『ラ・ラ・ランド』を“好きになれない理由”を考えてみた

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(C)2016 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved. Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate.

アカデミー賞で6部門を受賞した『ラ・ラ・ランド』は日本でも大ヒットを遂げ、キャッチーできらびやかな音楽の数々、映像の美しさ、普遍的なテーマ性などにより、多くの観客から賞賛を浴びています。しかし、監督の前作『セッション』と同じく、好評ばかりというわけではなく、激烈なまでの批判意見があることも事実です。

個人的に『ラ・ラ・ランド』は基本的に大好きな映画なのですが、“ちょっと好きになれない”、“少しモヤっとする”ところもありました。なぜ本作が賛否両論なのか、具体的にどういうところが鼻についてしまったのか、以下に書き出してみます。

※以下は『ラ・ラ・ランド』のネタバレに触れています。核心的なネタバレは避けてはいますが、なるべく鑑賞後に読むことをおすすめします。

1:映画館でスクリーンの前に立たないで!

単純な問題として、主人公の1人であるミア(エマ・ストーン)を、あるシーンで嫌いになってしまった、ということがあります。

そのシーンとは、ミアがセブ(ライアン・ゴズリング)と映画を観る約束をしていたものの、彼女がその日に先約をしていた会食のことを忘れていた後のことです。ミアは仕方がなく会食のほうに行きますが、スピーカーからセブの弾いた曲が流れてくると、ミアは「ごめんなさい」とその場を去って、セブのいる映画館へと向かうのです。

いくら謝ったからといって、理由も言わず会食を抜け出すのは失礼だよなあ……と思っていると、そのミアは映画館のスクリーンのすぐ手前(しかも上映中)にやってきて、映画を観ている観客の邪魔になっているのです。しかもミアとセブは、映画館の座席でキスまでしようとするのですから……(フィルムが燃えたので、結局そこではキスはできませんでしたが)。

もちろんこれは、薄暗い映画館で、着飾った女性が運命の人を探すというロマンティックなシーンではあるのでしょう。しかし、“その他の観客”の立場になってみると「スクリーンを邪魔する客にはイラッとする!」「映画館でイチャつているカップルなんて大嫌いだよ!」という気持ちになってしまいます。ダブルブッキングをしてしまったのは、完全にミアの落ち度でもありますしね。

フォローをしておくと、このスクリーンの前に現れるのは、セブがプールでミアに再会した時に言っていた「スクリーンで会おう」という嫌味が、本当になったということでもあります。

また、その時に観ていた映画『理由なき反抗』は、若者たちの反抗心、弱さや脆さを描いた作品です。スクリーンの前に立つミアの行動は、やはり“大人には受け入れ難いもの”として描かれていたとも取れるかもしれません。詳しくは後述しますが、これはミアの“幼児性”を示している出来事でもありますしね。

でも……そうだとしても、やはりこの件についてミアが反省したり、批判をされたり、しっぺ返しを受けるシーンがないので、この後にミアを応援できなくなってしまい、モヤっとした気持ちが残ってしまいました。

ラ・ラ・ランド サブ2

(C)2016 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved. Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate.

2.セブはあまりに“保守的”な音楽観を持っていた

セブのほうも、あまりに“保守的”なジャズ(音楽)への価値観を持っており、それが良くも悪くも“頑固で融通がきかない”という印象になっています。具体的には、彼は“昔ながら”のジャズを敬愛するあまり、その他の名曲や革新的な音楽へ不快感をあらわにしすぎなのです。

セブは自分が好きではない音楽を演奏する時、思いっきり態度や顔に出ています。クリスマスのジャズバーで弾いたクリスマスソングはあまりにデフォルメされていて、滑稽にすら聴こえました。クリスマスソングであっても、演奏の仕方しだいではちゃんとジャズらしく、お店の雰囲気にも合うはずなのに……。この滑稽な演奏は、おそらくセブからジャズバーの店主への「俺はイヤイヤながら演奏しているんだよ!」という嫌味でもあるのでしょうね。

プールでミアと再会した時は、セブはa-ha の「Take On Me」をロックバンドのピアノ担当として演奏をしていました。この時も、セブはまったく楽しそうではありません。彼の頑固さを示すための描写だとはわかってはいるのですが、そこまで露骨に嫌悪感を出してしまっては……。「Take On Me」は『シング・ストリート 未来へのうた』の劇中で出てきたことも記憶に新しい、世界中で愛されている名曲なのに!

