『街録ch』三谷三四郎が語る絶望と希望——YouTubeで目指す幸せなディレクター人生とは
笑えなくても面白いことがある
——『街録ch』の取材を通じて出会う方の中には、だいぶヘビーな人生を送っている人も多いですよね。三谷さん自身が、マイナスに引きずられそうになることはないですか?三谷:話を聞いているときは我慢していても、取材が終わった後に自然と涙が出てくるようなことは時々あります。でも、それによってマイナスな気持ちになることは無いですね。どちらかというと、めちゃくちゃ勉強になってます。
例えば「こういう選択をすると、つらい目に遭ってしまうんだ」とか、「名前も名乗らず勧誘してくる宗教があるんだな」とか。知っているからこそ避けられることってたくさんあるんですよ。いろんな人の情報がアーカイブされていくって、すごく意味があるなと思います。
——確かに。そういう見方をすると、三谷さんにとっても視聴者にとっても、意味がありますね。
三谷:それから、自分が壊れずにいられるのは家族のおかげでもあるかもしれません。僕は2歳の子どもがいるんですけど、取材でどんな話を聞いても「この子をどう育てたらいいんだろう」と発想を置き換えてしまうんですよ。
例えば、もし自分が感情に任せてこの子を殴ってしまったら、どんな心の傷が残るのか。インタビューを通じてたくさんの事例を知ったことで、抽象的ではなく具体的に想像できるようになりました。
——『街録ch』は、ほかのメディアが避けるような話題も取り扱っていますよね。取材は、ジャーナリストとしての視点も持っているのでしょうか?
三谷:「世の中の闇を暴こう」とか「この動画で世の中を変えたい」とか、そういう気持ちは無いです。それよりも「バラエティ豊かな人々に取材をしたい」という気持ちが大きいですね。
世の中には、笑えなくても“面白い”ことってあると思うんです。例えば、テレビでは「視聴者に引かれるから」とカットされてしまうようなことでも“面白い”ことはあります。一部だけ見ると引いてしまうかもしれないけど、最後まで話を聞いたら「それはしょうがないよね」と思えるかもしれない。それから「この人はこんなふうに乗り越えたんだ」というやり方が面白いかもしれない。
YouTubeは広告が付かないことはあっても、「引かれる」という価値観でストップが入ることはありません。ジャーナリズムというより「面白いから」ですね。
——「笑えなくても面白いことはある」という話、しっくりきました。確かに、私も『街録ch』は面白いと思って観ています。
三谷:笑えないような話でも、知らないことを知れるって“面白い”ですよね。だからこそ、覚醒剤をやめられない人の話も、大成功した芸人さんの話も同じように取材したいと思うんです。
——ジャーナリズムとしてやっているわけではないとはいえ、『街録ch』は取材対象の言葉を切り取らずそのまま伝えていますよね。この姿勢は、ジャーナリズムにも通じているのかなと感じます。
三谷:テレビだと短い尺にまとめないといけないので、長時間取材したとしても強い成分だけ抽出することになるんですよね。さらに「この言い方だと弱いから」と、テロップになりそうな強い言葉を言わせたりもします。すると、自分の言葉ではないから嘘くさくなってしまうんですよね。でも尺を決めていない『街録ch』では、そういうことはしません。やっぱり、こちらが立てた筋書きを超えた“思いもよらない発言”が出てくるのが面白いですから。
『街録ch』に嘘くささが無いのは、すべて本人の言葉だからだと思います。その人が事実と異なることを言っていたとしても、「この人はそう思っている」もしくは「そう思ってもらいたい」ということは事実です。人間は絶対に嘘をつくし、本当の真実なんて誰にも分からない。でも、顔を出してカメラの前で喋るってすごい勇気のいること。だから、こちらはそれを「信じる」でよいというスタンスでやっています。
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