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2017年12月05日

映画館にとってポップコーンとは何か、極私的ポップコーン論を添えて

映画館にとってポップコーンとは何か、極私的ポップコーン論を添えて




「想像してごらん、映画館で映画を観ている時のシーンを」と言われたならば、多くの方が『トゥルー・ロマンス(93)』のデートシーンよろしく、座席に座り映写機の光が一筋刺すなか、カップやバケツのような容器に入れられたポップコーンを片手に鑑賞している様子を思い浮かべるはずだ。

「映画と言えばポップコーン」と書くと、何だか某シネコンの宣伝文句みたいだが、なぜ「映画×ポップコーン」というカップリングが一般的になったのかについては、時間を大恐慌以前の米国に巻き戻さねばならない。

ポップコーンは1893年のシカゴ万博以後、移動式ポップコーン製造マシンの誕生により爆発的に普及し、サーカスや祭りの会場など、屋内・野外問わず食べられるようになった。しかし、映画館で食べることは原則禁止されていた。匂いや床に散らばるカスに経営サイドが難色を示していたからである。当時の映画館は高級感をウリにしていたこともあり、安価で手に入る、庶民向けのポップコーンが相応しくないと思われていたという理由もある。

しかし、『ジャズ・シンガー(27)』をはじめとするトーキーの登場/普及により、それまで読み書きの能力を必要としていた「映画」という娯楽に触れることがなかった貧困層や子どもが映画館に足を運ぶようになる。そして、ウォール街大暴落に続く世界恐慌のなかで、街角で安いポップコーンを買い、隠し持って映画館に入場し、映画を観ることは生活の苦しい庶民が楽しめる数少ない娯楽のひとつであった。




そんな不景気の最中、有能なポップコーンの売人たちはビジネスチャンスを見出した。映画館の外で来場者に販売する契約を映画館側と結んだのだ。映画館公認ショップの出来上がりである。他にも、機を見るに敏な劇場の経営者たちはポップコーンマシーンを常設し、大きな利益を上げていたそうである。

ちなみに、日本では1957年に日本初のポップコーン企業として「マイクポップコーン」が設立され、同名商品の製造販売が開始された。コンビニなどでよく見かける青と白のストライプが配されたお馴染みのアレである。以後、同社を筆頭に「レジャーといえばポップコーン」というイメージを牽引していくこととなる。

さて、コーンの輸送/保存効率の良さ、安価であるという利点はもちろんであるが、「映画館にはポップコーンがあって当たり前」という状況になったのは、大まかにいってこのような経緯があった。

つまり映画館にとってポップコーンとは、昔は鼻つまみにしていたものの、いざ付き合ってみたところかなり相性が良く、いつの間にやら相互に依存し、縁が切れなくなってしまったカップルのようなものである。

時計の針を現在に戻す。本コラムの本題は、2017年が舞台の話である。

ここからが本題である。極私的ポップコーン論






筆者は映画館でポップコーンを良く購入する。別に食べたいわけではないのだが、的屋のイカ焼きの如く、つい何となく買ってしまう。最初は雰囲気に釣られて、といった程度だったのだが、食べているうちに段々と「今日はキャラメルのかかりが甘いな」とか「不発弾が多いな」とか「機械は同じだが、あっちの方が新しいから保温のクオリティが高いな」などと考えるようになってしまい、その都度いろいろと考察/比較しては楽しんでいる。

なので、ここからは2017年に映画館で食したポップコーンの概要や気付き、色々と考えたことなどを列挙していく。購入するときの指標にしていただいても良いし、映画にまつわる与太話として読んでもらっても構わない。もちろん、自分のネタとして酒の席で披露していただいても結構だが、映画の感想、というか持論を長々と語る奴や、ポップコーンについて熱く語る奴などは確実にモテないし、何ならウザがられると思う。と、経験者は語る。

ちなみに、筆者の主戦場はシネコンだと109シネマズ二子玉川、TOHOシネマズ 六本木ヒルズ、新宿バルト9あたりで、小箱だと新宿武蔵野館、シネマカリテ、イメージフォーラム、ユーロスペースなどによく行く。この中でポップコーンを常設販売しているのはシネコン三館と、新宿武蔵野館である。

ざっくりと各劇場におけるポップコーンの特徴を説明すると、109シネマズ二子玉川は施設自体が新しく、二子玉川ライズ内という洒落乙な立地条件も重なり、ポップコーン本体にもそこはかとない気品が漂う。また、購入時に容器を柔らかいビニール袋に入れてくれるというホスピタリティが光る。この手提げタイプのビニールは音もさほど出ず、ポップコーンがこぼれ落ちるのを防いでくれるのでとても使い勝手がよろしい。

