ティモシー・シャラメの魅力 ハリウッドの若き貴公子はディカプリオの後継となるか

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ティモシー・シャラメ。実際の発音としてはティモティー・シャラメが近いそうなんだが、まあソレはいいとして、とりあえずティモシー・シャラメ。なぜだろう、この名前だけでも、どこかアンドロジナスな--性の差異を超えて、男らしさ、女らしさにこだわらない唯一無二としての存在感が--その名前に刻印されているようだ。

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​​新時代のプリンス・オブ・ハリウッド。もしくは、ミレニアム世代のジェームズ・ディーン。もしくは、Z世代のレオナルド・ディカプリオ。彼を形容する枕詞は色々あれど、今映画界が最も注目する若手俳優の一人であることは間違いない。

しかも彼は、カルティエのブランド・アンバサダーを務めるファッション・アイコンでもある。その一挙手一投足がニュースになる、世界基準のポップ・スターなのだ。

本稿では、簡単に彼のバイオグラフィーとフィルモグラフィーを振り返りつつ、ハリウッドに舞い降りた若き貴公子の魅力を探っていこう。

アメリカとフランス、2つの文化に触れた幼少期

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ティモシー・シャラメは、1995年12月27日ニューヨーク生まれ。ミュージシャンのポスト・マローン、モデルのケンダル・ジェンナーと同世代。日本でいうと、土屋太鳳、川口春奈、川栄李奈、松岡茉優と一緒である。

彼が育ったのは、マンハッタンのヘルズ・キッチン(地獄の台所)。名前からして明らかにヤバそうなエリアだが、かつてはギャングがはびこっていた地域で、「アメリカで最も危険な地域」と呼ばれていたそうな。ちなみに、アル・パチーノやシルヴェスター・スタローンもこのヘルズ・キッチンの出身である。

このデンジャラス・エリアも90年代に入ると治安が良くなり、ミッドタウンの隣にあるという立地の良さから、地価も急上昇。ティモシー・シャラメが生まれた頃には、マンハッタンを代表する高級エリアに変貌していた。彼はニューヨークのど真ん中で、あらゆるヒップ・カルチャーを摂取しながら育ったのである。

しかも幼少時のティモシー・シャラメは、父親がフランス人であることから、夏になると祖父母のいるフランスの小さな村で過ごしていた(彼はアメリカとフランスの二重国籍なのだ)。

アメリカとフランスという2つの文化に触れていたことは、彼のコスモポリタンとしての視野を広めたことだろう。もちろん、俳優としても。

「子供の頃、アメリカとフランスを行き来する生活をしていたので、アイデンティティ・クライシスに陥りました。1年のうち8ヵ月をマンハッタンで過ごし、残りの4ヵ月をフランスの小さな村で過ごすというのは、子供にとっては奇妙なことですよね。しかし、この文化的解離は、俳優としての僕を助けてくれたんです」(引用元:https://www.silverkris.com/interview-timothee-chalamet/

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