弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.17| 『夜の大捜査線』|「ムチをくらわすぞ!」
『夜の大捜査線』は、同年に作られた『卒業』『俺たちに明日はない』『招かれざる客』などを抑えて、アカデミー賞作品賞を獲得した傑作です。
監督のノーマン・ジュイソンは、スティーブ・マックィーン主演の『シンシナティ・キッド』(1965年)で注目され、その後も『華麗なる賭け』(1968年)、『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973年)、『戦争の犬たち』(1980年)、最近でも『ハリケーン』(1999年)など、いい作品をたくさん作っている名匠です。
『夜の大捜査線』は、言ってみれば「刑事もの」あるいは「犯罪もの」なのですが、単純に刑事が殺人事件を解決するだけではなく、人種差別を非常にリアルに描いています。
アメリカで奴隷解放宣言が出されたのは1863年。今から約140年も前の話ですが、その後もずっとアメリカの黒人たちは、いわれない差別を受け続けてきました。1954年の「ブラウン事件判決」までは公立校で白人と黒人は隔離され、黒人の選挙権を確保する公民権法が制定されたのは1957年です。
1965年には白人からの経済的自立を説いた過激な活動家・マルコムXが暗殺され、1968年には公民権運動の代表格であったキング牧師が暗殺されました。
『夜の大捜査線』が作られた1967年というのは、そんな時代だったのです。
特に、映画の舞台になっているのは、ミシシッピ州のスパータという田舎町。北部であればまだしも、南部の片田舎では黒人差別が露骨に存在していたのですね。
ある蒸し暑い夜、スパータに工場を建設するためにやってきた実力者・コルバートが撲殺されます。証拠もない、目撃者もいない。加えて、この田舎町には殺人事件を手がける搜查官もいない。
スパータ署の署長・ビル(ロッド・スタイガー)は、警察官のサム(ウォーレン・オーツ)に、レンタカー店と駅の捜索を命令します。サムが駅に向かうと、一人の黒人が電車を待っていた。サムは相手が黒人というだけで、いきなり銃を向けて威嚇します。
持ち物を調べてみると、財布の中には多くのドル紙幣。これだけで、その黒人は超有力な容疑者。黒人がこんなに金を持っているわけはない、というのがこの町の常識なのです。
サムが署に黒人を連行すると、ビルもいきなり「なぜ殴った?」と犯人扱いです。ですがその黒人は、実はフィラデルフィア警察殺人課の敏腕刑事・バージル (シドニー・ポワチェ)ということが判明するのです。
身分照会が済み、バージルが持っていた金が彼の給料だとわかっても、ビルの不機嫌は収まらない。黒人の警察官が、自分よりも多くの収入を得ていることが許せないのです。
とはいえ、彼には殺人事件捜査の経験がないもので、バージルに検死を依頼する。そしてバージルは、田舎の検視官では気づかなかった数々の鋭い指摘を行なうのです。
バージルの能力は認めざるを得ないものの、ビルは余計彼の存在が気に食わない。黒人で、自分より高給取りで、自分よりも有能なバージルが気に食わないのです。
ビルは彼に帰れと命令し、市長に会う。するとそこには、コルバート夫人が同席している。彼女は、「あの黒人刑事に捜査させないのなら、この町の工場建設は中止します」と言う。そこで市長は、バージルと協力して事件を解決するよう、ビルを説得するのです。
仕方なく、駅に向かうビル。バージルはベンチで電車を待っていました。ですが、ビルは自尊心から、素直に「協力してくれ」とは言えない。バージルも、今まで受けた仕打ちがあるもので、早く帰りたいとしか思っていない。
次第に二人は感情的になっていきます。
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ビル:頼めと言うのか!
バージル:この町は嫌いだ!
ビル:こいつムチをくらわすぞ!
〜怒りの表情から、苦笑いに変化して〜
バージル:親父がよく言ってた 実行した
ビル:俺もやるぞ!聞け、俺は大変な我慢をして言ってるんだぞ
もう一度お前の署長に電話して 協力しろと言わせてもいい
だが お前は白人より切れる そのすご腕を見せてみろ
俺達に恥をかかせて見返してみろ!
