頼りなさが強さに変わる小栗旬“3選” | 「鎌倉殿の13人」“強さ”の向かう先に待っているもの

俳優・映画人コラム

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』において、主人公・北条小四郎義時を演じる小栗旬。

気のいい素朴な田舎侍(と言うか田舎のにーちゃん)だった義時が、源氏の頭領・源頼朝(大泉洋)と関わってしまったがために、大いなる歴史のうねりに巻き込まれていく。

近頃ではもうすっかり頼朝の有能な右腕になってしまった義時だが、ちょっと思い出してほしい。
まだ物語の序盤、山木兼隆廷に攻め入った頃の義時は、敵を斬り殺すことも出来ない男だった(結局パパが斬った)。

小栗旬の魅力は、その「頼りなさ」にある。

気弱な表情が似合う。泣き顔も似合う。序盤の「頼りなさ」によって、男性の共感を呼び、女性の母性本能をくすぐる。

だが、視聴者が油断している間に、ちゃっかり成長していたりする。男性は「俺が育てた」といい気分になり、女性は「あの頼りなかった息子が立派になって……」と感涙にむせぶ。

そんな小栗旬の「頼りないと思わせといて実は……」な映画を3本紹介したい。

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『宇宙兄弟』

映画『宇宙兄弟』より (C)2012「宇宙兄弟」製作委員会

この映画をぜひ観てほしい人間の属性は、2種類ある。

1つ目は、「夢を語るには少し年を食ってしまった。だが捨てきれない思いにくすぶり続けている」人間。

2つ目は、「弟もしくは妹に、密かにコンプレックスを抱いている」人間。

そのどちらかに当てはまる方なら、この作品はぜひ観て欲しい。ちなみに、両方に当てはまる筆者がこの作品を観るとどうなるか。それはもう号泣である。小栗旬演じる主人公である南波六太が、他人とは思えない。

幼き日、兄弟揃って宇宙飛行士になると誓った、兄・六太と弟・日々人(岡田将生)。だが、そのまままっすぐ夢を叶えた弟と違い、六太は一般企業に就職し、無理矢理自分を納得させている。

もちろん、納得なんか出来ていない。兄弟揃って夢破れたのならともかく、弟は夢を叶えたのだ。弟へのコンプレックスを抱き続けたまま、くすぶって生きている。だが、小栗旬演じる主人公がそれで終わるわけがない。

30を超えてから、再び宇宙飛行士を目指すこととなるのだ。だが、きっかけは実に頼りない。

弟をバカにした上司に頭突きを食らわし、会社をクビになる。そのタイミングで、宇宙飛行士募集の書類審査に受かる。だがこれは、日々人が勝手に応募したものである。六太は何もしていない。六太が能動的にしたことは、頭突きだけである。小栗旬の「母性本能をくすぐる頼りなさの魅力」全開だ。

だが、六太はここから強くなる。

映画『宇宙兄弟』より (C)2012「宇宙兄弟」製作委員会

最終選考に残った6人の前で、六太が宇宙への思いを語るシーンがある。あるトラブルのせいでこの6人は大変険悪になっていたのだが、不器用ながらも熱く語る六太を見て、雰囲気は徐々にほぐれる。それをきっかけに、みんなが六太に負けない熱さで宇宙を語り出すシーンに、筆者は号泣した。

前半の煮え切らなさというか「頼りなさ」には、日々人ともどもイライラさせられる。だが、一度ふっ切れてからの「強さ」は、まさしく「正しい主人公」である。

小栗旬はこの「頼りなさに秘めた強さ」を体現できる、稀有な俳優だ。南波六太は、小栗旬でなければ成立しなかった。

–{2つ目の作品は……}–

『キツツキと雨』

映画『キツツキと雨』より (C)2011「キツツキと雨」製作委員会

映画を早送りで観るタイプの若者に、「2時間まるまる映画を観る時間がもったいないんで、観た方がいいシーンだけ教えて下さい。あとは早送りするんで」と言われたとする。本来なら、「観なくてもいいシーンなど、ない。長い一生の内のたった2時間ぐらい、スマホの電源を切って映画館の暗闇に身を沈めてスクリーンに集中しろ、この若僧」と説教して、ウザがられるところだ。

このような文化は本当に寂しくて悲しいものだと思うが、今ここでそのことについて述べるつもりはない。千歩譲って「ここだけは観るべき」というシーンを選ぶなら、それは「小栗旬と役所広司の絡むシーン」だ。

まず、ふたりの人となりを紹介させてほしい。人里離れた山村で林業を営む岸克彦(役所広司)は、成り行きでゾンビ映画の撮影を手伝うことになる。だが、監督の田辺幸一(小栗旬)があまりに気弱で弱腰のため、撮影は思うように進まず……。

克彦は、無骨で昔気質だが、実は人情家の木こり。血糖値を気にして甘い物を控えているが、実は甘党。

幸一は、気弱でコミュ障の新人映画監督。「自分が甘い物を絶てば、この撮影はうまく行く」という根拠不明のジンクスで甘い物を控えているが、実は甘党。

「甘い物を控えている甘党」である以外は完全に真逆のふたり。本来なら、一度も接点を持つことなく生涯を終えたであろうふたり。このふたりの生み出す化学反応こそが、この作品の最大の見どころである。

