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映画『ミスト』があのラストに至った「3つ」の大きな理由

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3:不寛容と排他主義、そして「正しさ」にも問題があったから

あの最悪の結末に至った理由は、それぞれの派閥に属する人間の不寛容と排他主義にも原因があると考えます。

例えば、カーモディは序盤に「偉そうにしないで。あなたを友達にするくらいなら、トイレの汚物の方がマシ」と言い放っており、終盤でも「私たちの信仰、価値観、生き方を嘲笑い、謙虚さ、経験さを罵倒し、私たちを無視し、からかうのだ」などと、徹底的に自身の信奉者以外を「我々を蔑む愚かな存在」だと決めつけていました。

ニューヨークの一流弁護士であるノートンは、触手に襲われたことを説明するデヴィッドのことを信じられず、「くだらんジョークはやめろ。去年に訴えたからその報復か?」などと言うばかりか、その後も証拠が不十分だとしてデヴィッドたちに協力することなく、スーパーから脱出をします(その後の消息は不明)。

そして、デヴィッド自身も前述したようにカーモディを宗教狂いのイカれ女だと蔑み、完全に決別します。その仲間の老教師のレプラーも、ジムに向かって「妹も私の教え子ね。成績の悪い兄妹だったわね」と言わなくてもいい罵倒をしていたりもしました。

このように、それぞれの派閥にいる者たちは、他の派閥の者たちに協力はもちろん、受け入れようともしない、それどころか蔑視や嫌悪感を露わにしてばかりでした。それでいて、自身たちの派閥のリーダーには疑問を抱くことなく追従してしまっているのです。劇中の「恐怖にさらされると人はどんなことでもする。解決策を示す人物に、見境もなくしたがってしまう」という言葉通りに。

この物語を思い返せば、「自身の属する派閥の価値基準や判断は間違っていないか?」「自分の派閥以外の者に排他的だったり、侮蔑的な態度を取っていないか?」と、我が身を振り返るきっかけにもなるでしょう。デヴィッド、カーモディ、ノートンというそれぞれの派閥の者(リーダー)たちが、お互いに寛容な態度を取り、過度に対立することがなければ、あの結末には至っていないはずなのですから。

そして、何よりも皮肉的なのは、彼らのほぼ全員が、自身が「正しい」行動をしていると、恐らくは信じきっていたことでしょう(ジムは一度自らの判断を謝っていますが)。正しいと思ってやったことが悪い結果を生み、それが間違いだと認めないことで、さらに最悪の結果へと至ってしまう、ということも現実では往々にして良くあることです。

この映画『ミスト』のラストは、何度も言うように最悪だと断言できるものです。しかし、この最悪の結末があってこそ、逆説的に「こうならないため」にできることを、あらゆる方向性から考え、そして生きるための希望も得ることができるはずです。

(文:ヒナタカ)

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