【第35回東京国際映画祭】「3つ」の観点から振り返る映画祭|受賞結果一覧
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10月24日(月)から11月2日(水)まで開催された第35回東京国際映画祭。
有楽町・日比谷・銀座エリアを中心に117作品もの映画が上映された。映画祭は映画を上映するだけの場所ではない。映画を通じて世の中の「ある視点」をみせる場所である。「【第35回東京国際映画祭】映画ライター注目の作品“10選”」では「点」としての映画紹介を行った。今回は、実際にいくつかの作品を観た中で見えてきた「線」、つまり「ある視点」について3つの観点から読み解いていくとする。
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1.「遅い」映画から見えてくるもの
2022年、とある1冊の本が注目された。稲田豊史の「映画を早送りで観る人たち」である。本書によれば、NetflixやAmazon Prime Videoなどで次々と映像コンテンツが配信される状況に適応するため、「早送り」や「10秒飛ばし」で映画を観る人が増加したとのこと。また、登場人物の心理状況をすべてセリフで説明したり、数分に一度大きな展開を迎えるような映画作品が劇場のスクリーンを占めるようになった。映画は「早さ」を求められるようになったのだ。
一方で今年の東京国際映画祭では、じっくり時間をかけて物語る「遅い」映画が目立っていた。
■『輝かしき灰』:人生は川の流れのように
コンペティション部門にて上映されたベトナム映画『輝かしき灰』に着目する。この作品は、とある村を舞台に男女の関係を描いたものである。背後で大火災が起きている中、呑気に料理を作っている人をゆっくり横移動で捉えていく。お経を唱える男の部屋にヘビを入れたり、飲み屋で酔っ払いに絡まれ喧嘩が始まるなどといった日常のハプニングを時間かけて描く。
川の停滞した流れと、その中で度々起こる火災とを重ね合わせることで、長い人生におけるターニングポイントを表現しようとした作品と見た。
■『ライフ』:会社のデータ全損失男の集金物語
『ライフ』©Emir Baigazin Production
『輝かしき灰』は比喩を用いて人生を描いてきた。それに対してカザフスタン映画『ライフ』は具体的な事件を連ねることで人生を描く。
中途採用で映像制作会社に入るも、会社の全映像データを破損させてしまった男の修羅場を描いた本作は、徹頭徹尾、強烈な地獄めぐりが展開されていく。取引先から拷問を受けた後、新社長に仕立てあげられたその男は、子どもたちのプールを作る資金を集める羽目になる。しかし、なかなか資金集めが上手くいかず、恐ろしい稼業へと手を出す。
多彩な修羅場が次から次へと襲い掛かるが、なかなか資金が集まらない人生の「遅さ」を感傷的な音楽とスローモーションの多用で表現している。
■『蝶の命は一日限り』:お婆ちゃんの不屈の一歩
アジアの未来で上映された『蝶の命は一日限り』は77分と短い作品ながらも、時間の流れがとてもゆっくりとしている。ある目的を抱えたお婆ちゃんの歩く様子をひたすらカメラが追う。階段を登るお婆ちゃん。杖をつきながら、辛そうにしながら、一段、そしてまた一段と登っていく。これを固定カメラで数分に渡って捉え続ける。お婆ちゃんは、現実だろうと夢の中だろうと歩き続ける。その目的が明らかにされた時、彼女の不屈の精神が際立つのである。
効率やスピード感が重要視される時代だからこそ、時間をかけて目的を果たそうとする人をそのまま見せていく手法が光る。映画祭は劇場公開が難しいようなアート作品を大スクリーンで観ることができる。本作はその中の1本であった。
2.「搾取」についてどのように考えるか?
