『ハッチング―孵化―』この素晴らしきホラー映画は「91分で終わる」。これだけで5億点である
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幸せな家族の映像を観せられているのにも関わらず、開始3分で既に嫌な予感しかしない。
美しい母、優しい父、悪戯好きの弟、思いやりのある娘。母はホコリひとつ落ちていないモデルハウスのような家で楽しく過ごす家族を撮影する。映像は編集され、全世界に向けて「理想的な家庭像」が公開されている。
まるで「幸せ」と印刷されたステッカーを貼り付けたような完璧で欠損のない「編集された」家庭の描写は、端的に言えば不自然で居心地が悪く、それだけで不穏な空気を発する。
空気を醸成するのは描写だけではない。ハイスキルな演技に加え、家具や壁紙、ティーカップなどの小物に至るまで、あらゆる美術の完璧さも醸成を促す。さらに決定的なのは、美しくも儚い、北欧に特有の陽光が画面に差しているからに他ならない。本作はフィンランド産映画である。
結論を言ってしまえば『ハッチング―孵化―』は紛れもないホラー映画の秀作で、画作りも素晴らしく、使われている言語も新鮮。構造も普遍的であり、現代にも通ずるテーマ性がある。さらにしっかりとグロく、あらゆるフェティッシュを萌えさせられる可能性すらある。
できるだけ多くの人に観てほしいし、話題になってほしいので、なるべくネタバレを避けつつ、本作の何が新しいのか、何が素晴らしいのかを記していく。
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本題の前に、グロ表現はどのくらいかと言いますと
「ホラー映画は苦手だけど、観てみたい」方向けに、どの程度の怖さやグロさがあるかを少しだけ書いておく。「ホラーは得意でグロ・ゴア・エロは何でも来い」といった方や「ホラー映画を観ながら白飯が食える」人は数段飛ばしてもらって構わない。
まず、ホラー映画に特有の「暗さ」は本作にはほぼ無い。北欧の陽光が不穏すぎるので逆に怖いとも考えられるが、暗闇が苦手な方は問題なく鑑賞できるはずだ。
また音による驚かしはさほどない。だが、グロというか、ヌルっとしたクリーチャーの造形や生々しい傷跡、吐瀉物が苦手な方は注意が必要かもしれない。
怖さとしては、「震えるほど恐ろしい」とかではなく、後述するが寓話的・お伽話的な怖さであるので、「もうガチで怖いのが苦手で、ゴーストバスターズですら失神する」とかでなければ問題ないと思う。
ちなみに、ヌルっとしたクリーチャーや吐瀉物描写は、嫌悪の対象ではなく「萌えて」しまう人もいるはずだ。これらの他にも、本作には多くのフェティッシュを萌えさせる(させてしまう)可能性がある。たとえば「『サスペリア(ルカ版)』の舞踏シーンに興奮した」なんて人は、もしかしたら大好物な案件かもしれない。
というわけで……と前置きされた文章の訳がわかった試しはないのだが、以下から本題に入りたい。
画作りは直近で例えるならば、『へレディタリー / 継承』『ミッドサマー』を足して2で割らない
アリ・アスターラインに似たニュースクールであり、かつ『オテサーネク 妄想の子供』なんかにも通ずるヤン・シュバンクマイエル感もある。シネフィルはさらにあらゆる映画を容易に想起できるだろう。
本作はたぶんアリ・アスターを引き合いに出して語られることが多くなるだろう。多くなるんじゃないかな。そういうことにしておいて欲しい。なので少し補足してみると、本作の舞台となっている家は、『へレディタリー / 継承』で登場したドールハウスにそのまま住んでいるようなもので、何なら劇中にも家の模型が登場する。『へレディタリー / 継承』の登場人物は全員不幸そうで怖かったが、『ハッチング―孵化―』は全員幸せそうだが影がある。どちらが恐ろしいかは言うまでもあるまい。
また『ミッドサマー』の舞台であるスウェーデンのホルガ村は容れ物として使用されているだけで、もともとはB-Reelから「スウェーデンの夏至祭を訪れたアメリカ人が悲劇に巻き込まれる民間伝承を基にしたスリラー映画を作りたい」とのオーダーを受けて製作している。どちらがリアル北欧かは言うまでもあるまい。
