声優・小林千晃が気になる|「普通」な青少年役が、もう絶っ品


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アニメの長い歴史の中で、若者たちがもがき前に進む思春期、青春期の物語がたくさん生み出されてきた。

大人になるにつれ目の当たりにする、「正しさ」だけでは生きられないのかもしれないという現実。自分の無力さ。思い描いていた理想と実際の自分とのジレンマにもがくキャラクターたちの若く美しい魂は、多くの声優たちの名演によって彩られてきた。

最近、そんな子どもと大人の狭間で密かに苦しむ若者を演じたら天下一品ではないだろうかという声優がいる。小林千晃さんだ。

端正な声に宿る、見覚えのある「普通」

小林さんの声は、「端正」という言葉がしっくりくると思う。爽やかで心地よい、万人に受け入れられそうな印象だ。しかしその特徴は、ちょっと尖ったキャラクターに囲まれてしまうと周囲に溶けこんでしまいかねない側面もあわせ持っていると思う。しかし小林さんが演じたキャラクターの「普通」には、いつかの自分が重なり引き込まれてしまうのだ。

「ブギーポップは笑わない」『サマーゴースト』で表現した「依存」

小林さんが演じた「普通」の1つに、「依存」を挙げる。

©2018 上遠野浩平/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/ブギーポップは笑わない製作委員会

たとえば「ブギーポップは笑わない」竹田啓司。彼は周囲が進路のことで悩む中スパッと就職を決めた、いわゆる“特に問題のない”生徒だ。そんな彼には、下級生からの憧れの眼差しと、同級生からの「お前に私たちと同じ悩みを持つ資格はない」と言わんばかりの嫌味が向けられる。しかし彼もまた、不安を表に出さないだけで自分の進路に悩む「普通」の高校生だ。

小林さんが演じる竹田の声は、声に柔らかさはあるものの、抑揚はあまり感じられない。この表現から、「周りが思う自分であろう」とふるまう竹田の必死の努力が感じられた。

©2018 上遠野浩平/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/ブギーポップは笑わない製作委員会

そんな彼が「学校に巣食った魔物を倒して、世界を危機から救うためにきた」とのたまう謎の少女ブギーポップにだけは感情を出している。竹田は、苦しむ者に手を差し伸べ見てみぬフリをする周囲を咎めた「正しい」ブギーポップに「自分もそうありたい」と理想を重ね、悩む自分をも導いてくれるのではないかと期待したのだろう。危機が去ったため消えると言うブギーポップに、「世界は救われていない」と声を荒げている。

このときの小林さんの演技は、これまでの竹田とはうって変わって感情に素直だ。この表現は、ブギーポップという「自分をさらけ出せる場所」を見つけた竹田の心の安らぎを強調する大きな要因だった。

(C)サマーゴースト

小林さんは『サマーゴースト』で演じた主人公の杉崎友也でも、悩める少年が安らぎを得た演技を魅せてくれた。

ほとんどの志望校が安全圏内という優等生の友也。しかしこの優等生は、彼の本心を犠牲にした結果だ。母親からは勉強内容について細かく指摘され、教師からは「期待している」と声をかけられる……。自分の願望を口に出せないもどかしさを抱えていた。

そんな彼が依存したのが、都市伝説「サマーゴースト」だ。彼は幽霊という非科学的な存在に、「自分が生きる意味の答え」を繰り返し求めた。そしてサマーゴーストと別れる決定打となる出来事に直面した際、彼は動けなくなってしまう。そのときもまた、友也のこれからを不安に思う感情がじわじわと出てくるような、小林さんの演技が光っていた。

自分の芯がしっかりしているように見える人間の中にも当たり前に存在するであろう迷いや不安、それをさらけ出せる人に抱く安心感。小林さんの演技は、完璧なキャラクターの中に、「誰もが持つであろう依存心」をたしかに灯らせている。

「ACCA13区監察課」OVAオリキャラ・パロットの「頭でっかちな青さ」


小林さんが演じた「普通」は、他にも。「ACCA13区監察課 Regards」のパロット役からは、「行動が伴わない未熟さ」という名の「普通」が感じられるだろう。

パロットはACCA本部という組織の中でもエリートが揃う課として一目置かれている監察課に入局する。彼はおそらくこの課に配属されたことを誇りに思っていたのだろう。ACCAの新体制を祝う特別業務とはいえ総務課の使い走りのような仕事を受け入れている監察課と上司のジーンに不満を抱いている。

このときの小林さんの演技は、感情を抑えながらもセリフの端々にトゲを帯びていた。そのちくちくと刺さるパロット感情に、彼が監察課へ抱いていた期待の重みを感じるのだ。

そんなエリートの彼に「青さ」を強く感じたのが、本部長モーブと対面するシーン。彼は目の前の業務以上に、ACCA新体制に伴う不安因子に目が向いている。しかしこれは若手局員の憶測にすぎない。にもかかわらずそれが全てのように思い込み、ことあるごとにジーンへ報告している。一方で、本部長に噂の真相をチャンスが巡ってきたら、彼はその核心に迫る質問を自分からは声に出さず口ごもっていた。



偉い人を目の前に、自分でも憶測だと心のどこかで思っていたことを口にする勇気が持てない。小林さんはそんなパロットの「大人としての経験値の浅さ」を小さな息遣いだけで細やかに演じ分けていたと思う。モーブ本部長に質問をぶつけるときは怯みを、ジーンに反省を述べる際には居心地の悪さと少しの喜びを。この息遣いの細かな違いに、パロットの「多くの人が通るであろう頭でっかちな青さ」と「成長の余白」が感じられるのだ。

「Sonny Boy」朝風の「気恥ずかしさを覚えるほどの脆さ」


小林さんが演じる「普通」には、底がないのだろうか。「Sonny Boy」の朝風役で魅せた中学生の演技にも、気恥ずかしさを覚えるほどの「普通」があった。

突然謎の世界へと飛ばされ中学3年生たちの漂流を描いたこのアニメ。異常な世界の中で彼らには、超能力が芽生える。ごりごりのSFかと思いきや、その本質は青春群像劇にある。しかもキラキラまぶしいタイプのものではない。

この世界で朝風に芽生えた超能力は、重力のコントロールができる「スローライト」。カリスマ的超能力を得た朝風は、同級生たちにも持ち上げられ調子に乗っていた。ちょっと鼻につくカッコつけた感じの声色からは、教育学の教科書のモデルとして載っていそうな中学生っぷりを感じるだろう。

しかし彼のカッコつけが一切通用しない相手が、転校生の希だった。先が見えない世界においても「やってみなければわからない」と前へと突き進み、周りがなんと言おうと自分を信じる希に、朝風は焦がれた。しかしその想いは彼女に届かない。その虚しさが調子に乗っていたときとはうって変わって、声のハリのなさとして表現されていた。



そんな朝風の力を必要だと言ってくれた、あき先生に見せる声の表現にも注目したい。朝風は、救世主ともちあげてくれる彼女の胸に飛び込む。そのときの声は同級生に向けるすましたトーンではなく、子どもらしい甘えを帯びていた。

どんなに強大な力をもっていても、本当に見てほしい人に届かない。その現実を直視できない朝風は、圧倒的な超能力とは裏腹にどこまでも「普通」だ。その姿を見ていると、自分の思春期を思い出してしまう。その気恥ずかしさを感じるほどの彼の脆さを、小林さんは見事に演じ切っている。

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