2022年の東京国際映画祭では「搾取」をテーマにした作品が目立っていた。それは労働搾取問題から始まり、映画業界の搾取の話まで発展している。2つの観点から細かく見ていく。
■『コンビニエンスストア』『R.M.N.』から観る労働搾取問題
ロシアのコンビニで働くウズベキスタン人の凄惨な日常を描く『コンビニエンスストア』は、薄暗く息も詰まりそうなコンビニパートと太陽が差し込み開放感がある綿農園パートに分かれている。
視覚的には闇と光のコントラストだが、内容はどちらも闇に向かっている状況を通じて、コンビニエンスストアは現代のプランテーションであることを示した。
『R.M.N.』Ⓒ MOBRA FILMS, WHY NOT PRODUCTIONS, FILMGATE FILMS, FILM I VÄST, FRANCE 3 CINÉMA 2022
『R.M.N.』では、ルーマニアのとある村のパン工場を舞台に立体的な搾取の構図が描かれる。人材が不足しているので求人広告を出す。しかし、最低賃金な職場には人が集まらない。仕方がないのでスリランカから3人の労働者を雇うことになる。これが軋轢を生み、やがて村人総出の大論争が巻き起こる。1つの村の中に、昔からこの地に住む者、出稼ぎ労働から帰ってきた者、外国人労働者などと様々な背景を持つ人物が押し込められる。他国で働く中で差別を受けてきたルーマニア人がいる横で、外国人労働者であるスリランカ人に対する差別が行われる。
より立場が弱い者に対して差別が行われる様子が描かれ、感情的な論理で他者を制圧していく人間心理を通じて「搾取や差別の本質はどこにあるのか?」を模索する。このミクロな対立構図を通じて、経済や歴史の問題点というマクロな視点へ斬り込む力作であった。
■『スパルタ』『第三次世界大戦』から観る映画業界の搾取
『スパルタ』©︎2022 Ulrich Seidl Filmproduktion | Essential Filmproduktion | Parisienne de Production | Bayerischer Rundfunk | Arte France Cinéma
第35回東京国際映画祭ではワールド・フォーカス部門にて、物議を醸す作品が出品された。ウルリヒ・ザイドル監督の『スパルタ』である。本作は、ルーマニア郊外の町で柔道教室を開く男を描いた作品。
出演した子どもに対して搾取があったのではと疑惑が持たれており、トロント映画祭では上映中止となった作品だ。実際に観てみると、柔道教室を開く男の様子がどうもおかしい。ドキュメンタリータッチで、子どもと一緒に柔道の練習を始める姿が映し出される。だが、柔道教室の先生は隙あれば子どもたちを裸にさせ、ボディタッチを行うのだ。親は、怖い言葉を子どもたちに浴びせる。
明らかに小児性愛を描いた作品なのである。あまりに生々しく描かれるため、疑惑が持たれるのは必然だったと言える。
VARIETYによれば下記の2点を踏まえて上映を決定したとのこと。
・すべての作品の制作の裏側を調査することは不可能なので、作品そのものの質を重視した。
・子役と保護者が上映中止を求めた事実は確認できていない。
一方で、類似の状況を描いた『第三次世界大戦』がコンペティション部門で上映された。本作は、貧しい男がホロコースト映画のエキストラに参加する中で、ヒトラー役に抜擢されるもの。映画の撮影のシーンにて、閉所恐怖症のエキストラたちがパニックになるものの、現場スタッフは軽く謝って済ませる場面がある。そして、エキストラの人たちは声をあげることなく物語の外側へと追いやられていく。
本作が上映される横で、上記の理由で『スパルタ』を上映して問題はないのだろうか?子役と保護者が上映中止を求めてないだけで、実は傷ついていたりはしないだろうか?と思わずにはいられない。しかし、『スパルタ』と『第三次世界大戦』を並べて上映することで、撮影現場の問題と作品の質との関係性を見つめ直す機会ともいえる。我々は、映画の制作現場の裏側をすべて知ることはできない。
『第三次世界大戦』©Houman Seyedi
一見、クリーンな作品であっても問題が起きている可能性がある。どのようにして映画を鑑賞したら良いのか?その問いに対する目印を提示した上映であった。我々はその目印と作品の内容を照らし合わせ、自分の中で落とし所を見つけていく。その機会を与えてくれた。
3.今、「フィクション」ができることとは?
2020年代は新型コロナウイルスの蔓延・ロシアのウクライナ侵攻・国際的な物価上昇に人間を凌駕するAI描画ツールによる諸問題と、虚構のようなものが次々と現実になっていき混沌としている。虚構が現実を凌駕していく時代において「フィクション」ができることとはなんだろうか?