また、ここは往年の軽井沢銀座かと見紛うほどに洒落たパッケージで差別化を図る「プレミアムポップコーン」の美味さはなかなかのもので、マッシュルームタイプのコーンが口中で優しく溶ける。量は少ないが、そもそもシネコンのポップコーンは量が多すぎるきらいがあるので丁度良いと言えばその通りである。




一方、TOHOシネマズ六本木ヒルズは、幕間に「ポッ・ポッ・ポップコォーン」とオリジナルポップソングを流しつつ「もう買いましたか?」と観客に語りかけて煽りを入れるなど、ポップコーン販売に対してかなりの意気込みを感じる。ところで、毎回ポップコーンを食べながらアレを観て思うのだが、むしろロビーで流した方が良いんじゃないのか。

TOHOシネマズのポップコーンはバケツ型の他に、シネマイクポップコーンというラインが用意されている。そう、先程登場した日本初のポップコーン企業、マイクポップコーンとのコラボレーションである。「北海道バター醤油味」や「コンソメWパンチ味」など多岐に渡るフレーバーが選択でき、各味のシーズニングを入れた後にシャカシャカと振ってから供される。この、日本ポップコーン界のオールドスクーラーと現代的な「ちょい足し」をミックスさせるという、味の向こうに見える歴史をも噛み締められる点においては、唯一無二のシネコンである。

選択肢が多く、「ここでしか食えない」ということでつい頼んでしまいがちだが、いくつかの注意点もある。まず粉をまぶしてポップコーンに付着させるため、それなりに匂いが出る。もちろん、館内で販売されている商品なので食べてもまったく問題ないが、「ポップコーンだから匂いはそんなに無いだろうと思って購入したら意外と周りに漂ってしまって自分が気不味い」状態に陥ってしまう可能性があるので注意が必要だ。また、専用の袋は手やポップコーンが擦れる音が意外とデカいので、音を立てずに食べるにはかなりの熟練を擁する。

新宿バルト9は、カップ/バケツタイプの容器で味にバラつきがある場合が多く、キャラメルポップコーンのパンチが弱い。と書くと弱点のように思えてしまうが、これはまったく逆の効果を生む。いわゆる「ポップコーンって、昔はこんな味だったよな」と、サウダージが駆り立てられ、その姿勢は昨今の「美味いものしか食べられない」状況に一石を投じているのではとすら思えてくるから不思議だ。




すべての接客や商品に過剰なホスピタリティとクオリティが求められる現代に、誤解を恐れずに言えば「適当でいいんだよこんなもんはよ」という勢いは賞賛に値する。念のために言うが不味いわけではない。むしろ美味い。というか、どうやったらポップコーンを不味く作れるというのか。

新宿武蔵野館は、シネコンと比べれば随分と小ぢんまりとした劇場のサイズ感が功を奏し、「街の映画館」という懐かしきヴィジュアルでまずワンパンを食らわせ、早速の郷愁を駆り立ててくれる点はポイントが高く、あと値段が安い。個人的にはもっと高くて良いと思う。また、近年新装された館内のカウンターの端で存在感を放つポップコーンマシーンの出で立ちもレトロ感溢れ、総じて視覚からも「魅せる」ポップコーンであり、近代的なシネコンでは決して表現できない空気感を演出している。

唯一弱点を挙げるとすれば、席にはドリンクホルダーがひとつしかないので、ドリンクを置いたらポップコーンを置く場所が無いということである。なのでポップコーンを置いたらドリンクが置けない。馬鹿みたいに当たり前のことを書いたが実際に直面すると意外と混乱してしまう。しかし、これは今の映画館が便利過ぎるとも言えるので、大した問題ではない。不便さもまたひとつの楽しみである。

ざっと特徴や感じたことを書き連ねて来たが、全体的なアベレージに関しては109シネマズ二子玉川が高く、多様性やポップコーンの歴史を鑑みるならばTOHOシネマズ六本木ヒルズに軍配が挙がる。昔食べたような「あの味」を体験したいなら新宿バルト9、新宿武蔵野館が良いだろう。身も蓋もない総括になるが、個人的には全部美味い。