ただし、そんなセブの態度は、ジャズバンドに引き入れてくれたキース(ジョン・レジェンド)から「(昔ながらのジャズじゃないと許容できない)お前の気持ちもわかるよ。だが、お前は偏屈な厄介者だ」と批判をされています。結局セブは、現代的な電子音楽(エフェクター)を取り入れることを許容し、そのライブ演奏は若者に熱狂的な支持を得るようになりました

いわば、セブの物語は“自分が嫌いな音楽を妥協して続けて、なんとか音楽家として成功しよう”というものなのです。そのために誰もが知っているクリスマスソングや、「Take On Me」などの名曲が、“嫌いな音楽”として用いられてしまっている……これでは、モヤモヤした気持ちが残ってしまうのも、無理からぬことなのではないでしょうか。

ここまで保守的な音楽観にこだわるセブというキャラクターを、傲慢な悪人などではなく、“大衆が求める音楽に迎合できない自分がかわいそう”という描き方にしているのも問題です。この“自分の保守的な価値観に酔っている”状態は、その大衆が求める音楽を“下に見ている”ようないやらしさを、どうしても感じてしまうのです。

また、細かいことですが、セブがジャズバーで演奏を聴いている最中に、大声で“自分の好きなジャズ論”をミアに語っているのもいかがなものかと。その演奏をしっかり聴き終わってからしゃべらないと、演奏家に失礼だと思いますよ。

3.だけど、セブの保守的な音楽観も悪いことばかりではない!

もちろん、セブの保守的な音楽観のすべてが悪いというわけではありません。前述の通りセブはジャズバーで“自分の好きなジャズ論”を語り、ジャズを嫌い(Hate)とまで言っていたミアの価値観をも変えたりもしたのですから(それが皮肉にも、ミアとセブが仲違いしてしまった原因にもなってしまったのですが……)。

さらに大好きだったのは、セブが「City Of Stars」を歌いながら、黒人の老夫婦に落ちていたシルクハットを渡してあげるシーンでした。

これは、セブがジャズバーで語っていた「ジャズ(音楽)は(言葉の通じない人たちの)コミュニケーションの手段だったんだ」ということを体現するシーンでしょう。しかもこの「City Of Stars」は、後でミアとセブが2人でピアノを弾きながら歌ったりもしていました。まさに、セブの語っていた保守的な音楽観における“コミュニケーションができる”という素晴らしさが表れているのです。

4.ミアが“大人になること”は、セブにとっては“赤ん坊”だった?

ミアは終盤に小さな劇場で芝居をしますが、楽屋では自分の悪評を聞いてしまい、実家に帰ってしまいます。その演技がキャスティングディレクターに絶賛されていたことを知らされても、ミアは「これでダメだったらもう立ち直れない」と消極的になっていたため、セブは「君は赤ん坊だ!」などと激しく叱責しました。この“赤ん坊”は、この時のミアの態度だけでなく、前述したスクリーンの前に立ってしまうような、ミアの幼さも示していたのでしょうね。

この後のオーディションでは、ミアは「おばからこう言われていたわ、『少しの狂気(A bit of madness is key)が色をつける、やってみなくちゃわからない、世界には私たちが必要なのよ』」などと歌いました。この“少しの狂気”というワードも重要です。はっきり言えば、ハリウッドで女優として成功するなど夢のまた夢であり、“ありえない”とまで言われそうなこと。狂気と呼べるほどの執念がなければ、実現など不可能なのですから。

以上のことを踏まえると(踏まえなくてもそうですが)、セブとミアの物語は似ているようで、まったく異なる結末を迎えています。セブは“大人”になり妥協することで成功できた一方で、ミアは“狂気”を身につけ、妥協せずにとことん好きなこと(女優としての演技)を続けることで、夢を実現しようとするのですから。

そして、ミアが妥協すること、言い換えれば“大人”になって夢を諦めようとしたことこそが、逆にセブからは「君は赤ん坊だ」と叱責されているのです。矛盾しているようですが、これこそ、“2人がまったく違う道を選んで、それぞれの方法で夢を叶えようとした”ことを示しているのではないでしょうか。そして、“違う道を選んでしまった”ことが、あのラストシーンにつながるのですが……。

ラ・ラ・ランド サブ1

(C)2016 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved. Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate.