特殊な展開や状況を通じて、社会のある側面、人間のある心理を提示することが「フィクション」の役割である。「フィクション」に触れることで心のモヤモヤが解消されることがある。今年の東京国際映画祭には、多くの個性的な作品が集結。一見すると滑稽に思えるが、現実のある側面に鋭いメスを入れる慧眼を目撃した。
■『タバコは咳の原因になる』:安全な「恐怖」は蜜の味
『ラバー』『地下室のヘンな穴』で知られる異才カンタン・デュピュー監督。彼が放つ戦隊モノ『タバコは咳の原因になる』は、チープなタッチながらも「恐怖」についての洞察力に優れた作品であった。
タバコ戦隊「タバコ・フォース」は団結力を高めるためにバカンスへと出かける。バカンス先での戦闘はほとんどない。タバコ・フォースはひたすら雑談をするのだ。怖い話を消費することで団結力が高まる。怖い話は「虚構」であり、安全圏からメンバーは楽しむ。しかし、いざ怖い話が「現実」として降りかかった時、メンバーは「恐怖」を覚える。
「恐怖」の内側/外側についてコミカルに描き、会場を爆笑の渦に包んだ。
■『月の満ち欠け』:受け入れることは前に進むこと
佐藤正午の同名小説を廣木隆一監督が映画化した作品。大泉洋が演じる男・⼩⼭内堅が妻子を失い落ち込んでいたところ、いくつかの真実がさらに困惑を引き起こす内容。映画は複数の人物による回想によって描かれ、パズルのピースが埋まるように意外な展開へと転がっていく。
⼩⼭内堅の元に現れる人物・三⾓哲彦(⽬⿊蓮)の回想シーンでは、『花束みたいな恋をした』を思わせる甘酸っぱい恋愛物語が紡がれる。しかし徐々に雲行きが怪しくなっていき、怖い展開を迎えていく。あまりに信じ難い巡り合わせに⼩⼭内は拒絶反応をするが、少しずつ怪現象に歩み寄ろうとする。一旦、受け入れることで前に進める状況を飽きさせることなく描いた作品である。
なお、本作は12月2日(金)公開となっている。
■『マンティコア』:仮想世界で欲望を満たすこと
『マンティコア』©︎Aqui y Alli Films, Bteam Prods, Magnetica Cine, 34T Cinema y Punto Nemo AIE
もし、あなたが倫理的に許されない欲望を抱いたらどのように処理するだろうか?その一つの例と問題点に注目した作品が『マンティコア』だ。ゲーム会社に勤める男はある事件をきっかけに、モヤモヤを抱える。紙に書いてみたがそれは解消はされない。しかし、パソコンで具現化するには恥ずかしさがある。
この心理をVRゴーグルを使って解決しようとする。主人公はVRゴーグルをつけて創作を始めるが、その様子を観客は外側からしか見ることができない。つまり、仮想的に内なる世界を作り、その中で創作をするのだ。しかし、果たしてそれは誰も傷つけない行為なのか?仮想的に生み出す内なる世界は安全なのだろうか?
メタバースが注目され、VRによる創作が活発化している今において重要な視点を描いた作品といえよう。
■『ヌズーフ 魂、水、人々の移動』:「フィクション」を信じること
『ヌズーフ 魂、水、人々の移動』© Nezouh LTD - BFI - Film4
ワールド・フォーカス部門で上映された『クロンダイク』が、壁に空いた穴を通じて現実に侵食する戦禍を描いていた。同様に、穴を用いて戦禍の心理を描いた作品に『ヌズーフ 魂、水、人々の移動』があった。
本作では屋上の床に空いた穴が、救いの手として機能する。難民になりたくない父親によって、ボロボロの家に押し込められている娘。そんな彼女に、ある視点を与える存在として男の子が現れる。彼はジャーナリストとして、スマホで映像を撮り世界へ発信している。そんな彼が救世主として彼女に手を差し出すのである。『クロンダイク』とは対照的な穴の使い方がされており、印象深かった。
また、この作品は「フィクション」を信じることで、前へ進める様を物語っている。娘が、空に石を投げる。すると、空が水面に変わり石が飛び跳ねる。また、彼女は屋上で想像上の釣りを始める。これらの行為が、彼女を正気に保つ。一方、信じる「フィクション」のない母親は絶望し立ちすくんでしまう場面がある。この対比がまた、テーマを強固なものにしているのだ。
最後に
映画祭の面白さは、連続して映画を観ることで視点と視点が繋がることにある。通常、私たちは映画を1つの点として観るが、映画祭に参加することで線として観ることができる。映画祭サイドも毎年、どのように映画を紹介していくか工夫している。 無料メールマガジン会員に登録すると、 無料のメールマガジン会員に登録すると、
来年、東京国際映画祭に参加される際には、映画と映画の繋がりをチェックしてみてはいかがだろうか?
(文:CHE BUNBUN )
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