(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

映画コラム

REGULAR

2022年11月25日

 『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観て「ひどいこと」を考えてしまった、でも「この物語で良かったんだ」と思えた理由

 『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観て「ひどいこと」を考えてしまった、でも「この物語で良かったんだ」と思えた理由



5:石立監督が「エゴではあるけど正しい」と考えた「長いエピローグ」

まとめると、筆者は初めに観た時こそ「ギルベルトが死んでいたほうが良かった」と我ながらひどいことを考えてしまったが、主題である「愛している」をただ肯定するだけでなく(執着する)危うさも描かれていること、それでもヴァイオレットの生きた足跡や人生の奇跡を肯定する物語であること、良い意味で観ていて怒りを覚えてしまうギルベルトも救う物語だったことを思えば、「この物語であるべき」だと納得ができた、ということなのだ。

そして、アニメ!アニメ!での石立太一監督への単独インタビューで、さらに納得度は深まった。少し長めではあるが引用しよう。



劇場版は“長いエピローグ”なんですよ。基本的にヴァイオレットの成長はそれまでのお話でやりきっていましたし、もしかしたら劇場版は蛇足になりかねない。もしも最後の1ピースとするならば、それはエピローグという位置付けになる。

TVシリーズで唯一心残りだったことが、ヴァイオレットがギルベルトと再会できないまま物語が終わってしまったので、彼女の成長譚としては良いと思いつつも、私自身キャラクターに対する情もあり、かわいそうだなと思っていたんです。

エンターテインメントとしての芸術性ももちろん大切なのですが、なにより彼女自身が幸せになって笑って最後を迎えてほしい。そして彼女がいなくなったあとの世界で、彼女のやってきたことがどのような道になったのかを描き切りたい。自分のエゴではありつつも、それが正しいと思い劇場版を作らせていただきました



つまり、石立監督自身、ヴァイオレットがさまざまな代筆の仕事をして成長する物語としては、テレビシリーズで十分に成立していると考えている。だが、ひとりの作家のエゴとして、どうしてもヴァイオレットを真に幸せにしてあげる「長いエピローグ」を作りたかったのだ。その「愛情」が出来上がった作品から、これ以上なく伝わってきたのは言うまでもない。

うがった見方ではあるが、この劇場版を、たくさんのあり得たかもしれない1つの道を示す、「IF」の物語として捉えることもできるだろう。

筆者のように『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を「大切な人の死を描いてきた」作品と捉えていた人は、ヴァイオレットがギルベルトとは再会しないままだった(亡くなった)けど、それでも彼女は他にも代筆の仕事でたくさんの「愛している」を知り、(新たな恋人を作ったりしなくても)幸福だったといったような、自分だけの「その後」の物語を想像してもいいのかもしれない。

しかし、他のどの可能性を考えてみても、今回の劇場版の物語が、「ヴァイオレットとギルベルトにとってのもっとも幸せな結末だ」とも、最終的には思えたのだ。それこそが、「この物語で良かったんだ」と思えた、最大の理由だ。


(文:ヒナタカ)

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

RANKING

SPONSORD

PICK UP!