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映画コラム

REGULAR

2023年09月15日

<解説>アニメ映画『PERFECT BLUE』で提示される「3つ」の恐怖

<解説>アニメ映画『PERFECT BLUE』で提示される「3つ」の恐怖


1997年に公開されたアニメ映画『PERFECT BLUE(パーフェクトブルー)』の4Kリマスター版が、2023年9月15日(金)より期間限定で劇場上映中だ。来場者特典として、キービジュアルをもとにした記念ポストカードが数量限定で配布される。

本作は 2010年に46歳の若さで亡くなった今敏の監督デビュー作。竹内義和の小説『パーフェクト・ブルー 完全変態』を原案としているものの、後述する理由で内容はほぼほぼオリジナル。独創性とインパクトの強い作風であり、ダーレン・アロノフスキー監督の『レクイエム・フォー・ドリーム』と『ブラック・スワン』にそのオマージュと思われるシーンがあるなど、世界的なクリエイターに大きな影響を与えている。

ジャンルはアニメ映画では珍しい「サイコサスペンス」。R15+指定されているだけのことはある、性的な描写やヘアヌード、流血などショッキングなシーンがある本作は、「大人向けアニメ」としても革新的だった。1997年に制作された映画なだけあり、当時のアイドル像やインターネット黎明期の世相も、今観るとその危うさ込みで興味深い。

そして、意図的に打ち出された「良い意味で混乱する演出や作劇」が重要でもある。ここでは劇中で提示される「3つ」の恐怖を軸に、ネタバレありで解説していこう。

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※これより『PERFECT BLUE』本編のラストを含むネタバレに触れています

1:自分のことがわからなくなる恐怖

本作の主人公は、アイドルグループを脱退し、女優へと転身した女性・霧越未麻。彼女は過激な仕事に戸惑いつつも知名度を上げていくのだが、同時にストーカーの影や周りで起こる連続殺人事件に翻弄され、精神的に追い詰められていく。


本作で提示される恐怖のひとつは「自分のことがわからなくなる」ことだろう。例えば、劇中ドラマの撮影時には、以下のようなセリフが口にされる。
「1秒前の自分と今の自分が、どうして同じ人間だって思う?ただの記憶の連続性、それだけを頼りに私たちは、一貫した自己同一性という幻想を作り上げているの」

これは、そのままアイドルから女優へと転身し、そして自身が殺人を犯しているのではないかという妄想に囚われた未麻自身の状態を示している。女優自体がこれまでの自分とは違う人間を「演じる」という職業であるし、しかも未麻はレイプシーンまで演じ、ヘアヌード写真集も発売するなど、葛藤を抱えながらも今までは考えられなかった過激な仕事にも挑戦する。それこそが後述するように未麻が「汚れてしまった」と潜在的に思ってしまった、自己同一性の一貫性が崩れてしまった原因のひとつだろう。

そして、物語の後半では「現実」「夢」「劇中で撮影中のドラマ」それぞれが入り乱れて展開していき、どれがどれだかすぐには判別ができなくなっていく。まるで「夢オチ」を繰り返しているようでもあるが、劇中の未麻と、この映画を観ている観客の心理は「どれが本物なのかわからない」で一致している。やはり、自己同一性が保てない、自分のことがわからなくなる恐怖を示した演出なのだ。

2:憧れの存在に過剰な幻想を抱いてしまう恐怖

本作のさらなる恐怖は、「ファンが憧れの存在(アイドル)に過剰な幻想を抱いてしまう」ことだろう。

アイドルだった頃の未麻のファンである、ストーカーの男および真犯人であるマネージャーのルミは、彼女に「一貫した憧れの存在」という幻想を作り上げていた。アイドルに対して「こうであってほしい」という願い、いや執着があまりに強大すぎるからこそ、2人は「本物」であるはずの未麻の「排除(殺人)」を試みようとしていたのだ。

例えば、ルミは未麻がレイプシーンを演じる時には涙を流して退散し、自分の部屋を未麻の部屋にそっくりに作り替えたあげく、未麻のアイドルの衣装を着て(自身が未麻本人であると信じ込もうとさえして)いた。

ストーカーの男は他人が読んでいる未麻のヘアヌード写真集を奪い捨てて、(実際はルミから送られた)メールに書かれた「ニセモノが私の邪魔ばっかりするの」「あなただけが頼りなの」という言葉も信じきっていた。

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これらのことから、盲目的な信仰は何よりも恐ろしいことを思い知らされる。もちろんファンとしてアイドルを応援すること自体は真っ当だが、その度合いが執着を超え、ストーカーなどの犯罪行為に発展してしまうのは、現実にもあることだ。(そもそも、アイドルという言葉自体、元々は「信仰の対象としての偶像」でもある)

当たり前のことだが、誰かに「こうであってほしい」と願ったとしても、それが100%思い通りになることなどあり得ない。たとえアイドルであっても、彼女ら彼らに過剰な幻想を求めすぎるのは間違っていると、反面教師的な学びも得られる物語だろう(もちろん、俳優やタレントのファンが、推しの過激な仕事を受け入れられないこと、それ自体も真っ当だが)。

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また、現在ではドラマや映画の撮影現場に置いて、セックスシーンやヌードシーンで俳優の身体的・精神的安全を守る職業であるインティマシー・コーディネーターが起用されるなど配慮がなされているが、1997年の当時では俳優への精神的なケアも十分でなかったり、「過激なシーンを演じたり、脱げば評価される」という風潮があった、それこそが悲劇を招いた側面があるのではないか。

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