たまたま軽トラで、幸一を駅まで送ることになった克彦。初めてふたりが、ゆっくりと会話をするシーン。映画のストーリーを尋ねる克彦に、めんどくさそうに語り出す幸一。幸一の語るデストピアなストーリーに、興味津々に食い気味に過剰反応する克彦。何度も「あの、面白いですか……?」と確認する幸一だが、克彦はすっかり話に引き込まれている。

最初はダルそうだった幸一も、克彦の反応を見て丁寧に語り出す。このシーンが本当に素晴らしい。60歳の克彦の子供のような純粋さと、戸惑いながらも心打たれる25歳の幸一。別れ際に台本を手渡された克彦は、待ちきれずに軽トラを路駐して続きを読む。食い入るように読む。読みながらボロ泣きしている。克彦があまりにもいい人過ぎて、観てるこちらも泣きそうになる。

そして、もう1つ印象的なシーンがある。仲良くなったふたりが、一緒にご飯を食べるシーンだ。店のおばちゃんが、余ったからと言ってあんみつをサービスしてくれる。甘いものを控えている甘党であるふたりは当然、食べない。あんみつをチラチラ見ながら、ふたりは映画のことをポツポツと話す。初対面時に比べたら幾分成長したとは言え、相変わらず「頼りなく」弱気でネガティブな幸一に業を煮やした克彦は、幸一に無理矢理あんみつを食わせる。ジンクスを破られ、ヤケになった幸一は、あんみつをがっつく。克彦の手で不要なこだわりを捨てさせられ、ふっ切れた幸一は、ここから徐々に「強く」なっていく。

最初は見ててイライラするぐらいに小声だった幸一の「本番、よーいハイ」の声も、終盤には大声で叫べるようになる。そして最後には、適正な声量の落ち着いたトーンでの「よーいハイ」で終わる。「よーいハイ」だけでわかる、幸一の成長度合い。

映画『キツツキと雨』より (C)2011「キツツキと雨」製作委員会

この作品の小栗旬も、『宇宙兄弟』同様、前半の「頼りなさ」には相当イライラさせられる。だからこそ、ふっ切れてから垣間見せる、「強さ」に裏打ちされた笑顔が素晴らしい。前半部分の卑屈な困り笑いと、後半部分のスコーンと突き抜けた笑顔のコントラスト。「頼りなさ」と「強さ」を、ここまで自然に同居させる小栗旬という演技者を、どうか観てほしい。

–{3作品目は……}–

『岳-ガク-』

(C)2011 「岳 -ガク-」製作委員会 (C)2005 石塚真一/小学館

ここまで、序盤は頼りなかった小栗旬の成長を見守る作品を2本、紹介した。最後の作品である、この『岳-ガク-』だけは、少々趣きが異なる。

主人公・島崎三歩(小栗旬)は、山岳ボランティア。本職の警察山岳救助隊にも、敬意を持って「山そのもの」と評されるような、言わば”山の神”のような男。

序盤からいきなり「プライベートの登山中に」遭難者を救出し、”山の神”ぶりを見せつける。『宇宙兄弟』『キツツキと雨』の小栗旬とは違い、「最初から頼れる」のである。

だがそれは「山限定」の話だ。

三歩には「住所」がない。日本アルプスの山中に、テントを張って暮らしている。山中なら庭のように縦横無尽に歩き回れるのに、たまに下界に降りると、どれだけ地図を見ても道に迷う。

いついかなる時もニコニコしているが、デリカシーや忖度などは皆無である。

三歩は、山でしか生きられない。山以外で生きるつもりもない。

クライマックス、遭難したヒロイン(長澤まさみ)を命を張って助ける。普通の映画なら、抱き合ってキスのひとつでもするところだ。そのまま恋愛関係に発展したことを示唆して、エンドロールが流れ出す。

この作品には、そんな描写は一切ない。おそらく三歩には、「恋愛感情」という概念もないのではないか。三歩にとって、山以外のすべてのものは必要がないのだろう。映画ではそこまで描かれないが、原作では、ヒロインは別の男性キャラと普通に恋愛して普通に結婚するのである。

人間としてはあらゆる面でダメダメだが、山に入ればスーパーマン。その、両極端の性質を併せ持つ”脆さ”や”危うさ”が、この作品の小栗旬の最大の魅力だ。

そして、『鎌倉殿の13人』

序盤の頼りなさがウソのように成長した義時。だがその成長ぶりは、必ずしも喜ばしいものではなく。

主君・源頼朝の非情なやり口を、当初は拒絶していた義時。だが、盟友・三浦義村(山本耕史)に指摘されたように、義時は頼朝に似てきてしまった。

上総広常(佐藤浩市)を誅殺した時も、源義経(菅田将暉)が討ち取られる時も、義時は涙を流しながらも、それを阻止することはなかった。

歴史に詳しい人なら既にわかっているだろうが、頼朝が死ぬことで、この辛い展開が終わるわけではない。

それどころか、以後、義時は「自らの意思で」、かつての仲間を排斥していくこととなる。

今後、義時は、より黒い方に黒い方に成長して行くのか。あるいは……。

あの、「頼りなかった」義時はもういない。仲間や愛する人の死を経て、義時は「強くなった」。新たに頼朝の死を経て、さらに義時は「強く」なるだろう。その「強さ」の向かう先に待っているものは、さらなる地獄か。それとも……。

(文:ハシマトシヒロ)

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