『サイダーのように言葉が湧き上がる』の「7つ」の魅力を全力解説!
6:『竜とそばかすの姫』と好対照なネットへの向き合い方
この『サイダーのように言葉が湧き上がる』は、現在公開中の『竜とそばかすの姫』と合わせて観てみることもおすすめしたい。「少年少女の恋愛青春アニメ映画」という大きな共通項がある一方で、「ネットへの向き合い方がこうも違うのか」と驚けるからだ。『竜とそばかすの姫』におけるネット(SNS)は没入できるVR空間のようなものであり、その「匿名性」を守ることが前提となっていた。細田守監督はネットを肯定的に描く映画であると明言しているが、どちらかと言えばネットでの誹謗中傷といった「暗部」「残酷性」も描くことにも重点が置かれた内容でもあった。
一方で、『サイダーのように言葉が湧き上がる』では、Twitter、LINE、 TikTokなどが融合したような「キュリオシティ」という映画オリジナルのSNSが登場する。そのネガティブな側面はほぼ描かれることはなく、少年少女たちにとって身近な存在であり、表現の場所でもあるという、現実とほぼほぼ同等のSNSの使い方が描かれていた。
もちろん、どちらのネットの描き方が良いか悪いかという話ではなく、好対照という意味での違いである。どちらも、ただの書き割りや小道具のようにネットやSNSが登場するのではなく、物語を動かす重要なファクターとなっているというのは、「現代のアニメ映画」らしくて興味深い。
7:小さな物語だからこそ、得られるものがある
正直に言って、『サイダーのように言葉が湧き上がる』の物語には難点もあるように思う。決して全ての方が絶賛する内容とは言えないだろう。例えば「ビーバー」という落書きをしてばかりの少年がいるのだが、それは言うまでもなく犯罪行為であるし、その言動も生意気すぎて、必要以上にイライラしてしまう方も多いのではないだろうか。もう少し彼に好感が持てる場面もあって良かったように思う。
また、「えっ?そこ飛ばすの?」と思ってしまう、作劇上の大胆なカットもある。これもテンポを良くし、その後の展開を際立たせるための工夫とも言えるのだが、「観たかったものを観られない」というもどかしさも覚えてしまった、というのが正直なところだ。
そして、何より本作には「壮大さ」はほとんどない。『君の名は。』(16)や『天気の子』(19)の新海誠監督作のように、少年少女の恋物語が、世界の命運に関わるようなスケールの大きさを期待すると、期待はずれになってしまうのかもしれない。
ただ、個人的にはこの「物語の小ささ」はむしろ肯定的に捉えている。前述したように「大半がショッピングモールで展開するアニメ映画」というのはそれだけで斬新であるし、この内容でこそ少年少女の、前に進むための「一歩」の物語が際立って尊く思えるからだ。
何より、その小さな物語の中に、たくさんの忘れ難い、素敵なシーンがたっぷりと詰まっている。ファンタジー的な展開がほぼなく、物語も小さいということはむしろ、自分も身近な感動を見つけてみたい、何か人のためにできることをしてみたいという、現実にコミットできるヒントをもらえるということでもあると思う。その上で、クライマックスでは、小さな話だからできた、大きな感動が待ち受けているのが素晴らしい。
イシグロ監督も「コンプレックスを持つ若者たちが、それを受け入れたり拒絶したりしながら、自己を確立していく思春期を爽やかに描いた物語です。彼らと同じようにコンプレックスを抱えている人たちが、『明日からちょっと頑張ってみようかな』と思える内容になりましたので、肩肘張らずに楽しんでいただけると嬉しいです」と語っている。
まさにその通り、本作は落ち込んだり自信がなくなった時でも、「ちょっと頑張ってみようかな」と思える内容だ。それはコンプレックスを持つ持たないという話だけではなく、コロナ禍で今までのような夏休みを過ごせない現実の少年少女へのエールにもなると思うのだ。加えて、今ではなかなか体験することが難しくなった夏のお祭りなどのイベントを、擬似体験できるような嬉しさもあった。
もちろん、父親やおじいちゃんおばあちゃんの世代の登場人物もいるので、同世代の大人もきっと学べることがあるだろう。「今の君たちにも何かできることがあるよ」と教えてくれる映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』を、多くの方に観ていただきたい。
(文:ヒナタカ)
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