2017年12月29日

師走も吹っ飛ぶ大快作!『バーフバリ 王の凱旋』が年の瀬の日本を盛り上げる!!

師走も吹っ飛ぶ大快作!『バーフバリ 王の凱旋』が年の瀬の日本を盛り上げる!!

「バーフバリ!」

はい。というわけで、年の瀬が迫る中とんでもない映画が日本にやって来きた! 皆々様覚悟は宜しいか? その名も、『バーフバリ 王の凱旋』! そう、あの伝説の王・バーフバリの帰還である。2017年4月、彗星の如くインドから現れた前作『バーフバリ 伝説誕生』の公開から約8カ月。インド映画らしい壮大な歴史絵巻を展開しつつ、衝撃のラストで幕を閉じた「バーフバリ」シリーズの完結編がいよいよ公開になるのだ!


覚えていますか? 長すぎる回想シーン






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前編にあたる「伝説誕生」で描かれたのは、数奇な運命を辿りながら自身の出自を知った青年・シヴドゥが立ち上がる姿と、彼の父親であり巨大王国マヒシュマティを治めた勇猛な戦士・バーフバリが、国王へと上り詰めるまでに歩んだ道。2つの構成(という名の長大な回想シーン)からなる物語を、マサラムービーということもあって歌や踊りも取り混ぜつつ、大胆にして豪胆な画作りで観客を魅了した。特にスペクタクルシーンは圧巻の一言で、ハリウッド映画を遥かに凌駕するバトルがこれでもかと展開されて観客の度肝を抜くことになった。

「伝説誕生」の上映時間は138分。それだけの上映時間があって前編となると(ちなみに本国版はさらに20分長い)「話が複雑そう」と思われるかもしれないが、実はストーリーは王位継承の骨肉の争いが主軸としているので至ってシンプルだ。時間軸が交錯するので少し頭を使うことになるが、そこさえ押さえられれば、あとはなぜシヴドゥが母・シヴァガミとともにマヒシュマティを追いやられることになったのか丁寧になぞっていくストーリーだと認識すれば良い。

民から絶大な信頼を寄せられている王子・バーフバリと、かたや民の犠牲などものともしない、もう一人の王子・バラーラデーヴァ。蛮族を退けたのち、国母シヴァガミが国王としてバーフバリに戴冠したことが、マヒシュマティ王国の運命を大きく変えていくことになる。そして、忠実なる家臣としてバーフバリとともに闘ったカッタッパが放った、「バーフバリは死んだ」という言葉。さらにカッタッパの口から語られた衝撃的な事実をもって、前編「伝説誕生」は幕を閉じた。

それから約8カ月。ついに、待ち望んでいた完結編「王の凱旋」の公開となる。


前代未聞? まさかの“絶叫試写会”開催






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実は筆者自身、前作「伝説誕生」の初鑑賞は絶叫上映だった。絶叫上映とはもはや説明も不要になった近年の新しい映画鑑賞方法で、映画の内容に応じた声援などの声出し、鳴り物などが認められた上映方式だ。いくつかの呼称があるが、前作はこれまで多くの絶叫上映を企画・実施してきた「V8Japan」の企画による上映での鑑賞だった。

これまでにもたびたび絶叫上映には参加していたが、さすがに初回鑑賞で絶叫上映は初めての経験。しかし結果的に、“ツッコミどころ”が多すぎて「初回が絶叫上映で良かった」というのが率直な感想だ。それは決して映画の内容を批判しているのではなく、こちらの常識を超えた映像やストーリー展開の数々に声を出さざるを得ないパワーを、映画そのものが持っていたからに他ならない。

そして、まさかの後編も続けて初回鑑賞が絶叫上映というスタイルとなった。しかも、試写会の段階で絶叫上映を実施してしまおうというのだから、やはりそれだけ「バーフバリ」が規格外の映画だということがお分かりいただけるのではないだろうか。同じくV8Japanの協力のもと前説で事前にしっかりと観客に絶叫させて場を暖め、いざ上映開始。なるほど5分と経たないうちにタンバリンがシャンシャンと鳴り始め、手拍子とともに「バーフバリ!」コールである。以降も的確な合いの手が入ったのだが、その熱量が、いかに前作が観客に愛され、本作の公開が待ちわびたものだったかを証明しているのではないか。

映画が始まったと同時に、何の誇張でもなく観客はマヒシュマティ民として一体になったのだ。公開前の試写会なので殆どの観客が初見のはずなのに! なぜツッコミがぴたりとハマるのだ! 