アリ・アスターと本作の監督、ハンナ・ベルイホルムが描いているのは共に抑圧だったり、精神疾患だったりするが、後者の方はより寓話的で、悪夢的な恐ろしさがある。アリ・アスターはガチで嫌がらせをしてくるが、ハンナ・ベルイホルムは怖いお伽話を孫に聞かせるような語り口で話を展開していく。どちらが以下略。
で、この寓話的・お伽話的な力を強化しているのが
本作で使われているフィンランド語である。
英語話者やフィンランド語に近い言葉を解す人たちにとってはまた違った意見になるだろうが、この手の構造を持つホラー映画にとって、フィンランド語の語勢や抑揚、間などはまさにガッツリはまっている。
街中に生えている木や花、空の色、室内におけるありとあらゆる装飾、そして差し込む陽光まで、フィンランド語は絶妙な味付けをしてみせる。現地の言葉だからして当たり前なのだが、その力がありありと見せつけられるので、個人的には非常にフレッシュだった。
「どこかで聞いた経験があるけれども、そのどれでもない」フィンランド語は、まさに「異国の寓話」を聞いているようで、ある意味での心地よさがある。これは日本語しか話せない人たち、あるいはフィンランド語がわからない人たちにしか獲得できない、贅沢な鑑賞体験であるとも言えるだろう。
これら画作り、言語を律する構造は
ネタバレになるので具体的な話は避けるが、本作の筋は往年の日本の名作ホラー漫画のようで、明快だけれども、心に抜けない棘が刺さるような余韻がある。
たとえば、日野日出志には『まだらの卵』があるし、御茶漬海苔も『卵』を描いている。『ハッチング―孵化―』と似ているかと問われればそうでもないかもしれないが、「卵」から「何か」が孵る設定は、ホラー作品問わずよく使われている。このあたりの既視感もまた、寓話的・お伽話的な要素を強化している。
上記は表層で、根本的な構造としては「母殺し」の物語である。娘を支配したい母と、母の期待に応えて愛情を得ようとする娘が「恵まれた状況によって拘束」されてしまっている。
「ゴールデンケージ」を著した精神科医のヒルデ・ブルックは、「見かけ上は平和な家族関係の裏に、強い緊張を秘めていることがよくある」と指摘しているが、これは本作の核にそのまま当てはまる。
母親は自信満々に子供に接しているものの、子供の欲求とは離れたものしか与えられず、その結果、子供は親からコントロールされ過ぎていると感じてしまうことがあるそうだ。そして、ある患者の弁によれば、その「鳥かご」を作り出しているのは娘である自分自身だったかも知れないと回顧している。
母親のコントロールと、コントロールに甘んじてしまう自分。これはまさに本作の母と娘のティンヤ(シーリ・ソラリンナ)との関係性そのままである。さらにヒルデ・ブルックは本書にて摂食障害を扱っている。『ハッチング―孵化―』もまた、形は違えど摂食障害的な描写が登場する。ティンヤの抑圧された感情は卵によって表現され、やがてケージには入らぬほど巨大化し、孵化する。
上記は関係性をなぞっただけなので事はもう少々複雑なのだが、紐解いていけば、まさにブルックの「見かけ上は平和な家族関係の裏に、強い緊張を秘めている」普遍的な母娘の関係性の物語であり、これまた寓話的・お伽話的な要素を強化する。
何より素晴らしい点は、91分で終わる
さて、画作りもいい。使われている言語も新鮮。構造も普遍的であり、現代にも通ずるテーマ性がある。さらにしっかりとグロく、あらゆるフェティッシュを萌えさせられる可能性すらある本作だが、何より素晴らしいのは「91分で終わる」一点に尽きる。
2時間超えの作品が当たり前になった現在、90分程度できっちりと落とし前をつける技術はまるで「忘れ去られた職人技」を観ているようで心地よい。今、90分で映画を撮れる監督の筆頭はデヴィッド・ロウリーだろうが、ハンナ・ベルイホルムも本作によって並走を始めた。アリ・アスターの次回作は4時間らしい。いい加減にしろ笑
今や北欧とは「なんだかよくわからないけど、森があって寒そう」な国ではない。IKEAもあるし豊富なメタルの鉱脈もある。ホルガ村は存在しないが、映画ひとつとっても、スウェーデンにはイングマール・ベルイマンが、デンマークにはカール・テオドア・ドライヤーが、フィンランドにはアキ・カウリスマキが居る。
長編映画デビュー作にして、ここまで撮りきったハンナ・ベルイホルムもまた、北欧の豊穣なる映画監督のリストに記載されるだろう。
(文:加藤広大)
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