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この会話、田舎町の署長が大都会の敏腕捜査官に捜査を依頼しているとは思えません。なにしろ「ムチをくらわすぞ!」ですからね。この会話の中に、白人の黒人に対する接し方、黒人たちが受けてきた仕打ち、といった悲惨な状況が浮き彫りにされています。
この後、捜査に協力することになったバージルは、ビルとともに地元の有力者であるエンディコットの邸宅へ質問に向かいます。エンディコットは綿農業を手広く手がけており、邸宅までの道の両側は一面の綿畑。
「邸宅に着くと、エンディコットは温室にいました。そこでバージルが質問をはじめると、彼はいきなりバージルの頬に平手打ちを食らわす。反射的にバージルも平手打ちを返す。
エンディコットは想像もしなかった出来事に面喰らいながら、涙目で「見たか。本来なら撃ち殺しているところだ」と言います。
当時のアメリカ南部では、黒人が白人に対して感情をむき出しにしたことはなかったのでしょう。黒人は犬猫同然というひどい考え方があって、白人に口答えをしただけで激しい暴力を加えたのだろうし、ましてや、白人に手を上げたとなったら、本当に銃殺されていたのかもしれません。
このいきさつを知った市長が、ビルに向かって「ヤワになったな」と言います。
「前の署長だったら、あの場で射殺していた。正当防衛でな」
この台詞も、当時の南部の状況をリアルに感じさせてくれました。
なぜ、南部の白人が黒人を差別するのかといえば、「使用人だから」「召使いだから」、もっと歴史をさかのぼれば「奴隷だから」ということになるのでしょう。この時代でも奴隷制度はとうの昔に終わっているし、自分の使用人ではない黒人もたくさんいる。にもかかわらず、「黒人は黒人」ということで、まったく自分とは関係のない大都会の捜査官までもを激しく差別してしまう。人間として、実に悲しいことですね。
アメリカで黒人の地位が向上した要因にも、ジャズやブルース、そこから発展したソウルやロックン・ロールの力が大きかったのだと思います。
そして、映画界において黒人俳優のさきがけとなったのが、『夜の大捜査線』の主演俳優である、シドニー・ポワチエです。彼は、ハバナの貧しい家庭に生まれ、苦労の後に『暴力教室』(1955年)で注目されました。そして、1963年の『野のユリ』という作品で、黒人初のアカデミー賞主演男優賞に輝いたのです。黒人が主演を張ること自体が珍しかった時代、これは実に大きな快挙といえるでしょう。
その後、彼の後を追うように多くの黒人俳優が誕生し、2001年のアカデミー賞では、ハル・ベリーが黒人女性として初めて主演女優賞を獲得しました。同年の主演男優賞はデンゼル・ワシントン。シドニー・ポワチエも、アカデミー名誉賞を受賞しました。
この夜、デンゼル・ワシントンは「40年間追いかけ続けたシドニーと同じ夜に受賞できました。あなたの軌跡をいつまでも追い続けることが、私の人生であり生きがいです」とスピーチしました。このシーンには涙が出ました。
暴力にたよらず、自分の実力を白人たちに見せ、それを認めさせた。そんなシドニー・ ポワチエの人生は、『夜の大捜査線』のバージルと重なるような気がしますね。
人種や国籍に関係なくても、ただ単に人から嫌われてしまうということもありますが、反抗的な態度を取ったりグチをこぼしたりしていてもさらに嫌われるだけです。そんなときにでも、できる限りの仕事をして、自分のベストを相手に見せつけることが一番でしょう。そうすればきっと、相手は認めざるを得なくなる。それでも認めないような相手であれば、こっちのほうからサヨナラしてしまえばいいのです。
『夜の大捜査線』のビルも、最終的にはバージルを認めます。捜査官として、そして一人の人間として。
ラストの駅の場面は、なかなかの名シーンです。
ビルはフィラデルフィアに戻るバージルを駅のホームまで送っていくのですが、ビルがバージルの荷物を持ってあげている。心の中で大拍手をしました。これだけでも考えられなかったことです。
そこに電車がくる。ビルはいつもの無愛想な様子で「ご苦労さん、バイバイだ」と言って、荷物を渡してそっけなく歩き出す。その背中の演技が、なんとも言えないくらい巧いのです。そして振り返って「バージル、元気でな」という。見詰め合って微笑む二人。あの笑顔、とても感動的でした。
そこに、レイ・チャールズの歌う主題歌『in the heat of the night』が流れる......。
忘れられないエンディングでした。
そういえば、最後に雑学を一つ。
この映画の音楽を担当しているのはクインシー・ジョーンズですが、作曲家の久石譲さんは、彼の名前をもじって自分のペンネームにしたそうですよ。
弘兼憲史 プロフィール
弘兼憲史 (ひろかね けんし)1947年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年に『人間交差点』で小学館漫画賞、91年に『課長島耕作』で講談社漫画賞を受賞。『黄昏流星群』では、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第32回日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年、紫綬褒章を受章。19年『島耕作シリーズ』で講談社漫画賞特別賞を受賞。中高年の生き方に関する著書多数。
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