・コクトーの映画の中では、真実の愛はテーマになってはいないように思われます。この過去形であったとはいえ、ラストで「アヴナンを愛していた」というベルの告白には、正直拍子抜けをするほど。

そして容姿がそっくりなことが嫌だと言ったり、その後すぐに問題ないというベルは気まぐれ。魔術によって矢に打たれた者の姿と入れ替わるのか、それともベルの愛する者の姿に変わることができたのか、果たしてベルは映画の中で描かれているような純粋な女性なのか、疑問を持たせるラストとなっています。

ハッピーエンドにも関わらず、ジャン・コクトーらしい含みを持たせる映画となっています。

2014年クリストフ・ガンズ版「美女と野獣」


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2014年に公開された日独版「美女と野獣」は、日本でもヒットしたので、ご覧になられた方も多いのではないでしょうか。

「美女と野獣」はフランスで語り継がれてきた物語。フランスでも「美女と野獣」は、コクトー版はあまり知られておらず、ディズニーのオリジナル作品だと思っている人も多いのだとか。

フランス人の手で「美女と野獣」を映像化したいというクリストフ・ガンズ監督の強い願いのもと、映画が製作されました。

なぜ王子は野獣になったのか ?に焦点を当てた物語


クリストフ・ガンズ版「美女と野獣」が興味深いのは、なぜ王子は野獣になったのかという経緯を軸に物語は展開し、それを知ることによってベルも野獣に惹かれていく点です。

ベルは父親の代わりに、野獣のお城にやってきます。自然の不思議な力によって、ベルは野獣に起きた過去の夢をみます。そこには、ディズニー映画の「美女と野獣」からは、想像できない野獣の過去がありました。この城の主人は、自分の妻である王妃を殺めてしまったのです。

王妃は実は精霊であり、娘を殺めてしまったことに、父親が怒り狂い、王を野獣の姿に変えてしまいました。人間の女性から愛されなければ、本来の姿には戻れない魔術をかけられてしまったのです。

ここで描かれている王は私たちが一般的にイメージする「美しく優しく完璧な王子様」ではありません。王は野蛮で少し傲慢。王妃が殺められる一連のシーンは血生臭さ、リアリティーを持って描いています。

またベルは夢の中で野獣の過去を知ることによって、野獣の苦しみを理解し、惹かれるようになります。個人的に、野獣の過去を知ることで、ベルが野獣を愛するようになるという設定は、説得力があるように感じました。そして、この野獣の悲しい過去は、「美女と野獣」の物語の奥深さを知り得ることができるように思います。

劇中で赤が意味するもの


美女と野獣 ティザーポスター


(C)2016 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.


映画の中で赤が効果的に使われているが印象的です。

ベルが父親にバラが欲しいと頼み、野獣の館で取ったバラは赤でした。この赤いバラは野獣の怒り。そして王妃が亡くなり赤いバラに埋め尽くされる館は、王妃の愛と血の色。

ベルの衣装がラストは赤になります。これはベルの積極性と野獣への愛を表しているように思います。監督は、映画の中で、様々な仕掛けをおこなっています。それが意味するものを解釈しながら、映画を鑑賞するのも、クリストフ・ガンズ版「美女と野獣」の楽しみ方と言えるでしょう。

ベルは現代的な女性


コクトー版の「美女と野獣」と比べると、ベルは現代的な女性として描かれています。ベルは自分が殺されるかもしれないにも関わらず、野獣に挑発的な態度を示します。

また物語の中の見所の一つ、ダンスシーンでもベルが野獣をリード。そして、映画のクライマックスで野獣の館へ帰れなくなったベルは、彼女の強い願いから、奇跡的に館に戻ることに成功します。

そんなベルは1940年代のベルよりも、私たち現代の女性が共感しやすい女性として描かれています。

さいごに


それぞれの監督が解釈する「美女と野獣」を見比べてみると、この物語の持つ奥深い魅力が味わえるように思います。現在公開中のディズニーの実写版と合わせて、ぜひ過去の「美女と野獣」をご覧になってみてくださいね。

(文:北川菜々子)

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