(C)2015「母と暮せば」製作委員会

山田洋次『母と暮せば』を紐解く「4つ」のポイント


[※本記事は広告リンクを含みます。]



9月1日(金)より山田洋次監督最新作『こんにちは、母さん』が公開される。

本作は永井愛の同名戯曲の映画化。職場では友人との関係を拗らせ家庭では離婚問題や娘との関係に悩まされる男が、イキイキと暮らす母を通じて人生を見つめ直す作品となっている。一見すると『男はつらいよ』シリーズを彷彿とする下町人情を描いた内容に見える。しかし、山田洋次監督作の中でも異例の高層ビルで働くサラリーマンに主軸を置いているのだ。

確かに、サラリーマンを主軸に置いた作品がないわけではない。

長編デビュー作である『二階の他人』は、家を建てたサラリーマンがローン返済のために二階を貸し出すというもの。しかし、本作ではオフィスで仕事する場面はほとんど登場せず、家に訪れる個性的なキャラクターが織りなす喜劇に焦点が置かれている。


『男はつらいよ 寅次郎真実一路』では、証券会社課長が渥美清演じる車寅次郎を通じて人情と自由の世界を知る物語を紡いでいたが、本作はサラリーマン自ら下町に降り立つものとなっているのである。社会システムによって心が冷たくなり、人生にも行き詰まった男が地上に降り立つことで生の人間関係を思い出し、問題を乗り越えていく様子を大泉洋の演技によってユーモラスに包んでいく。

ある意味、山田洋次版『マイレージ、マイライフ』ともいえる作品となっている。この作品はジョージ・クルーニー演じる人事コンサルタント会社の男が地上に降り立ちレイオフや解雇を宣告する話である。新人とのOJTを通じて、生の人間関係と向き合い心動かされていく。インターネットの発達で、社会は円滑に回るようになったが、一方で人間関係が希薄になりがちである。

山田洋次監督は、近所の人々が家の中に集まるコミュニティとドライな職場やマンションを対比させることで、現代人の忘れてしまった心を思い出させてくれる作品へと仕上げたのである。

また、タイトルは1963年にリリースされた歌謡曲「こんにちは、赤ちゃん」に着想を得てつけられている。大ヒットしたこの楽曲は映画化・ドラマ化されており、Amazon Prime Videoでは日活が手がけた映画版が配信されている。

貨物船の乗組員が休暇で横浜に降り立ち、赤ちゃん騒動に巻き込まれていく内容。様々な背景を持つ者が共同体を形成して子育てをしていく様子が描かれている。楽曲で提示された家族の幸せを社会レベルに拡張した作品といえよう。つまり一貫して家族の領域を超えた共同体としての地域像を描いてきた山田洋次監督が、永井愛の戯曲を映画化するのは必然だったのだ。

さて、そんな本作は吉永小百合が母役を務める「母」シリーズ3作目となっている。今回は「母」シリーズの中から1本、『母と暮せば』について4つの観点から紹介していく。

▶︎『母と暮せば』を観る

1.『父と暮せば』に温もりを注ぎ込んだ作品

(C)2004「父と暮せば」パートナーズ

長崎に原爆が投下され3年後。喪失を噛み締めながら助産師として暮らす伸子(吉永小百合)の前に亡くなったはずの浩二(二宮和也)が現れる。この内容を聞くと黒木和雄『父と暮せば』を思い浮かべる者もいるだろう。実際に本作は井上ひさしが手がけた同名戯曲の対になる作品として企画されたものである。

『父と暮せば』は、戦争を生き延びてしまった罪悪感から前へ進むことのできなくなった美津江(宮沢りえ)が原爆で亡くなった父の幻影との対話を通じて自問自答していく物語だ。映画版では、図書館に流れるゆったりとした空気感、危険とは無縁な空間と対比するように荒廃した街並み、翳りのある日本家屋を捉えていく。それにより彼女の内なる闇へ迫る作劇が特徴的であった。


戦後引き摺る痛みを描いた『父と暮せば』に対し、『母と暮せば』は痛みの浄化に力点が置かれている。

伸子の前に現れる息子。彼は自分が幽霊であることと、時が数年進んでいることに驚くが、すぐさま母に歩み寄り語りかけ続ける。伸子は過去に囚われる浩二と対峙することで、喪失感を乗り越え前へと進もうとする。