5.セブとミアも“2人だけの世界”にいて、その他の価値観に排他的なところがあった

こうしてまとめてみると、ミアは“狂気的なまでに自分の好きなことで成功するという夢を追い続けた”、セブは“一応は大人の対応をして自分の好きではない音楽を受け入れて成功する道を選んだ”と、それぞれの夢における“価値観”がはっきりと表れています。そして、2人はお互いの言葉に励まされたり喧嘩をすることはあっても、その他の価値観については“排他的”なところがあるのです(ミアがプールサイドで自慢げな脚本家の言葉を聞こうともしていなかったり、セブがジャズバーでのオーナーの要求に従わなかったりなど)。

2人がその他の価値観に耳を傾けるシーンもあるにはあるのですが、結局はそれは否定されています。ミアは楽屋で聞いた悪評を鵜呑みにしたことはありましたが、セブの言葉により結局はオーディションを受けました。セブもキースの助言をイヤイヤながらも受け入れましたが、やはり“自分の好きな音楽は揺るがなかった”ということがラストでわかるようになっています。

言うまでもなく、世の中の人は夢や音楽に対して多様な価値観を持っています。しかし、本作ではミアとセブの一方的な価値観ばかりを、“2人だけの世界”が彼らの価値観の全てであるかのように、浮き彫りにしていくのです。彼らが映画館の中で人目を構わずにキスをしようとしたり、プラネタリウムの中で“有頂天”になるのは、その“2人だけの世界”がそのまま表れたかのようなシーンでした。これらの2人の価値観に共感できない、違和感を覚える方にとって、『ラ・ラ・ランド』は居心地の悪い作品になってしまうのかもしれません。

もちろん、自分の価値観をまったく変えないということも、大切なこと、尊いことでもあります。この2人の価値観に同意できるか、感情移入ができるかどうかが、本作の評価の分かれ目なのかもしれませんね。

ラ・ラ・ランド

(C)2016 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved. Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate.

6.“努力”がほとんど描かれていない作品だった

本作は“努力”がほとんど描かれていない作品でもあります。いわゆる”スポ根もの”のような、努力と根性で逆境を乗り越えたり、ライバルと切磋琢磨していく描写が、ほぼ皆無なのです。

個人的には、これは“あえて省いたこと”として納得はできました。ミアが(おそらく長年の努力で培われていた)演技力の高さとは裏腹に評価されていないことは“電話”の演技をするオーディションで、セブが長年くすぶっていたことは「俺の人生はまだノックダウンじゃないぞ、今はロープ際で相手に打たせてるだけだ!」と声を荒げるシーンで十分にわかりますしね。

夢に対する努力ではなく、2人の価値観を主題にしたことは、本作のもっとも極端な魅力とも言えるかも。これも好き嫌いが分かれそうなのですけどね。

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(C)2016 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved. Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate.

まとめ

上記の1.と2.では、それぞれでミアとセブというキャラクターそれぞれの、どうしても好きになれないところを書きました。これが、キャラクターだけでなく、『ラ・ラ・ランド』という作品そのものに、“音楽やミュージカル映画のオマージュがたくさんある一方で、実は大衆に愛されている音楽や映画への敬意がないのではないか?”という疑いを持つ原因になってしまっているのです。

ただし、これらの描写も“夢を実現するために、何かを犠牲にしなければならない”という作品のテーマ、切なくも美しいラストを描くためには必要不可欠とも思えるものでした。モヤっとしたとしても、「やはりこの映画にはこれらの描写があるべきなんだ」という気持ちも、捨てきれないのです。

ちなみに、デイミアン・チャゼル監督が本作『ラ・ラ・ランド』の元となる作品のアイデアを思いついたのは、ハーバード大学での卒業制作(監督デビュー作)だったのだそうです。でも、監督は出資者から「主人公が愛する音楽をジャズではなくロックに変えろ」と求められてしまったのだとか。その時の苦い経験が、本作の“なかなか好きな音楽で成功できない”というセブに投影されているのです。

しかし、その一方でチャゼル監督は「セブが語ることに僕自身が必ずしも同意しているわけではなくて『それは違う』と思うこともあるんだ」とインタビューで語っています。作中のセブの態度や言葉はもちろん、観客それぞれが受けた印象も、作り手が意図したものとイコールであるとは、断言できないでしょう。

映画とは面白いもので、同じ作品を観たとしても、まったく違う感想を抱いたり、はたまた好き嫌いがはっきりと分かれることがよくあります。『ラ・ラ・ランド』はチャゼル監督の作家性や、自身の人生を反映した“価値観”がはっきりと表れており、それをどうしても“感じてしまう”ため、特に観客によって印象の異なる、賛否両論を呼ぶ作品になっているのでしょうね。

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(文:ヒナタカ)

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