『ジュマンジ』の秘めたる魅力!「マジジュマンジ」は青春映画の傑作という意味?

ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル 仮メイン

本国で公開後じわりじわりと評価を伸ばしながら、ついには『スターウォーズ 最後のジェダイ』から興収ランキング首位の座を奪取。あまつさえトップに3週間も居座り続けた結果、配給元もビックリするような特大ヒットを記録した『ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル』。やたらテンションの高い日本の公式ツイッターや大規模なIMAX試写会を開催するなど話題を振りまいてきたが、いよいよ(ようやく?)日本でも公開が始まった。

今回は、なぜこれほど世界中から愛される作品となり得たのか、『ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル』の魅力について探ってみた。

そもそも、「ジュマンジ」って?

“前作”にあたるロビン・ウィリアムズ主演の『ジュマンジ』が日本で公開されたのは1996年3月。今観るとCGで描かれた動物たちは白っぽさが目立つが、当時としてはILMによる最先端の視覚効果が用いられ、アニマトロニクスと併用したパニック描写は観客の度肝を抜いたものだ。『ジュマンジ』はクリス・ヴァン・オールズバーグの絵本を原作としており、映画では謎のボードゲーム「ジュマンジ」によりゲームの中の設定が現実に浸食するファンタジー・アドベンチャーに仕上げられている。

ジュマンジ (字幕版)

ウィリアムズの安定したシリアス×コメディカルな演技が楽しめるほか、子役時代のキルスティン・ダンスト、名優ジョナサン・ハイドが共演。監督はILMで「スターウォーズ」シリーズなどの視覚効果を手がけていたジョー・ジョンストンが担当している。ちなみに、ジョンストンはのちにスティーヴン・スピルバーグに演出力を認められて『ジュラシック・パークⅢ』の監督に抜擢されたほか、『キャプテン・アメリカ ファースト・アベンジャー』を監督してヒットさせた才人でもある。そんなVFXマンのジョンストン監督が古巣のILMと手を組んでいるのだから、ビジュアル面は絶対的な信頼感があったと言える。公開から20年以上も経過しているが、ゾウが町を闊歩して車を押しつぶすシーンや玄関の扉を押し飛ばして大洪水が起きるシーンを鮮烈に覚えている人も多いはずだ。「ジュマンジ」という“すごろくゲーム”が主軸でありながらその世界観を極限に押し広げた結果、それ以上のドキドキワクワク感が全編を覆い、同時に家族の尊さもしっかりと盛り込んで描ききってしまったあたり、本作が実は単なる娯楽作ではないことを証明している。

そしていよいよ、「ジュマンジ」の“アップデート”が行われた最新作の登場だ。監督には『バッドティーチャー』などのジェイク・カスダン(なお監督の父親は『レイダース/失われたアーク<聖櫃>』『スターウォーズ フォースの覚醒』の脚本を手がけたローレン・カスダン)が選ばれ、主演には“ロック様”ことドウェイン・ジョンソンを起用している。

シンプルなストーリー!

前作同様、今回も相変わらず謎すぎるゲーム「ジュマンジ」を巡る物語が描かれているが、ゲームそのものが“すごろく”から“テレビゲーム”へと進化しているところが大きな変更点になっている。前作ではサイコロを振って出た目の設定がそのまま現実のものとなったが、本作では「ジュマンジ」というゲームの世界そのものの中で物語が展開していく。このあたりは「前作とまるきり同じことをするのではない」という製作側の意図の表れなのだろう。

ゲームに吸い込まれたプレイヤーたちは、テレビゲームと同じようにそれぞれ3回分の“ライフ”と能力・弱点を与えられて冒険をスタートさせる。あとはゲームをクリアすれば終了という、要はロール・プレイング・ゲームの体裁がそのまま映画に落とし込まれているのだ。至ってシンプルな構成で、ぶっちゃければ頭を使う必要のない問答無用のサバイバルアクションが展開するので、いい意味で気楽に楽しめるポップコーンムービーだと言える。近年のメジャー大作などにありがちな「詰め込みすぎ」感は全くなく、全世代が楽しむことのできる(特に80年代・90年代のゲームに慣れ親しんだゲームファンは思わず「ムフフ」となるようなレトロ感が満載でもある)生粋の娯楽作品なのだ。そういった“分かりやすさ”が、前作からのアップデートに上手く作用して懐かしくも新しい、それでいてシンプルな作品へと錬成されて観客に届いたのではないだろうか。

前作『ジュマンジ』を蔑ろにしていない!

