『犬は歌わない』レビュー:野良犬の日常から綴られる、人間の犠牲となった動物たちへの敬虔な想い
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『犬は歌わない』レビュー:野良犬の日常から綴られる、人間の犠牲となった動物たちへの敬虔な想い
■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT
実に不思議なドキュメンタリー映画を見てしまった!
というのが第一印象です(もちろん良い意味で)。
犬のライカと聞くと、映画ファンならすぐにラッセ・ハルストレム監督の出世作『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』(85)を思い起こすことでしょう。
あの作品の中で主人公の幸薄いイングマル少年は「ソ連の人工衛星に乗せられて宇宙へ行ったライカ犬に比べれば、僕の人生なんてまだマシ」などと、達観とも自嘲とも思えることを日々考えていましたが、この『犬は歌わない』を見ると、イングマル君ならずともライカの悲劇に心痛めながら想いを馳せてしまうこと間違いなし。
とはいえこの作品、ソ連やアメリカなどの宇宙飛行開発史に伴う動物たちのアーカイヴ映像を通して、その悲劇が語られてもいますが(ライカも実に可哀そうな最期を遂げています)、実はその倍以上の尺をもって描出されていくのが、何と現在のモスクワを生きる野良犬たちの姿なのです。
実はライカも、かつてモスクワの街角で健気に生きていた野良犬でした。
そして映画は、ライカの子孫のような現在の野良犬たちの過酷な日々のサバイバルを通して、人間のエゴが動物らにもたらす非道の数々と同時に、生命のはかなさもたくましさも両立して訴えているのです。
犬たちを徹底してローアングルで捉え続ける、キャメラ・ワークの素晴らしさ!
また、要所要所に挿入されるナレーション・ダイアローグは、そのつど観る側の心のツボを押しこんでは「自分たち人間は一体どこまで理不尽で、傲慢であるのか?」と自問自答させるほどの秀逸な効果をもたらしてくれています。
宇宙開発のみならず、さまざまな科学技術の発展の裏で犠牲になっていく、それこそ例えばワクチン開発のためのモルモットとなる動物たちのことなども鑑みるに、こうした弱肉強食の現状をいかに今後クリアしていくべきなのか?
本作の中の野良犬たちもまた、猫を駆るなどの狩猟本能を露にしていく姿を包み隠さず捉えていますが、それは人間に対するアンチテーゼにも成り得ているように思えてなりません。
少なくとも人間は人間のみならず、動物たちの命に対しても敬虔であってほしい、そう願わずにはいられなくなる作品ですが、それにしてもやはり通常のドキュメンタリーの枠を大いに超えた本作のユニークな発想と構成には、まだまだ映画の可能性というものが多分にあることまで教えられた気分なのでした。
(文:増當竜也)
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