二枚目スターであることを 嫌い続けていた上原謙

■「キネマニア共和国」

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.8

現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。
日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

二枚目スターであることを
嫌い続けていた上原謙

上原 謙さん
上原謙といえば、戦前戦後の二枚目スターとして伝説的存在であり、特に『愛染かつら』(38)を代表とするメロドラマに欠かせないといった印象ではあります。
しかし、いざフィルモグラフィをチェックしていきますと、必ずしもそうとばかりは言い切れない部分が見えてきます……。

戦前の“松竹二枚目三羽烏”と
そのイメージ脱却を

上原謙は1909年11月7日、東京市牛込区の生まれ。中学時代はボーイスカウトに属し、その音楽隊でトランペットを吹いていたことから、29年、立教大学に入学して立大シンフォニー・オーケストラでトランペットやフレンチ・ホルンを担当しました。

33年、松竹蒲田撮影所が『理想の夫』を制作するにあたり、宣伝展開として「あなたの理想の夫を推薦してください」と募集をかけたところ、上原の友人たちがいたずらで彼の写真を送り、これが入選。しかも面接の結果、俳優として採用されることになってしまい、まったく俳優業など興味のなかったものの、とりあえず卒業してからという約束を交わしました。

35年、松竹に入社して同年、清水宏監督の『若旦那・春爛漫』で映画デビュー。
(これは明朗青春シリーズ“大学の若旦那”シリーズの一篇で、この時の上原は脇役でしたが、後に彼の息子・加山雄三主演で東宝が若大将シリーズを制作したのも何かの因縁でしょうか?)

続いて清水監督『彼と彼女と少年達』(35)で初主演を果たし、その知的で上品な二枚目ぶりが評判となり、以後、共演の桑野通子とコンビを組んで、都会の恋人同志を演じ続けることになりました。
(ふたりのことを当時のファンは“アイアイ・コンビ”と呼びました)

さらには同年秋の清水監督『恋愛豪華版』で劇中歌を披露、翌36年は志水監督の代表作でもある『有りがたうさん』でバス運転手を好演。この直後に徴兵され、台湾へ渡りますが、その直後に急病で入院を余儀なくされ、3か月で帰国し除隊。清水監督の『自由の大地』から俳優復帰し、秋には佐分利信、佐野周二とともに“松竹二枚目三羽烏”として五所平之助監督の『新道』に主演。37年にはさらに三羽烏を前面に押し出した島津保次郎監督の『婚約三羽烏』が大ヒットしました。
また36年の秋には、岩倉具視の曾孫でもある女優の小桜葉子と、周囲の猛反対を乗り越えて結婚しています。

38年、田中絹代と共演した野村浩将監督のメロドラマ『愛染かつら』が空前の大ヒットとなり、上原のスターとしての地位も決定的なものになりますが、実は彼自身、あのようなすれ違いメロドラマへの出演がいやでいやでたまらなかったようで、その反動もあってか、40年には吉村公三郎監督の戦争映画『西住戦車長伝』で実在の戦場の英雄・西住小次郎中尉を(余談ですが、大ヒット・アニメーションTV&映画『ガールズ&パンツァー』ヒロインの苗字はここから採られています)、木下恵介監督のデビュー作『花咲く港』(43)ではペテン師を演じるなど、会社の求める二枚目的なイメージに固執しない姿勢を取り続けていきました。

戦後の演技派開眼から
晩年は再び二枚目老紳士へ

45年夏の終戦後、12月末日をもって松竹を退社し、映画俳優のフリー第1号となった彼は、戦前における姿勢をさらに強め、木下監督の『結婚』(47)『四谷怪談』(49)、市川崑監督の『三百六十五夜』(48)小津安二郎監督『宗方姉妹』(50)溝口健二監督『雪夫人絵図』(50)といった意欲作に主演し、51年の成瀬己喜男監督作品『めし』でついに演技派への脱皮に成功。以後も成瀬監督の『夫婦』『妻』(53)『山の音』『晩菊』(54)『くちづけ』(55)と出演し続け、同時に五所監督『煙突の見える場所』(53)、吉村監督『夜の河』(56)などの名作群に出演するようになっていきました。

もっとも57年に東宝専属となってからは、なぜか急に脇役に回るようになり、役柄も初老の端正な紳士といった印象のものが固定化されていき、さらには59年にメニエル氏症候群を患い、60年代に入ると重い役を避けるようになっていきますが、当時の子どもたちにとっては『モスラ』『世界大戦争』(61)『妖星ゴラス』(62)『海底軍艦』(63)など特撮映画でおなじみの顔でした。また『大学の若大将』(61)などで息子の加山雄三とも共演を果たしています。

70年に妻が急逝し、東宝を退社。以後は事業の失敗や、38歳もの年齢差がある女性との再婚(後に離婚)などワイドショーをにぎわせる機会が多くなっていきますが、82年に高峰三枝子と夫婦役で共演した国鉄(現JR)「フルムーン夫婦グリーンパス」CMが往年のファンに好感を持って迎えられ(熟年夫妻が一緒に温泉に入るシーンが話題となりました)、83年にはそのパロディ的役柄で松林宗惠監督の喜劇『ふしぎな國・日本』で高峰と再共演するとともに15年ぶりに映画復帰。続いて大林宣彦監督の『時をかける少女』(83)でも入江たか子とともに老夫婦を好演しました。

さらには田中絹代の半生を描いた市川崑監督の『映画女優』(87)に特別出演し、一瞬ではありますが『愛染かつら』の1シーンを、吉永小百合とともに齢70を超えて再現しています。自分の俳優としてのイメージを固定化させたことで忌み嫌い続けていた『愛染かつら』も、この時期になってようやくゆとりをもって振り返ることができたのかもしれません。

プライベートの本人は飾らない人柄で面倒見がよく、喜劇好きで、晩年はTVのバラエティ番組にも好んで出演していました。本当は二枚目としての虚像を苦痛とし、ずっと等身大の人間でいたかったようです。

91年11月23日、急性心不全のため82歳で永眠。当時は離婚騒動ばかりがスキャンダラスに書き立てられていましたが、実は亡くなる同日の午前1時過ぎまで、加山雄三宅に親類を招いて82歳のお祝いパーティを催していたとのことで、それを聞くとやはり二枚目スターとしてのスマートな印象をもたらしてくれるものがありますし、映画ファンならば改めてそちらの目線で彼の映画スターとしての業績こそを見届けてあげたい気持ちにさせられました。

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(文:増當竜也)


    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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