©2022「銀河鉄道の父」製作委員会
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映画コラム

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2023年05月05日

『銀河鉄道の父』役所広司×菅田将暉の2人でしか成立しない宮沢賢治とその家族愛物語

『銀河鉄道の父』役所広司×菅田将暉の2人でしか成立しない宮沢賢治とその家族愛物語


「銀河鉄道の夜」といえば、誰もが知る名作だ。ジョバンニとカムパネルラ、二人の少年が主人公の鉄道旅行を描いた物語。作者は、童話作家や詩人として知られる宮沢賢治である。2023年5月5日、その宮沢賢治の“父”・宮沢政次郎(役所広司)目線で描かれた映画『銀河鉄道の父』が公開される。

数多の有名人がそうであるように、あまりに著名すぎる人物は、その人となりについて知られないままであることが多いように思う。宮沢賢治も例外ではない。その作風や残された資料などから、どことなく朴訥なイメージが強い彼だが、果たして。

『銀河鉄道の父』で描かれる宮沢賢治像は、きっと誰もが想像だにしなかったものだ。菅田将暉演じる宮沢賢治、そして役所広司演じる政次郎の関係性、そして名優二人の演技から、その実態に触れてみたい。

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本当は“ダメ息子”だった?宮沢賢治の正体

『銀河鉄道の父』を観て、自身のなかにあった宮沢賢治像が瓦解していった。農業にも詳しい、勤勉で実直で素朴な青年……といったイメージだったが、この映画では大胆にも「宮沢賢治=ダメ息子」の視点から、彼の新たな一面を浮き彫りにしている

何せ、中学を卒業した賢治に対し、父親の政次郎が「家業である質屋を継げ」と命じても即拒否。学校で文芸の魅力を知った賢治は、堂々と別の道をいこうとするのである。


賢治が生きたこの時代、家業を継ぐのは現代よりも自然なことで、そこに疑いを挟む余地はなさそうに思える。しかし、彼は違った。いったんは(イヤイヤながら)質屋を手伝うも、すぐに農業を学ぶため農学校に入学してしまう(そして、農業に携わる道は早々に手放し、新しい事業に手を出した)。

飽きっぽく、新しいことに次々と手を出すものの、続かない。かつ、親に金を無心するのも厭わない……。ダメ息子を絵に描いたような、典型的な言動のオンパレードである

しかし、宮沢賢治に対するイメージがどんどん塗り替えられていく体験が連れてくるものは、失望ではない。37歳で早世し、自身の作品が評価を受けたのは死後のことであった彼が、家族を振り回した“ダメ息子”だったとしても。彼自身に、そして彼を取り巻く家族たちには、まさに唯一無二の愛があった。


家族愛なんて手垢にまみれた言葉と思われることを承知で、あえて言いたい。この映画は、宮沢家の(とくに、父・政次郎から息子・賢治に向けられた)愛が克明に刻みつけられた作品なのである。

役所広司×菅田将暉の交錯し合う演技

政次郎を演じるのは、近年では映画『すばらしき世界』(2021)や『ファミリア』(2023)などであらためて存在感と実力をともに示した名優・役所広司。家業を継ぐことを拒み、やりたいことに次々と手を出しては諦める息子・賢治を厳しく律しながらも、溢れるばかりの愛で向き合った父親の姿が、心に残る。


『ファミリア』では、自身の息子に対してはもちろんのこと、生まれも育ちも文化も違う異国の青少年たちへも誠実に相対した男・神谷誠治を演じた。ひとりの人間として、父親として、若い世代を教え諭す立場として、これほどに説得力が感じられるのは役所広司だからこそ。主題も時代背景も異なるが、本作『銀河鉄道の父』でも、その一本筋が通ったような頼もしさは変わらない。

役所広司が敷く屈強な土台に、菅田将暉が体現する賢治の“ダメ息子”っぷりが絶妙な角度と重さで乗る。近年では映画『キネマの神様』(2021)や『CUBE 一度入ったら、最後』(2021)、ドラマ「コントが始まる」(2021)などに出演。今後も『ミステリと言う勿れ』(2023)が公開予定作として待機しており、引く手数多な役者の一人である。


本作を担当した成島出監督は、原作「銀河鉄道の父」を映像化するにあたり、役所広司と菅田将暉の出演にこだわった。この2人でなければこの世界観は成立しない、と早い段階から確信していたようだ。

息子を一心に愛し、かつ厳しさも併せ持った父・政次郎になれるのは、シリアスな場面もコミカルな表現もできる役所広司しかいない。同じくらいの熱量で、みずみずしい感性を持った菅田将暉じゃなければ、“ダメ息子”という新しい像を投影した宮沢賢治を体現させられないと、信じていたに違いない。


波乱万丈に、破天荒に突き進む賢治。そんな息子を厳しく律しながらも、誰もが心打たれる密度の愛情で包み込んだ政次郎。スクリーンで彼らの姿を観た瞬間に、誰もが「成島監督の慧眼は正しかった」と腹落ちするだろう。

『銀河鉄道の父』原作→映画で深まる味わい

原作は門井慶喜の同名小説「銀河鉄道の父」。赤痢にかかった賢治を、誰よりも懸命に看病する政次郎の姿は、小説からそのまま飛び出してきたかのようにイメージに沿っている。こうと決めたらテコでも曲げない頑固さは少々コミカルにも映り、親バカっぷりを感じて微笑ましい。前述したように、コメディも演じられる役所広司を起用した成島監督の審美眼がみてとれる。

映画ではところどころ省略されているが、宮沢家がなぜ質屋を営んでいるか、原作ではそのルーツまで丁寧に描かれている。政次郎の父(賢治からは祖父)・喜助(田中 泯)が先代から家業を継いだ経緯、元は呉服屋だったにも関わらず質屋を始めて大当たりした展開など興味深い。

原作を読んでから映画を観るか、それとも映画を観てから原作を読むか。好みによって分かれるところだが、この作品に関しては原作読了済みのほうが、より映画の世界観に没入できるかもしれない。

この作品の土台にあるのは“家族愛”、ひいては父から息子に向けられる混じり気のない愛情である。その密度がいかに濃いものか、原作で味わってからのほうが、より映画を楽しめるのではないだろうか。

(文・北村有)

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