『あゝ、荒野』に涙。この“事件”を体験してほしい
どうも、橋本淳です。
1回目を書いたばかりの気がしますが、早くも2回目。有難いことでございます。
今回も烏滸がましくも紹介させていただきます。(敬称略でまいります)
『あゝ、荒野』前編&後編
(C)2017『あゝ、荒野』フィルムパートナーズ
2017年に公開された邦画の中で、高い注目を集めた作品ですね。早速、国内の各映画賞を荒らしている印象です(評価良しの嵐)。
僕も公開前から、菅田将暉×ヤンイクチュンという組み合わせで、携帯の映画アプリに“観るよ”マークをすぐにポチりとチェックしておきました。
原作は1966年に刊行された寺山修司の長編小説。映画版の時代設定は近未来と変更しています。
(C)2017『あゝ、荒野』フィルムパートナーズ
新宿新次とバリカン健二の熱量に、圧倒されます。“役”ではなく、その人物を感じました。片目には、ユースケ・サンタマリア。他に思いつかないくらいのぴったしなこの配役、二人を包み込む奥深さ優しさが滲み出ている。
どの配役を観ても、違和感なく作品の世界に引っ張ってくれる。それぞれチープな登場人物ではなく、奥行きのある人間らしい人ばかりで、全員観ていこうとすると、とても疲れますね(自分そういうところばかり、観てしまう。余所見グセがあります)。
前編後編で5時間超えという、大作。
まだ未見の方は(え、まさか!? まだ未見の方がいるんですか?)、
『え、、そんな長いの、、ちょっと敬遠するわ、、』
なんて言わずにまず観てください、すぐにその世界観とエネルギーにカウンターパンチを喰らいます。
前編のボディブロウは、後編で一気に足に効いてきます、そして重いストレートからアッパーカットが飛んできます。お時間に余裕のある方は、ぶっ通しでみることをオススメします。
(C)2017『あゝ、荒野』フィルムパートナーズ
人間は、それぞれ、孤独。
それぞれの人生の中で、葛藤し、なんとか今の場所から脱却したい変化したい、させたいと、我武者羅にもがく姿に、気づかされ身につまされました。これは映画なんだよなと、観ながら考える。
「よかった現実じゃなくて」と思う自分と、「現実じゃなくていいのかな」と思う自分、矛盾する双方の自分が、ぐるぐると頭の中を駆け巡ってました。今でもぐるぐると。
自分はなかなか泣く方ではないのですが、(動物系映画ではよく泣きます。『オクジャ/okja』では、もう号泣しました。あああ。)ラストの一連のシーンは、泣きました。なんで泣けたのか、言語化出来ない涙。
没入したのか、自分を投影したのか、分からない。
あの会場に、自分もいるのではないかと錯覚するほどの迫力がそうさせたのか。観てから時間が経った今でも。その時の自分を理解することは出来ません。理解しようとはしなかった。
"何故"そうなったかではなく、そうなった現実を受け止めたい。理由より事実、ただそれを。
上手く言葉には出来てませんが(言葉を書く場でありますが、書くことは素人なことを盾に)許してください。ただそうなったのです。
(C)2017『あゝ、荒野』フィルムパートナーズ
是非この映画を皆様も、いや、この“事件”を体験ください。
すでに観た方は、またもう一度。
ではでは、今回も、橋本淳が、おこがましくも紹介させていただきました。
(文:橋本淳)
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