ポップコーンの「サイズ感」や「音」についてのあれこれ






ここからは、2017年を通して映画館の影からポップコーンマシーンを見つめ、食べ続けて来た結果、改めて気をつけるべきだと思ったことや、巷間言われるポップコーンについての問題に対する私見などを列挙していく。

まず、そこまでポップコーンを買ったことが無い方への提案になるのだが、ポップコーンの大きさを舐めてはいけない。ファーストフード店で顕著な「写真と実物が大きく違っていた」という写真詐欺的な現象は、ポップコーンにおいても存在する。しかしその結果は逆であり、写真とは違って、やたらデカい容器に山盛りにされて出てくるのがシネコン流である。「あいつが持ってんの、たぶんLだろ」と思ってMを買ったらそれが出てきた時の衝撃といったらない。一人でこれだけの量をどう食えというのかと、遠い目をしながら立ち尽くしている人を何人も見て来たし、筆者も何度も立ち尽くした。

そして、何より音である。ポップコーンは自分が食っている時は気にならないが、他人が食っていると妙に気になる。同じく、ガサゴソと箱や袋を探る音も、本人は細心の注意を払っているつもりでも意外と響く。だが、ここでイライラしてしまうのは、鏡に向かって苛立っていることに他ならない。

ここでマナーやモラルを説くつもりは毛頭ないが、映画館は公共の場である。人様の迷惑も考えなければいけない。静かなシーンでガサゴソやりながら口に放り込み、ワシャワシャとやるのはもってのほかである。静かでなくとも、クライマックスや余韻に浸るために用意されたようなエンドロールで残っているポップコーンに対してラストスパートをかけるのも控えた方が良い。できるだけ爆破のシーンに合わせて食べたり、取る時は弄らず、ツーフィンガーで容器との接地面を少なくしたりなどの工夫を凝らしていきたい。

飲食物の販売は映画館の収入に直結するので、あまり大きな声では言えないので書くが、鑑賞する作品によって購入の是非を検討するのもまた一つの策である。

ポップコーンを購入してワクワクしながら席に着いたものの、余りに映画が静かすぎて食べるタイミングがない。劇伴すら流れない。どうしよう、食べたい。かと言って普通に食べようものなら周りの人が迷惑するだろう。なんとか食べようと指二本で一粒つまみ、口の中に放り込んで歯で噛まずに舌と上顎の辺りで押し付け音を消そうとするものの、弾けきれていないコーンだったため中が硬く、どうしたものかと計画を練るなどしていて映画に集中できなかった経験は筆者も一度や二度ではない。その悲しみの連鎖を断ち切るには、時には「買わない」という勇気も必要なのではないだろうか。

初期の頃とは別の役割を持ち始めたポップコーン






少々後ろ向きな話になって来てしまったので軌道修正するが、個人的な考えとしては、やはり映画にポップコーンは良いものである。正しくは「映画『館』にポップコーンは」と言い換えても良い。

例えば古本屋に入って古紙独特の匂いがした瞬間や、レコード屋に入ってヴァイナルと紙の混じり合った匂いがした瞬間と同じく、映画館に入って、ポップコーンに絡められたバターやキャラメルの暖みのある匂いが漂い「ああ、映画館に来たな」となる、あの瞬間の「何とも言えない」感情は、子供の頃に親に連れて行ってもらった映画館、恋人と一緒に観に行った映画館、一人きりで夜中に行った映画館、そして、今現在居る映画館が一体となった複合的な感情である。

特に嗅覚は「何かを強烈に思い出す」力が強い。春や秋の香り、昔の恋人の香水や、よその家から漂う夕飯支度の匂いなどが鼻孔をくすぐり、思い出が一気にフラッシュバックした経験をお持ちの方は少なくない筈だ。

この点で、たとえ食べずともポップコーンの存在が映画館に与えている影響は大きい。そもそも、映像では表現できない五感である嗅覚、味覚、触覚を全て提供しているのだから。特に嗅覚に関しては、ある一定の人々にとってポップコーンとは、思い出の再生装置として機能しているという側面すらあるのではと感じる。ずっとずっとそこにいる、当たり前に存在しているものは、地味ながらも強い。

トーキーの創成期より、お互いの利益関係から付き合い始めた映画館とポップコーンはいつの間にやら相思相愛になり、今や当初の事情のみならず、別の役割や機能すら持ち始めて来ている。そんなポップコーンの今後を見届けるためにも、正直ちょっと飽きてきたことは忘れて、来年も映画館に通ってポップコーンを食べながら、映画を観続けていくつもりだ。

(文:加藤広大)

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