前作から20年以上も経って製作されるとなると、“続編”として製作するよりはいっそのことリメイク作としてしまった方が早かっただろう。こうして再びスポットライトを浴びることになるほどのヒット作とはいえ、さすがに前作をしっかりと記憶、或いは理解した上で今回の公開に挑める人は多くはないはずだ。それでも敢えてリメイクとはせずに、あくまで「新作」としてのポジションで製作を開始。物語の直接的な繋がりはないにせよ、精神性はしっかりと継承されることになり、オープニングからドンドコドンドコと太鼓の重々しい音が聴こえてきたときには一気に「ジュマンジ」という世界観に引き戻されるはずだ。

もちろん今回の作品の中ではほかにも前作に捧げられたオマージュが盛りだくさん。前作でジョナサン・ハイドが演じた「ジュマンジ」内での悪役(ゲーム内で執拗なまでに主人公を殺そうとした謎の老兵士)の名前はヴァン・ペルトだったが、今回ボビー・カナヴェイルが演じたゲーム内の悪役も同じくヴァン・ペルトというキャラクター名になっている。また、ゲーム終盤の舞台となる古代遺跡にはある物が設置されているが、その場面で前作のすごろくゲームで使われていた“小道具”を思い出してみるのもいいかもしれない。

それに──これは筆者の個人的な見方になってしまうので恐縮だが、今回の作品では現実世界で主人公たちが通う高校の校長先生が登場する。演じているのはマーク・エヴァン・ジャクソンだが、どことなく顔立ちがロビン・ウィリアムズを彷彿とさせるのだ。そんなイメージを重ねながら観ていると、校長先生が主人公たちに伝える言葉の重みが一層深まるような気がしてならない。ウィリアムズが存命だったら、もしかするとカメオ出演的に演じてくれたのではないかな、と叶わない妄想を抱いてしまう。いや、もちろんジャクソンの佇まいとその台詞の親和性はぴたりとハマっているので、彼が口にする言葉にも注目してほしい。

キャストが魅力的!

ストーリーこそシンプルだが、その分“キャラクターの作り込み”が上手いのも本作の魅力だろう。前述のように、今回主演を務めゲームの世界でゴリマッチョな活躍を見せるのはドウェイン・ジョンソンだが、ロック様が演じるブレイブストーン博士の“中身”はスペンサーという冴えない高校生。はっきり言って、見た目にも性格的にもロック様が醸し出すイメージとは真逆のタイプのキャラクターだ。

しかもゲーム内での姿こそロック様そのものだが、中身は(ゴリパワーを除けば)スペンサーのまま。つまり、馬鹿力は発揮できるが実は繊細というキャラクターをロック様が演じていることになる。近年のロック様と言えばド派手なカーチェイスやドンパチを繰り広げ、さらには巨獣にも立ち向かうような、まさしくスーパーヒーロー的なキャラクターを演じている。そんなロック様がナイーブな演技を見せるという意外性が、キャスティングの妙手になっている。

しかもロック様だけでなく、ゲーム内の美女戦士・ラウンドハウスを演じるカレン・ギランやオベロン役のジャック・ブラックなど、敢えて俳優の持ち味とは違う方向性の配役で物語を動かしていくのだ。ブラックに至っては現実世界ではセルフィー大好き美少女のベサニー(演じているのはマディソン・アイスマン)というのだから、皮肉というかパンチを効かせている。

しかもブラック自身もそんな役柄(中身はベサニーというキャラ)を楽しんでいる節すら見受けられ、「ジャック・ブラック、絶対この映画のヒロインの座を狙ってるやろ」と思わずツッコミを入れたくなるほどの名演技を披露してくれている。映画というものは物語だけではなく、それを支える俳優たちの名演もあってこそ真価を発揮するもの。『ジュマンジ』でロビン・ウィリアムズとジョナサン・ハイドの渋みを効かせた名演が映画をグッと引き締めていたのと同じように、今回は「意外性のあるキャスティング」が見事にハマったことで作品の魅力を倍増させていることは間違いない。

そして、それだけではない真の魅力

あくまでも今回の作品は娯楽大作としての側面が強く、前述のように“ポップコーンムービー”として見事な出来栄えだったと言える。VFX技術も取り入れたド派手なアクションも“ゲーム内の物語だから”と矛盾を感じさせないし、ロック様やカレン・ギランが見せるパワフルすぎる演出は娯楽大作だからこその醍醐味でもある。“超体感型アトラクション・アドベンチャー”というコピーも「偽りなし」だったと思えるはずだ。

