『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ”』は被写体やファッションに興味がなくても楽しめる「職人」を捉えたドキュメンタリーである
マルタン・マルジェラの「手」と「匿名性」
ついにメディアに登場したマルタン・マルジェラであるが、本作では顔が映されることはない。その代わり、彼の「声」と「手」が映し出される。マルジェラ時代のドローイングやメモ、子どもの頃に仕立てたバービー人形用の服などが、彼の「手」によって紹介される。その仕草はまさに職人の手付きで、思わずうっとりとしてしまう。
別に筆者が手フェチなわけではない。何かに長けた人物は手の動きが違う。格闘家だろうがバーテンダーだろうが学者だろうが大工だろうが外科医だろうがファッションデザイナーだろうが同じで、ガチの職人は商売道具を扱う手付きが違うのだ。本作は「顔が映せない」制限により、手をメインに映せた点が功を奏している。ここがとにかく素晴らしい。
また、ほぼ完全に匿名性を保っていたマルジェラが、「少しだけ見せる」効果の凄まじさも「職人」であることを強化する。
彼は自分の仕事に対して「受け取り方は人それぞれでいい、そうして欲しい」と語る。職人である。「僕はファッションデザイナー。創るのが仕事だ」とも語る。ギガ職人である。「僕の場合は作品は全てだ」と語る。つまり作品が語り、消費者が語る。テラ職人である。「ファッションで全てを語れましたか?」との質問に一言「NO」と答える。控えめに言ってペタ職人である。
また、自身が退く理由のひとつとして、「ネットの配信が始まって違和感を覚えて、サプライズがなくなってやめた」と語っている。ここもまた職人っぽい。おそらく、SNSが発達した現在で現役だったとしたら、マルジェラはマルジェラとして居られなかっただろう。その点では、彼のクリエイションや匿名性はSNS時代に間に合った、とも考えられる。職人にSNSは必要ない。
さて、『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ”』は、マルタン・マルジェラという1人の「職人」を誠実に捉えているが、本作にはもう1人の職人が登場する。それは監督のライナー・ホルツェマーにほかならない。彼は『マグナム・フォト 世界を変える写真家たち』や『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』などの仕事を経て、ついに難攻不落のマルタン・マルジェラまで撮ってしまった。
ドキュメンタリーは必ず「作り手の意図」が介入してしまうので、完全なるノンフィクションとはならないが、だとしても映像内における監督の匿名性は重要である。ライナー・ホルツェマーは巧みに自分の存在を匿名化し、マルタン・マルジェラを撮る。彼もまた職人すぎる。
本作は「仕事」や「匿名性」について、実に様々な示唆に富んでいる。今だから観られるべきドキュメンタリーでもあるし、今後ファッションの歴史を語るうえで重要な作品にもなり得るだろう。つまり時代の風雪に耐えられるということで、まさに一流メゾンの仕立てのような、職人技が光る1作だ。
(文:加藤 広大)
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