<深掘り>「ちむどんどん」“ニーニー”の誕生は時代の影響?
「沖縄の一番星」を目指している比嘉賢秀(竜星涼)は「ちむどんどん」のお騒がせキャラ。トラブルメーカーだ。
比嘉家の4人兄妹の一番上(長男)で、妹たち良子(川口春奈)、暢子(黒島結菜)、歌子(上白石萌歌)からは「ニーニー」と呼ばれている。
本記事では「ちむどんどん」で何かとお騒がせな比嘉賢秀について深掘りする。
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心優しく家族思い、だが……?
賢秀は子どものときから「長男」の自覚はあるものの、いかんせん行動が伴わない。父・賢三(大森南朋)が亡くなった直後は、中学生ながら家のために働こうとした。でもすぐに持ち前の怠け癖が出てさぼるようになる。高校を卒業しても怠け癖は治らず、仕事が長続きしない。
「長男」のプライドがあり過ぎて、ちまちましたことではなくどでかいことで名をあげなくてはいけないと思っている節がある。
「沖縄の一番星」になると漠然としたことを言うだけで、詳細は他者に吐露しないので、何も考えていない人に見える。考えてないのかもしれない。勉強は苦手で漢字もよく間違える。
自分の考えを論理的に言語化できないのと、そもそも照れ屋で心情を口にしないため誤解されやすいタイプである。
こっそり労働してお金を作ったときも博打で儲けたとうそぶく。かっこつけたいだけかもしれないし、給金を博打で増やしたのかもしれない。実際に花札をやっている場面もあった(第11回)から、物語としては安い賃金を元手に博打で増やすほうがキャラ立ちするだろう。
ただ、博打で儲けることは朝ドラ的に良くないと思う人もいるだろうし、勤勉に労働したとしても、おそらく、そこは視聴者の想像の自由に任されているような気がする。その理由は後述する。
子どものときに父に買ってもらった、頭に巻く「マグネット・オーロラスーパーバンド一番星」を大切にもっていて大人になっても何かのおりには頭に装着する賢秀。
その行為はひどく幼稚に思えるが、もしかしたら、亡くなった父の形見として、自分を鼓舞するために持ち続けているという涙ぐましい理由があるようにも想像できる。
悪いやつではない。善人なのだ。腕っぷしの強さで大暴れしても弱い者を助けるためである。いいところがあるのに問題点が目立ってしまう損なキャラである。
ニーニーの“借金事件”
ルーズで怠け癖があることと、なにより問題は、借金を悪いと思っていないように見えることだ。最初の事件は沖縄本土復帰時、ドルから円に変わるどさくさを利用した詐欺被害。
投資のために960ドル(72年当時30数万万円くらい)のお金を母・優子(仲間由紀恵)に用立ててもらって、案の定、相手に騙しとられてしまった(第4週〜5週)。うまい話には裏があるということを知らない賢秀。
相手が自分を褒めてくれたことが嬉しくて、信じたかったのだと言う(第22回)。父が死んでから誰も褒めてくれないし、たいてい馬鹿にされていることを悔しく思っていた。いつも陽気に振る舞っている賢秀だが、繊細な感情があることがようやくわかる。そう思うと憎めないけれど……。
借金したまま賢秀は東京に向かう。いきなりボクシングの試合で勝って、その賞金で借金返済(第24回)と思ったら、それも前借りしたもので、暢子が彼を頼って東京に行くとすでにボクシングジムからいなくなっていた(第26回)。彼の借金を比嘉家が肩代わりすることになる(第28回)。
ニーニーのキャラ設定は朝ドラあるある?
借金の描写が続くと、視聴者的には“賢秀は懲りないやばいキャラ”という認識が強くなる。やがて彼のみならず、息子を常に赦してしまう母にまで批判の声があがりはじめる。彼をかばう人の評判まで貶すのはあまり感心したものではない。
朝ドラには大抵ひとり、困ったキャラが出てくる。それはヒロインの父や兄弟や夫であることが多い。働かない家族の代わりにヒロインが自立するという役割のためでもあると思われる。
男性社会で男性がしっかりしていると女性はその庇護下で安定してしまうので、頼りになるはずの男性が機能しないことでヒロインが奮起することが必要だ。
困った男性家族が存在するのは「朝ドラあるある」とはいえ、賢秀は目新しい。家族が誰一人、彼を困った人、ダメな人、と排除しないことが目新しい。あたたかい目で見ていて、なんなら庇いさえするのだ。
反省しない男、それが“ニーニー”
庇われる様子を観て、視聴者的には「ニーニーを叱るべき、悪いことは悪いと教えるべき」ともどかしい気持ちになるのだが、ドラマの中ではお構いなし。だから賢秀はちっとも反省しない。
いや、反省はしているような節はある。でも、子どものときからの長続きしない癖で、すぐにその反省までどこかにいって同じことを繰り返してしまうのである。
ボクシングのファイトマネーを借りたまま消えた賢秀はふらりと鶴見にやってきてツケでお酒を飲み、暢子のお財布からお金をもってまた消えて競馬につぎこむ(第30回)。
そのお金で沖縄に戻ったらしく、今度は、良子の縁談相手の親に石川博夫(山田裕貴)との手切れ金といって10万円を出させようとする(第33回)。
実際、それをもらったのか未遂に終わったのかよくわからないが、彼はまた沖縄から出ていく。沖縄から関東方面にまた向かったということは、なんらかの形でお金を得ているはずだ。
ニーニーのキャラ設定が新しいのはなぜ?
賢秀の目新しさのもう1点は、彼の一連の行動に関して詳細や心境がはっきり描かれないことだ。とりわけお金に関してはっきり言及すると生々しくなるためか、ややぼかし気味である。■「マッサン」でも描かれた“本音を言わない人”
「ちむどんどん」の脚本家・羽原大介は、本音を言わない人物を以前の朝ドラ「マッサン」(2014年度後期)でも描いている。マッサン(玉山鉄二)も賢秀のように内面を口にしない。意地っ張りで不器用な人物だった。
しょっちゅう妻のエリー(シャーロット・ケイト・フォックス)を困らせたり怒らせたりするが、彼の気持ちをナレーションが代弁するし、ことあるごとにエリーが理解を示し仲直りするので、マッサンの言葉足らずが観ていてさほどストレスにならない。
「心のなかではいろいろ思っているのに困った人だよねえ」という感じで済む。
「マッサン」ではフォローするような描き方をしているにもかかわらず、「ちむどんどん」で賢秀にはそうしないのはなぜだろう。
■SNSの考察ブームがもたらす変化
「ちむどんどん」で賢秀の内面が描かれないことには、この数年間のドラマ志向の変化が関係しているのではないだろうか。
「考察」ブームによって、視聴者がさまざまに考察してSNSで話題になることを狙っている新しいスタイルの構成なのかなと推測する。
それと同時に「伏線」としてあとでサプライズがあるものも好まれる。そのため、あえて登場人物の心境や行動を空白にしているのではないか。もしあえて描かないようにしているとしたら作家としてはストレスではないかという気がするがどうだろう。
ともあれ、人間の心情を掘り下げる作品よりも、あっと驚く構成力を強化した作品の時代への転換期に生まれたキャラクター。それが比嘉賢秀。
彼に期待するのは「まさかやー!」な人生の大逆転。唯一長続きする、大好きな豚の世話を生かして、何があってもいつかいいことあるという希望を示してほしい。
羽原の父がモデルの人物だというので作家の愛情は深いはずだ。
(文:木俣冬)
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