山田洋次監督は内面にある辛さを対話によって解消していく物語を得意とするだけあって、『父と暮せば』の美津江と比べると内なる闇は控えめとなっている。そのため、伸子と浩二との情緒豊かな対話に温もりを感じ思わず泣けてくるのである。

2.内なる自己との対話

現代において、自分の内面にあるモヤモヤはSNSやブログに吐露し外部化することができる。家族や友人には知られたくないが、誰かには聞いてほしいといった複雑な心理を浄化することができる。

インターネットのない時代ではどうだろうか?フィクションの世界において幽霊は内なる自己の外部化として機能している。



『父と暮せば』では、父が美津江の明るい側面を引き受ける。これにより美津江の翳りある部分が現出する。日常では他者に明るい表情を振る舞っているが、実際には罪悪感を抱えている。表面上の明るさを幽霊に授けることで、「うちは幸せになったらいけんのじゃ」と痛みを吐露できるのだ。父との対話を通じて段々と内面と外面の明暗が混ざり合う。ラストシーンでは人生に折り合いをつけた笑みを彼女が魅せるのだが、胸中の琴線に触れ、思わず涙することだろう。

『母と暮せば』の場合、息子が自分の死を認知しながらも「町子には僕しかいないんだ」と愛した女性に対する恋情に囚われている様子が描かれている。これは伸子自身が過去に囚われている象徴でもあり、彼を説得することで自分自身が前へと進もうとする様子を物語っている。他者を救うことで自分を救うギミックを幽霊に転用することで、自分の内面の浄化に繋げているといえる。

3.強烈な破壊描写

山田洋次監督は人情溢れる作品を多数手がけていることで知られるが、本作において強烈な破壊描写が挿入されている。それは原爆が投下される場面だ。もちろん『父と暮せば』でも原爆投下の場面は存在したが、これ以上に強烈な破壊描写がある。

学校で授業を受けている浩二。窓の外を見ると、晴天を飛ぶ戦闘機が映る。何かが光ったと思ったら、フィルムが焼けて溶けるような画面となり、インクの入ったガラスが溶けていくのだ。

原爆による凄惨な破壊を描いた作品には新藤兼人『原爆の子』や今村昌平『黒い雨』、関川秀雄『ひろしま』などがあるが、山田洋次作品でこれらに匹敵する破壊描写が観られるのは驚きであろう。しかし、『こんにちは、母さん』でも東京大空襲における強烈な画を挿入する場面が存在する。監督にとって戦争の恐ろしさを後世に伝えていきたい強い想いが映画に現れているのだ。

4.二宮和也の演技に注目


『母と暮せば』は二宮和也の演技が光る作品でもある。二宮和也といえばジャニーズアイドルグループ嵐のメンバーだが、演技派俳優でもある。

「南くんの恋人」では、「小さくなった恋人との同棲生活」という特殊な設定でありながらも奇妙な恋の間合いを好演していた。「山田太郎ものがたり」では、文武両道の完璧だが貧乏生活を強いられる学生役を演じている。明るい表情の中に苦労や翳りを見せていく演技は『母と暮せば』にも引き継がれている。『プラチナデータ』では、前半と後半で全く異なる顔を魅せており身体全身を使ってオーラを変更しているところが特徴的だ。

このように二宮和也はアイドルとしての明るさを持ちながらも、そこに翳りをはじめとする別の側面を注ぎ込むことに長けているのだ。

そのような彼が初めて山田洋次作品で魅せた演技には凄まじいものがあった。最初こそ、母を慰めるような存在として登場する。しかし、死を認知するも町子への恋情に囚われてしまって苦しんでいることが表面化してくる。

葛藤を抱えながら次のように吐露する。

「町子が僕の嫁として一生、母さんの世話をして暮らす。母さんは幸せだし、僕も嬉しい。そやけどそれは間違っとるな。僕はもうこの世の人間ではなかとやけん。町子は僕のことを忘れて誰かいい人を、できたら僕よりもっといい人を、素敵な人を、そげんな人おらんと思うよ、おらんと思うけど、でももし、もしおったら、いやおらんと思うけど、でもおったらその人と結婚すべきだ。」

爽やかな顔であるが、そこに焦り、理解しているけど未練がある辛さを滲ませて語る姿には思わず涙がこぼれる。

他者への強い想いは、他者だけでなく自分をも縛ってしまうテーマを象徴する名演技を魅せていた。

(文:CHE BUNBUN)

参考資料

・『こんにちは、母さん』プレス

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

(C)2015「母と暮せば」製作委員会

RANKING

SPONSORD

PICK UP!