俳優・映画人コラム

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2016年03月20日

同性からリスペクトされ続ける淡島千景

同性からリスペクトされ続ける淡島千景

■「キネマニア共和国」

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.17


現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。

日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

淡島千景


同性からリスペクトされ続ける
淡島千景


女優・淡路千景が2012年に亡くなったとき、同業の女性ライターたちから「実はファンだった」「あんなに色気のある女性は滅多にいない」「あの人のような気品と明るさは今も見習いたい」などなど、さまざまなリスペクトの声を多数聞いたものでしたが、その女優としてのキャリア、姿勢などを振り返ってみますと、彼女たちの意見もなるほどと大いに頷けるものがあります。

『リボンの騎士』のモデルにもなった
宝塚歌劇団時代


淡島千景は1924年2月24日、東京府の生まれ。39年、宝塚音楽舞踊学校に入学し、41年から50年まで宝塚歌劇団に所属しました。芸名は百人一首の「淡路島 通う千鳥の鳴く声に 幾夜寝ざめぬ 須磨の関森」から最初“淡路千鳥”と決めかけられたものの、既に似た名前の団員が既にいたことと、姓名判断により“淡路千景”と改めることになったそうです。

在団中は娘役スターとして戦中戦後の宝塚歌劇団の中核を担い、久慈あさみ、南悠子とともに“東京の三羽烏”と謳われました。

ちなみに手塚治虫の名作『リボンの騎士』の主人公サファイア王女は、淡島が『ヴェネチヤ物語』の中で演じた、娘ながらも時折男装するポーシャ役をモデルにしていると、手塚氏自身が吐露しています。

50年、先輩・月丘夢路からの誘いもあって、映画界に転向すべく宝塚に辞表を出しますが、何とか引き留めようとする劇団側と揉めてしまい、ついにはクビ扱いでの退団となりました(その後かなり経って両者は和解)。

同年、松竹に入社した淡路千景は第1作『てんやわんや』(50/渋谷実監督)で50年度のブルーリボン主演女優賞を受賞。その後も『自由学校』(51)『本日休診』(52)『やっさもっさ』(53)などの渋谷監督作品をはじめ、小津安二郎『麦秋』(51)『早春』(56)、木下惠介『善魔』(51)『カルメン純情す』(52)、今井正『にごりえ』(53)などの名作に続々出演。

それまでの松竹は戦前のノリをひきずる女優たちが多数占めている中で、彼女のスマートで快活な個性は“銀幕のアプレガール(戦後派女性)第1号”と称されるようにもなりました。

最後の最後まで貫き通した
現役女優


55年には東宝に招かれ、豊田四郎監督の『夫婦善哉』で森繁久彌扮するグウタラ男を見据え続ける妻の役で主演し、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。

翌56年3月には菊池寛章を受章しますが、その後フリーとなり、各社を渡り歩いていく中、次第に東宝作品の出演が増えていきます。中でも五所平之助監督『蛍日』(58)と成瀬己喜男監督『鰯雲』(58)で毎日映画コンクール女優主演賞。また61年の『駅前団地』に始まる駅前シリーズのレギュラー出演者として、シリーズ24作品中22作品に出演しました。

60年代からは舞台やテレビ出演も多くなり、70年代以降はめっきり映画出演が減りますが、83年、木下惠介監督が長崎原爆の惨禍を描いた力作『この子を残して』で久々に映画出演。

90年代に入ると相米慎二監督『夏の庭 The Friends』(94)の後、向井寛監督とともに老女の奮闘劇ともいうべき『GOING WEST 西へ…』(97)『故郷』(99)と主演。若者向けの映画しか企画されない日本映画界に一石を投じました。

最後の映画出演は仲代達矢共演の『春との旅』(10)。テレビは『渡る世間は鬼ばかり』(11・最終シリーズ)で、これを事実上の遺作として、2012年2月16日、86歳でこの世を去りました。

恥ずかしながら、若い頃の私は淡路千景と扇千景、淡路恵子の名前をよく混同してしまうことがあったのですが、実は扇千景も淡路恵子も、淡島千景を尊敬し、彼女にあやかってつけた芸名であったことをつい最近知りました。

生涯現役を貫いた淡路千景は、日本俳優連合副理事長(07年以降は名誉副会長)として俳優の権利向上にも力を尽くしたとのことですが、そういった姿勢が周囲からのリスペクトを受けることにもつながっていったのでしょう。

今も同業の女性たちと話をすると、淡路千景ほど美しい女優はいないという意見をよく聞きます。同性からリスペクトされる女優は、やはり亡くなった後もずっと語られ続けていくものだなと、改めて思わされることが多い昨今です。

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(文:増當竜也)

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