けれど、真の魅力がもっと内面的な部分にあったとしたら、また作品の見方が変わってくるかもしれない。

前作を紹介する中で“家族の尊さ”という表現をしたが、実はジョナサン・ハイドが『ジュマンジ』の中でヴァン・ペルトとロビン・ウィリアムズ演じるアラン・パリッシュの父親の2役を演じている点に着目すると別のテーマが垣間見えてくる。少年時代のアランは靴工場を取り仕切る厳格な父親に反発心を抱いており、ついには和解もないまま「ジュマンジ」のマスの指示によりゲーム内に閉じ込められてしまう。現実世界で父親(=ハイド)から逃げるように日々を送っていたアランが、ゲーム内でも執拗なまでにヴァン・ペルト(=ハイド)から逃げ回る、という構図になるのだ。

つまり、ヴァン・ペルトはゲーム内の悪役でありながらアランの父親を投影した姿とも捉えることができ、ゲームから解放されたアランが父親の深い愛情を知った上でヴァン・ペルトと最後に対峙する場面は、見たままの構図以上に深い意味がもたらされる。その証拠が、闘う意志を見せたアランに放つ「少しは男らしくなったようだ」というヴァン・ペルトの台詞に現れており、ヴァン・ペルト=父親から逃げようとしなかったアランへのメタ的な言葉になっている。こうしてゲームのキャラクターであり父親の投影でもあるヴァン・ペルトと向き合ったことで、アランはようやく父親に対する“答え”を見つけることになった。

アドベンチャーシーンばかりが注目されがちな前作だが、このように「ジュマンジ」というゲームを通じて家族という関係性にもしっかりとスポットを当てた上で物語を構成していたのだ。

ここで話は今回の作品に戻るのだが、「前作から精神性を継承している」「意外なキャスティング」という2つのポイントがまさに合流して、ド派手なアクションの裏側で静かに呼吸を続けることになる。繰り返しになるが、あくまでゲームの中のロック様やカレン・ギランたちの中身はティーンエイジャーであり、子どもでもないしかし大人でもないという人生におけるほんの瞬間にしか存在しない特別な時間を過ごしている。

そんな彼らがたまたま出会い、ゲームに吸い込まれ、ただゲーム内のキャラクターを操作するように動かしてゲームクリアを目指すだけの物語だったら、ここまでのヒットには至らなかったのではないか。スペンサーたちがゲームに吸い込まれ、自分の個性とは切り離された特技や弱点を与えられるのは、言うなればゲーム内のキャラクターの中に取り込まれながら、内側から自分とは違う“他者”と向き合うことを意味する。

それは、例えば高校や大学を出て初めて社会に飛び込んだときに直面する、“他者との協調”という壁にも似ていないだろうか。スペンサーたち4人はそれぞれに個性を持っているが、ではそれだけで社会の中で生きていけるか、と言われれば難しいところだろう。そのときに、お互いの持ち味・長所を引き出しながら、同時にデメリット・弱点を補い合いながら定めた目標=ゲームクリアに立ち向かうことになるのではないだろうか。

ゲーム序盤こそ突然の異世界にちぐはぐな行動を見せていた4人が、徐々に協力し合うようになる姿はまさに大人に向かっていく成長の証のようにも思える。前作でアランは過酷なゲームと向き合うとことで、畏怖の対象である父親の影とも向き合った。今回の4人の高校生たちはゲームを通して自分自身と向き合い、そこから外の世界を俯瞰するようになる。そういった意味では彼らにとっても「ジュマンジ」とは“超体感型アトラクション”であることに変わりなく、むしろ観客以上に彼らはその体験を身にしみて味わうことになる。

いつの間にやら「マジジュマンジ」なる造語が誕生していて、その意味は「物事が予想のナナメ上を行く事」だという。ではその斜め上を行った先に何があったのだと言われたら、筆者は「青春があった」と答えたい。ただの娯楽大作ではなく、ティーンエイジャーたちの成長や友情、さらには恋まできっちりと物語の中に収めていた。このテーマこそ、筆者にとって「マジジュマンジ」だったのだ。

まとめ

正直に言うと(と書くほど大したことではないが)、公式ツイッターアカウントの流儀に則り体裁などまるきり無視した、振り切った文章を書くつもりでいたのだが不思議なもので書き進めていけばいくほどそんなテンションが影を潜めていく。

「……冒険心がなくなったなぁ」と少しばかり凹んだりもするけれど、作品そのものはハイテンションで突き進んでいく見事な娯楽大作になっているので、やはり「頭を空にして楽しめる」という意味では久しぶりの気分爽快映画になっているので心から楽しんでほしい。

「ハリウッド大作みたいなド派手な作品はちょっと」という映画ファンも、冒険へと駆り出してほしい。瑞々しい高校生たちに懐かしさを覚えたり、或いはキャストの新たな魅力を発見することになるかもしれない。「マジジュマンジ」の先にある答えは、きっとそれぞれ冒険者たちの心の中にある。

(文:葦見川和哉)

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