映画コラム

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2020年03月30日

『弥生、三月 -君を愛した30年-』波瑠&成田凌の演技に泣ける!「3つ」の見どころ

『弥生、三月 -君を愛した30年-』波瑠&成田凌の演技に泣ける!「3つ」の見どころ



©2020「弥生、三月」製作委員会



『家政婦のミタ』や『過保護のカホコ』、『同期のサクラ』など、数多くの大ヒットドラマを手がけてきた脚本家・遊川和彦が、オリジナル脚本で挑んだ第二回監督作品『弥生、三月 -君を愛した30年-』が、3月20日から劇場公開された。

高校生の男女が出会ってからの34年間を、3月に起こった出来事だけを繋いで描くという壮大な物語だけに、主演の二人が年齢の変化をどう演じるのか? 非常に興味があった本作。

予告編やポスターからは、長年にわたって男女がすれ違うラブストーリーとの印象が強いのだが、気になるその内容と出来は、果たしてどのようなものだったのか?

ストーリー


1986年3月1日。
高校生の弥生(波瑠)と太郎(成田凌)は運命的な出会いを果たす。
互いに惹かれ合いながらも、共通の親友・サクラ(杉咲花)が病気で亡くなった事でお互いの想いを伝えられず、別々の人生を選んだ二人。
子供の頃に描いた夢に挑み、結婚相手と出会い子供が産まれ…。
しかし、人生は順風満帆ではなく、離婚を経験し、巻き込まれた災害で配偶者を亡くし、あの時に抱いていた夢は断たれてしまう。
希望を見失い、人生のどん底に突き落とされていた時、二人のもとに30年の時を超えて、亡き友・サクラからのメッセージが届く。


予告編




見どころ1:34年の時の流れを表現する手法に注目!



弥生と太郎、この二人の男女が高校1年生から50歳を迎えるまでの長い年月を描く、この『弥生、三月 -君を愛した30年-』。

二人が恋に落ちた1986年3月1日から31日までの出来事が、年代をまたいで日付の順に描かれていくのだが、時には一気に8年後の出来事が描かれたり、物語の大きな転換となる東北の震災以降は、逆に21年前に戻って弥生の過去が描かれるなど、その時間の流れは大きく前後することになる。

それだけに、その時間の経過や年の移り変わりを、どのように観客に理解させるか? この部分が非常に重要になってくるのだが、本作ではちゃんと観客への配慮が考えられている。



©2020「弥生、三月」製作委員会



例えば、映画の後半で21年前に時代が飛んでも、弥生の髪型の違いによって過去の出来事だと観客が理解できたり、日めくりカレンダーをめくるかのような場面転換や、年代が移る時には、必ずスクリーンにもスマホの画面やカレンダーが映るなど、いったい今が何年の出来事なのか? 観客が見失ったり、混乱しないような配慮がなされているのだ。

後述するように、弥生と太郎の外見に過度の"老けメイク"や変化が施されたりせず、1年ずつ順を追って年が経過するのではなく、時には8年、21年と一気に飛ぶ展開が用意されている以上、こうした観客への配慮は非常に大切だと言えるだろう。

二人が歩んだ34年の人生を、劇場で一緒に追体験して頂ければと思う。

見どころ2:34年の人生を演じきる、キャスト陣の演技力!



本作で16歳の高校生から50歳までの人生を演じる、波瑠と成田凌。

ネット上には、「さすがに高校の制服姿には違和感がある」との声も多かったのだが、メイクや服装といった外見上の作られた変化ではなく、その演技力で内面から役の年齢に近づける二人の存在は、本作の大きな見どころとなっている。



©2020「弥生、三月」製作委員会



太郎を演じる成田凌も、息子の成長する姿と合わせて違和感の無い、素晴らしい演技を見せてくれるのだが、"老けメイク"に頼ることなく、50歳を迎えようとする弥生の姿勢や表情で、人生に対する彼女の諦めや老いを見事に表現する波瑠の演技は絶品の一言!

中でも、バスを追いかける走り方で16歳と50歳を演じ分けるシーンは、彼女の演技力が試される名シーンなので、お見逃し無く!

注:以下は若干のネタバレを含みます。鑑賞後にお読み頂くか、本編を未見の方はご注意の上でお読み下さい。

見どころ3:34年にわたる男女の人生と日本の姿に注目!



予告編やポスターからは、感動のラブストーリーとしての印象を受ける、この『弥生、三月 -君を愛した30年-』。

だがそこに登場するのは、長年にわたる男女のすれ違いや出会いと別れだけではなく、この34年間に日本という国が経験してきた、経済の破綻や災害といった厳しい現実の数々が、同時に描かれることになる。



©2020「弥生、三月」製作委員会



例えば、映画の中では完全に悪役として描かれる弥生の父親も、海外ドラマ『THIS IS US/ディス・イズ・アス 36歳、これから』を思わせるエンディングの描写によって、その変貌がバブル経済の崩壊にあったことが分かるし、弥生の結婚生活を破綻させ絶望に突き落とす東北の震災が、同時に無気力だった太郎の人生を再び動かすきっかけとなるなど、その巧みな構成のおかげで、観客が安心して作品世界に没頭できるのは見事!

