田宮二郎が目指した “日本のハワード・ヒューズ”

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.12

現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。

日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

田宮 二郎さん

 

田宮二郎が目指した
“日本のハワード・ヒューズ”

まだ自分が幼かった頃、1970年代を代表する名物テレビ・クイズ番組『クイズタイムショック』の初代司会者・田宮二郎のスマートなかっこよさに憧れたものでしたが、やがて彼が主演するドラマを見るようになり、大人の世界を垣間見る気がしてドキドキし、それは『白い巨塔』(78~79)でピークに達するのですが、まもなくして悲劇が起こりました。その日の衝撃は今も忘れられません。

彼が往年の大映映画を代表するスターであったことを知るのは、その後、自分が映画ファンになってからのことです……。

『悪名』シリーズで
大映のトップスターに

田宮二郎は1935年8月25日、京都府京都市生まれ。生後4か月で父が亡くなり、戦後まもなくして母も死去。親族に育てられながら、54年に学習院大学政経学部経済学科に入学。

在学中の56年3月、スポーツニッポン新聞社主催のミスター・ニッポン・コンテストで優勝したことを機に、在学のまま大映演技研究所に10期生として入所し、57年に本名の柴田吾郎の名前で『九時間の恐怖』に出演して映画デビュー。続く『誓いてし』(57)で映画俳優として本格的なスタートを切ります。

59年、大映社長・永田雅一がオーナーを務めていたプロ野球・大毎オリオンズに移籍した強打者・田宮謙次郎にあやかりたいという永田のごり押しで『薔薇の木にバラの花咲く』(59)から田宮二郎と改名し、『私の選んだ人』で初主演を飾ります。

61年の吉村公三郎監督『女の勲章』で冷酷かつ計算高い洋裁学校のエリートマネージャー役が評価され、続いて田中徳三監督『悪名』(61)で勝新太郎の相棒“モートルの貞”役が人気を集め、『続・悪名』(61)では死んでしまうものの、これまた評判となったため、『新・悪名』(61)からは貞の弟・清次役でカツシンとコンビを組み続けていくことになり、61年度のエランドール新人賞や第7回ホワイトブロンズ賞を受賞するとともにトップスターの仲間入りを果たしました。

映画界追放の仕打ちに抗する
テレビでの躍進

身長180センチで精悍かつスマートな容貌の田宮二郎は、さわやかな二枚目からクールなエリート、ヤクザ、非常な悪役まで何でもこなす演技派として、『黒の試験車(テストカー)』(62)などの“黒”シリーズ(62~65)や、『宿無し犬』(64)に始まる“犬”シリーズ9作品(64~67)など、60年代の大映の屋台骨を支え続けます。

『爛』(62)『女の一生』(62)『「女の小箱」より 夫が見た』(64)など増村保造監督作品や、『スパイ』(65)など山本薩夫監督作品との相性も良く、特に66年の山本作品『白い巨塔』では、医療界をのしあがっていく主人公・財前五郎を熱演し、キネマ旬報ベストテン第1位を獲得しました。

65年には『黒の爆走』(64)『黒の超特急』(64)などで共演した藤由紀子と5月31日に結婚しています。

しかし1968年、今井正監督の『不信のとき』で130シーン中94シーンに出演しているにも関わらず、女性映画だからという理由でポスターの序列が4番手にされたことで会社と衝突してしまい、ポスターの序列は彼がトップとなりましたが、永田雅一社長は一方的に契約を解除し、さらには五社協定を持ち出して他の映画会社に彼を使わないよう通達しました。

映画界から干されてしまった彼は、その後しばらくの間は歌手として地方を回ってい増したが、69年からテレビのクイズ番組『クイズタイムショック』の初代司会者を務めることになります(78年9月まで)。ここでは銀幕の中で魅せる顔とは一転したソフトかつスマート佇まいで視聴者を魅了し、またたくまに人気番組となっていきました。

同年、東映の『日本暗殺秘録』で映画にも復帰し、以後の彼はテレビと映画の二本柱で支持を得るようになっていきます。一方、彼を追放した大映は71年に倒産してしまうわけですから、結果としてテレビの道へ移行したのは大正解だったともいえるでしょう。

映画製作や事業の失敗、そして
『白い巨塔』最終回を目前に……

ところが、この時期の彼は事業にも興味を持ち続けていたようで、さらには映画人としてのサガなのか、71年に田宮企画を立ち上げて『3000キロの罠』(福田純監督)を製作・主演するも、これが苦戦。

その後は俳優業に絞って『白い影』(73)『白い滑走路』(74)『高原へいらっしゃい』(76)などテレビドラマのヒット作に主演し続け、映画でも『人生劇場/青春・愛欲・残侠篇』(72)『華麗なる一族』(74)『動脈列島』(75)などの高評価を得続けるものの、今度は日英合作映画『イエロードッグ』(77)を製作・主演し、これが製作段階からトラブルに見舞われ、ようやく完成したものの、これが不入りで、多額の借金を背負ってしまいます。

「日本のハワード・ヒューズになる」ことを望み、各方面の事業に進出しましたが、いずれも波に乗ることができなかった彼は、やがて躁うつ病と診断されますが、そんな中でかねがね強く希望し続けていた『白い巨塔』テレビドラマ化の企画が実現し、再び財前役に挑みます。

映画版のほうは山崎豊子の原作小説の途中までしか描かれていなかったのですが、今回は最後まで描くということで、彼もまた病気や多額の債務に苦しみつつ、最終話まで演じ切りました。

『白い巨塔』の放映は78年6月3日よりフジテレビ系列で始まり、残り2話となっていた78年12月28日、田宮二郎は自宅で猟銃自殺を遂げました。43歳でした。(『白い巨塔』の最終回は79年1月6日)

この日の午後、マスコミは一斉に彼の死を報道しましたが、当然ながら多くの人々に衝撃を与えました。

その後も今も、彼の自殺の原因について取り沙汰されることもありますが、いち映画ファンとしては、そんなことよりも彼の出演した映画を見続けることのほうが良き供養になると思っています。

もちろん『悪名』シリーズもいいのですが、個人的には“犬”シリーズの田宮二郎がお気に入りです。また、日本人でさっそうとしたスパイが似合う希有な存在でもありましたが、一方で『人生劇場/青春・愛欲・残侠篇』での老侠客・吉良常役も絶品でした。

(文:増當竜也)


    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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