映画コラム
『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』レビュー:怪獣映画の革命的平成三部作の総括!
『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』レビュー:怪獣映画の革命的平成三部作の総括!
1999年『ガメラ3』
タブーへの挑戦
こうした勢いに乗って、いよいよ製作された平成シリーズ第3弾『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(99)は前2作以上の野心作としてお目見えすることになりました。
『ガメラ2』のラストで「ガメラは地球の守護神であり、決して人類そのものの味方というではない」といったメッセージが提示されていますが、そこをさらに深く掘り下げたシビアなストーリーが展開されていきます。
まずは、怪獣同士の戦いのあおりを受けて犠牲になった人々の忸怩たる想いとは?
本作では渋谷でガメラVSギャオスの死闘が展開されますが、これによって街は崩壊するとともに、その阿鼻叫喚の地獄絵図とともに多大な犠牲者を生み出します。
ミニチュアのビルや建物が怪獣同士の戦いの中で壊れていく中、「もしあの中に人がいたら?」とでもいった、怪獣映画や特撮ヒーローものを見続けるうちにふと感じる疑問、しかしながらそれを口にするのはどこかためらわれてしまうタブーを、本作はパンドラの箱を開くような感覚で露にしていくのでした。
そして第1作のクライマックス、ガメラVSギャオスの死闘で両親を亡くし、ガメラを憎み続ける少女・綾奈(前田愛)の存在は、従来のこの手のジャンルには決して登場することのなかったキャラクターであり、一方では第1作の浅黄(藤谷文子)、第2作の穂波碧(水野美紀)と対比される存在でもあります。
特にかつてはガメラと心を通わせつつも、自身の成長と共に今はそれが叶わなくなった浅黄と、今まさに邪神〈イリス〉と心を通わせている綾奈は、真逆に位置する存在ともいえるでしょう。
またこうした関係性に伴い、第1作の長峰真弓(中山忍)が浅黄と共に再びメインとして登場し、浅黄と綾奈の中間的存在としてクールに物事を対処しようとしていく構図が、タブー破りの本作の中で大きな救いの拠り所にもなっていくのでした。
一方で本作は1999年3月6日に公開されていますが、この年こそ「1999年7月に地球が滅びる」とでもいったノストラダムスの大予言が当たるか当たらないかに、日本人の多くが注目していた年でもありました。
今では笑い話にしかなりませんが、この予言書が1970年代に日本国内で一大ブームになったとき、特に当時の子どもたちは「1999年に自分が死ぬのだ」といった意識を、大なり小なりどこかで植えつけられていた節があったのです。
そういった不安感と巧みにリンクしたのがTVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(95~96)であり、その劇場版『シト新生』『Air/まごころを、君に』の2部作(ともに97)を経て『ガメラ3』が発表されていることも何やら象徴的で、現にエヴァの制作にも携わっていた樋口真嗣特技監督の特撮ショット、特に巨大化したイリスの見せ方などにエヴァとの類似性を見出すことも可能でしょう。
エヴァ、ノストラダムス、世紀末といった要素は、製作サイドというよりも当時の観客サイドの心の混沌とした隙間を埋めるような形で忍び寄っていき、それが『ガメラ3』の鑑賞に良くも悪くも影響していった感があります。
現にこの第3作は前2作に比べると戸惑いと共に賛否をもって迎え入れられ、未だに正当な評価を得られていないのではないかといった憾みがあるのも事実。
しかし、そこから時が過ぎて21世紀に入り、徳間大映の全事業は徳間康快社長の死後、角川書店=現KADOKAWAに委ねられ、その体制下で平成シリーズとは無関係の『小さき勇者たち~ガメラ~』(06)も2006年に製作されましたが、こちらのシリーズ化は叶いませんでした。
そして日本人が東日本大震災やコロナ禍といった未曽有の災いを次々と体験していく中、ふと『ガメラ3』のラストの後を想像してしまう映画ファンがこのところ急増してるようでもあります。
ガメラが地球の守護神であるとしたら、今の世界の中でどう立ち回るだろうか?
ギャオスは悪しきウイルスを形態化したものとして捉えられるのではないか?
こういった状況下で、第1作のドルビーシネマ上映が成された2020年11月27日(この日は昭和の『大怪獣ガメラ』公開初日でもありました)、舞台挨拶の壇上で中山忍が金子監督の横から「“令和ガメラ”が見たいです」と公言し、満場の拍手が轟きました。
金子監督も4月11日に池袋HUMAXシネマズで開催された「ガメラ降臨祭」の中で「既に構想はある」とコメント。
『ガメラ3』のラストからおよそ20年を経て(またこの間『シン・ゴジラ』や『シン・エヴァンゲリオン』が発表されたことで、改めて平成ガメラ・シリーズの本質が明確になっていった感もあります)、地球はどのように変わったのか? もしくは全く新たな設定で挑むのか?
興味は尽きませんが(監督曰く、中山忍の長峰は出したい構想もあるようです)、今後の企画実現の期待も込めて、ぜひ『ガメラ3』ドルビーシネマ上映に足を運んでいただけたら幸いです。
特に今回の上映で本作の再評価が促進されることも必定ですし、同時に平成ガメラ・シリーズそのものがいかに映画史上に残る優れたエンタメ快作であったかを改めて体感できることでしょう。
(文:増當竜也)
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