正直に書けば、前作はシヴドゥの成長譚でもあったので特に前半は説明的な部分も多く、そのため主人公シヴドゥ(およびバーフバリ)の活劇的な高揚感はしばしお預けという形になっていた(それでもインド映画としての娯楽性は十分に保証されている)。

しかし本作「王の凱旋」はバーフバリのカリスマたる所以をしっかりとオープニングから堪能することができる。例えば象を使ったパワフルかつスペクタクルな演出や、観るもの全てを虜にする勇壮な(つまりは“クソカッコいい”)バーフバリの姿など、序盤から観客のボルテージをいきなり上げてくる。それはもう、叫ばずにはいられない。「バーフバリ! バーフバリ!」と。それだけのカリスマ性をバーフバリはやはり備えており、それに至るまでの過程が前作の時点で観客の中で下地として醸成されている。そのため、あとは流れに飲まれ抗うことなく身を任せればいいだけだ。


常識破壊! これぞインド映画の醍醐味!






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今回バーフバリはシヴァガミの命令によってカッタッパと旅をすることになるのだが、前作以上にバーフバリとカッタッパの関係性が良い。特に二人が見せるバディアクションは豪快な演出もあって爽快感すら覚えるほどで、そんな二人に賛辞を送れるのも、喝采を叫べるのも絶叫上映の利点だと言える。旅の間はほんのいっとき主従関係を忘れて、カッタッパがバーフバリのことを言いたい放題、という描写も上手くストーリーに機能してくる。

それはコメディリリーフとしての役割もあり、インド映画の“喜”の部分を十分に発揮させることになるが、だからこそ物語の後半からの展開に大きすぎる影を落とし込むことになる。なんたるストーリーの運びが上手いことか、前作のラストを頭の隅に引きずりながら観客を楽しませた先に、絶叫上映でありながら発声すらできないほどのシーンが待ち受けているのだ。

しかし、そこはインド映画。持ち上げて、落としたのならば再び持ち上げてくれる! そこで繰り広げられるのは、前作からさらにパワーアップしたバトルシーンだ。それは武力、戦力、技術力全てにおいて前作のアクションを凌駕しており、応援の声を上げるどころか驚愕に次ぐ驚愕の連続でもはや笑いが巻き起こるほど。

だがそこが良いし、それで良いとも思う。軽々とこちらの持つ常識というものを飛び越えられてしまっては、笑うしかなくなるのだ。それは決して馬鹿にした笑いではない。「どこまで見せてくれるのだろう」という期待感と、「これぞ映画だ!」と言わんばかりの大胆すぎる描写の連続が、観客を快楽の悦びに浸らせる。

例えば近年のアメコミブームや、技術革新で実に現実的なSF映画が新たなムーブメントを見せるように、「これがインド映画だ!」「ありがとうインド映画!」と観客の心のドアを押し開ける瞬間が幾度となく到来する。それは観客冥利に尽きることであり、映画の新たな将来性をも感じさせることも意味しているのではないか。

もちろんそのように真面目に捉えるも良し、脳みそがとろけるほどの常識外れのアクションをただひたすらに楽しむも良し。それだけの価値が本作にはあり、それこそが映画の醍醐味でもある。
本作の予告編で示される「空前絶後」「豪華絢爛」「常識破壊」という言葉には一切の誇張がない。それはアクションシーンに限ったことではなく、物語において重要な位置を担うクンタラ王国の王女・デーバセーナとバーフバリの恋愛パートや、マヒシュマティに向かう旅路の中でも、イマジネーションの波となって観客に届けられる。インド映画だからこその、至福のひとときなのだ。


まとめ



本作の上映が行われる大半の劇場が、大晦日も間近に迫った29日からのロードショーとあって中には帰省のタイミングとバッティングしている、という人も多いだろう。自ずと映画館へと向かう足が鈍り、「ソフトが出てからでもいいかな」などと考えがちになるかもしれない。

だが、待ってほしい。むしろ本作のような作品を劇場で観ないでどうするのだ。ビッグスクリーンだからこそ堪能できるアクション。そしてスピーカーを振るわせる音響システム。常識を軽く飛び超える作品をテレビやスマホの画面で済ませてしまうのは勿体ないではないか。

ぜひ、大迫力のアクションを体感できる劇場で鑑賞してほしいし、その高揚感、笑い、息を呑む瞬間をほかの観客と一体になって体感してほしい。可能なら絶叫上映があれば積極的に参加してほしい。きっと、そのときは、必ずこう叫びたくなるはずだ。

「バーフバリ!」

(文:葦見川和哉)

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