『民生ボーイと狂わせガール』は日本版『(500)日のサマー』?ネットの評価は本当なの?



(C)2017「民生ボーイと狂わせガール」製作委員会


人気漫画家である渋谷直角の同名コミックを、妻夫木聡と水原希子を主演に迎え、『モテキ』の大根仁監督が映像化した話題作。それがこの『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』だ。

昨年公開の『SCOOP!』でも新たな魅力を見せてくれた大根監督が、果たしてこの原作をどう映像化するのか?原作コミックの読者である自分としても興味深深だった本作だが、果たしてその出来はどうだったのか?

予告編

ストーリー


奥田民生をリスペクトし、彼の様な飾らない生き方に憧れる35歳の編集者コーロキ(妻夫木聡)は、ライフスタイル雑誌の編集部に異動することに。不慣れな環境に苦労しながらも日々奮闘していたある日、仕事で出会った天海あかり(水原希子)を好きになる。仕事上のコーロキのある失敗がきっかけで、二人は急接近。いきなり付き合うことになったコーロキとあかりだったが、あかりの隠された秘密が徐々に明らかになって行き・・・。

ネットの評価は本当?
原作からの改変は果たして成功だったのか?


残念ながら、本作へのネットの感想やレビューには、ヒロイン「あかり」を演じた水原希子へのバッシングが多々見られるようだ。しかし、本作での彼女の演技と存在感、そして大根監督による原作からのキャラ改変が無ければ、間違いなく本作はもっと一般観客に受け入れられ難い作品になっていただろう。



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本作終盤での「あかり」のセリフ。

「私の何を知ってるの?私はみんなが私に望んでたことをしてただけ!」

これを聞いて『ゴーン・ガール』を思い出した方も多かったのでは?
ゴーン・ガール (字幕版)



そう、実は原作コミックでの「あかり」のキャラクターは、映画版よりもかなりダークで得体の知れない女性であり、最終的に彼女がまるでサイコパスだったかの様な説明が描かれるなど、決して水原希子が映画で見せた様な小悪魔的存在には描かれていないのだ。

今回の映画化では、多くの部分は原作の通りに映像化しているのだが、ネコ探しの部分や、コーロキの昔の友人の登場、ラストのパーティー会場など、原作からの改変部分も見受けられるので、気になった方は是非原作コミックの方もチェックされてみては?

前述した通り、本作の鑑賞ポイントは大根監督による原作からのアレンジ部分にあるのだが、実は大根監督の代表作『モテキ』でも顕著だった映画『(500)日のサマー』からの影響は、本作にも良く現れている。

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「あかり」のキャラ変更も実は影響大なのだが、中でも特に影響が見られるのは、本作のエピローグにおける原作からの大きな改変部分だろう。

原作では映画と同様に仕事上でのコーロキの成長と成功が描かれた後、あかりの生い立ちや何故あの様な行動を取る様になったかが説明され、あかりのその後の消息は不明のままで終わる。3年後コーロキもプロデューサーとして成功しているが、彼自身は独身のままだ。ところが映画では、それぞれ二人とも幸せになっているという結果に・・・。

この大きな改変、実はこれこそが大根監督の持つ全男性への「優しい視点」の現れだと言えるだろう。映画で見せる水原希子の演技やキャラクターのまま、原作通りにヒロインが不気味で得体の知れない存在のままで終わってしまったら、確かに観客の反感は彼女に殺到することになっていたに違いない。しかし、映画版の様なエピローグにする事で、お互いにとって過去の恋愛が良い経験となり、現在はそれぞれにお似合いのパートーナーと結ばれている、そんな理想のエンディングを迎えることになる。

この様に、極力ヒロインへの反感や批判が起こらないエンデイングに改変した点も、やはり『(500)日のサマー』との類似点として上げておきたい。映画を見て水原希子の演技が気になった方は、是非『(500)日のサマー』をもう一度見返して頂けると、意外にその共通点が見つかる筈だ。

この改変が、果たしてどれだけ世の男にとっての救いになるか?是非原作コミックの苦い結末と見比べて頂ければと思う。



(C)2017「民生ボーイと狂わせガール」製作委員会



最後に


本作のストーリーの推進力は、実は二つある。

一つは宣伝でも前面に押し出されているような、主人公たち二人の恋の行方。しかし意外にも、予告編や宣伝ビジュアルから受ける印象で、てっきり『モテキ』の様な内容を期待した観客には、本作はある意味期待を裏切る内容となっている。

そう、実は本作のメインとなるのは、もう一つの推進力であるコーロキの編集者としての成長と葛藤の部分だからだ。実際原作コミックでも、メインとなるのはコーロキの仕事の部分であり、意外と「あかり」との恋愛は映画程ベタベタには描かれていなかったりする。

しかも、原作コミックのラストは、映画よりも遥かに男にとって救いが無い。そう、映画の様な「自分も幸せだが彼女も幸せで良かった」、的な甘いラストにはなっていないのだ!

現在ネットに寄せられている本作への不評の要因は、実はこうした観客の期待と原作コミック本来の内容とのギャップから来ていると感じた。

このギャップを埋めるために大根監督が大胆に取り入れた、映画版でのコーロキに対するラストのある重要な改変。果たしてそれが許せるかどうか?その点も本作への評価を大きく左右すると言えるだろう。

ベタベタの甘い恋愛映画の様に見えて、実はあくまでも社会における一人の男の成長がメインである本作。今回の大根監督の解釈が果たして成功しているかそれとも・・。その辺は是非劇場で確かめて頂ければと思う。

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(文:滝口アキラ)

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