特に、自分を曲げない生き方を貫くあまり、時に激しく衝突し挫折を味わう弥生の姿は、過去の遊川和彦脚本ドラマの主人公たちを思わせるものとなっている。

紆余曲折を経て、亡き親友・サクラの時を超えたメッセージや、太郎の変わらぬ想いに支えられ、ついに昔と変わらぬ姿を取り戻す弥生の姿が描かれるのと同時に、彼女の昔の担任教師の認識や言動が全く変わっていないことや、80年代のAIDSへの偏見・差別と呼応する形で描かれる、福島からの転校生に対するいじめ問題は、時が経っても全く変化の無い人々の意識や社会に対する、鋭い問題定義や怒りを観客に伝えてくれるもの。



©2020「弥生、三月」製作委員会



年齢を重ねて大人になるにしたがって、次第に上手に立ち回ることを覚えていく人々。

そんな中、現実問題に対して見て見ぬふりや、傍観者でいることを許さない。こうした主人公の生き方が、現実の社会で様々な不満や疑問、そして閉塞感を感じている観客の心を掴むことになるのだ。

人々が同調圧力に従ったり、無関心・傍観者としての立場を選択した結果、その後に続く世代や社会がどのように変わっていたか? 主人公たちの人生を辿る中で、観客も改めてその過程を追体験させられることになる本作。

それだけに、壮絶な人生を経て再び教室に戻ってきた50歳の弥生のセリフが、その場の人々の心を動かし太郎の息子の将来を救う展開には、これから日本が進むべき未来への希望が込められている、そう感じずにはいられなかった。



©2020「弥生、三月」製作委員会



34年にわたる二人の男女の物語と同時に、いかに日本が厳しい状況を経験してきたか、そして日本がなぜ現在のような社会になってしまったのか? その過程が描かれていくことになる、この『弥生、三月 -君を愛した30年-』。

もちろん、弥生と太郎のラブストーリーや、泣ける感動作としても充分楽しめるのだが、その根底にある社会への鋭い問題定義や、傍観者でいることへの静かな怒りといった部分にも、ぜひご注目頂ければと思う。

最後に



個人的に非常に記憶に残ったのは、一方が乗って走り出すバスの後を、もう一方が必死に走って追い付こうとする、そんな弥生と太郎の姿が時代を超えて繰り返し登場する点だった。

なぜなら、走るバスの座席に座る人物の目には、前方へと進む未来の姿しか見えておらず、その姿を後ろから追いかける人物とは、決して視線が交わされることがない。

この描写だけで、各時代の二人の関係性がビジュアルで理解できる上に、バスに乗る側と追う側の立場を換えて繰り返し描かれることで、すれ違う二人の間に存在する大きな隔たりが、観客にも実感できることになるからだ。

それと対照的に描かれるのが、帰りの電車に乗り込んだ弥生を、発車間際に太郎が抱き寄せて降ろさせる描写だった。

ここでは電車のドアを挟んで、お互いを見つめ合って立つ二人の姿が描かれ、そこから初めて太郎が弥生に告白し、二人が結ばれる展開へと続くことになる。

こうした、電車とバスや二人の立ち位置の違いによって、お互いの状況や心情を描く手法も素晴らしいのだが、更にバスを追いかける16歳の弥生の姿との対比により、彼女の人生に訪れた"老い"や"折れた心"という残酷な変化を象徴する描写は、前述した50歳の女性を内面から演じる波瑠の見事な演技もあって必見の名シーン!

この"老い"や"折れた心"という残酷な現実が描かれるこそ、ラストで再び走り出す弥生の姿に、観客も心を動かされることになるのだ。



©2020「弥生、三月」製作委員会



ただ残念なのは、34年に及ぶ男女の人生を限られた上映時間内で描くため、時として強引な展開や偶然が登場する点。特に終盤の本屋のシーンに関しては、実際に多くの方がネット上で言及されているのを目にすることができた。

一応本編中では、弥生が本が好きという理由付けがセリフで用意されているのだが、確かにあまりにタイミングが良すぎるのでは? そう思えたことは否定できない。

加えて、本編中で何度も使用される、サクラの好きだった「見上げてごらん夜の星を」の歌が、ある意味"万能カード"のように都合よく使われているのでは? そう感じたのも事実。

お互いの本心を隠し、すれ違いを続ける二人をサクラの想いが引き合わせる。そのための重要なカギとして、この歌がタイミングよく繰り返し流れる演出を受け入れられるかどうか? この点が本作の評価に大きく関わってくることは間違いないだろう。

実は、弥生に降りかかる、これでもか! というほどの辛い試練は、同じ遊川和彦脚本によるドラマ『同期のサクラ』の展開を思い出させるほど。

同調圧力に屈したり、その場の空気を読んだ大人の対応として、自分の意見や正論を胸の内に飲み込むことが、果たして正解なのか?

誰もが生き辛さを抱えていたり、自分の本心を偽ることが多い現代にあって、遊川和彦作品に登場するキャラクターのブレない行動や考えは、まさに我々観客の不満や怒りを代弁してくれるもの。

だが、彼らを決して正義の存在として祭り上げることなく、逆にその生き方や言動が、彼らを逆境や不幸に追い込んでしまったり、挫折によって社会との関係を絶ってしまう展開が用意されることで、強烈な個性を持つ主人公に人間的な弱さと現実味が与えられることになる。

だからこそ、自分の生き方を見失った主人公が、今度は過去に自分が関わって影響を与えてきた人々の想いや行動に支えられ、人間的な成長や社会との接点を取り戻すという展開に、観客が感動し拍手喝采するのだ。

男女のラブストーリーの中に、正しい道を貫くための代償の大きさが描かれる、この『弥生、三月 -君を愛した30年-』。

自粛ムードの世の中だからこそ、是非観て頂きたい作品です!

(文:滝口アキラ)

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