なぜ『天空の城ラピュタ』は飛び抜けて面白いのか?キャラの魅力と宮崎駿の作家性から理由を探る

(C)1986 Studio Ghibli

本日9月29日、金曜ロードShow!にて『天空の城ラピュタ』が地上波放送されます。

本作がアニメーション映画における、飛び抜けた名作であることは言うまでもありません。魅力たっぷりのキャラクター、幻想的な世界観、ワクワクが詰まった活劇……ただただ観ていて楽しく、面白く、幸せな時間を過ごせるばかりか、何度観ても新しい発見があるのですから。

本作の面白さがどこにあるのか、ということは、宮崎駿監督による以下の“企画の覚え書き”においても、端的かつ正確に表れています。

『天空の城ラピュタ』が目指すものは、若い観客たちが、まず心をほぐし、楽しみ、よろこぶ映画である。笑いと涙、真情あふれる素直な心、現在もっともクサイとされるもの、しかし実は観客たちが、自分自身気づいていなくてももっとも望んでいる、相手への献身、友情、自らの信ずるものへひたむきに進んでいく少年の熱意を、てらわずに、しかも今日の観客に通ずる言葉で語ることである。

若い観客が大いに楽しむことができ、主人公の少年の熱意がしっかり観る人に伝わる……確かに、これこそが『天空の城ラピュタ』の面白さの理由の1つですね。

ここでは、さらに細かく「なぜ『天空の城ラピュタ』は面白いのか?」という理由を、キャラクターの魅力を主軸に、さらに語っていきます。本編のネタバレに触れているのでご注意を!

1:パズーも閉塞感に苦しんでいた?“どうしようもない現実の問題”が描かれていた!

(C)1986 Studio Ghibli

映画において、登場人物の人となりや世界観を示すために、初めに日常や説明のシーンを長く描くことがままあります。もちろんそれは作品に必要なものですが、意地悪な言い方をすると“何も事件が起こらない”ということでもあるので、退屈に感じてしまうことも少なくはないでしょう。

しかし『天空の城ラピュタ』では、いきなり海賊が飛行船に来襲するという活劇から物語が始まっています。その後も、シータとパズーの交流や、ドーラ一家のコミカルなシーンを挟みながらも、アクションやスペクタクルの連続で、観客をどんどん引き込んでくれます。

重要なのは、こうした見せ場が連続であるのにも関わらず、登場人物がいずれも魅力的であり、しっかり感情移入ができることです。それは、ごくわずかな日常のシーンだけでも、彼らがどういった人間であるか、どういう生活や人生を送ってきたかがわかるからでしょう。

例として、序盤のパズーが働いているシーンを振り返ってみます。街のおじさんが「めずらしく残業かい」と聞くと、パズーは「うん、今日は久しぶりに忙しいんだ」と答えており、これだけでも「この少年は働き者なんだな」「人に好かれているんだな」とそれとなくわかります。それでいて、鉱夫たちが後に「銀どころかスズさえねぇ」などとこぼし、親方は「残業はなしだ」と言ったことで、炭鉱の未来が決して明るくない、しかもパズーがどれだけ努力をしてもそれは変わらないという、現実的な問題があることも理解できるのです。

パズーはどんな時もまっすぐで気丈な性格に見えますが、まだほんの12、13歳の子どもです。文句も言わずに仕事をこなしてきたとしても、不安と閉塞感でいっぱいの日々を過ごしていたのでしょう。彼が気持ちのいい朝にハトたちを開放してラッパを吹くこと、シータに「君が空から降りてきたとき、ドキドキしたんだ。きっと、素敵なことが始まったんだって」と言ったことなどには、“(苦しい)現実から開放されたい”という気持ちが表れていたようにも思えます。それは同時に、「現実を忘れてワクワクする冒険がしたい!」という観客の気持ちにもシンクロしているのです。

(C)1986 Studio Ghibli

また、パズーは念願だったラピュタへの冒険の旅に出たとしても、決して“ただ楽しむ”だけではありません。ドーラに「飛行石を持たないお前たちを乗せて何の得があるんだい?」と問われると、まっすぐな瞳のまま「働きます」と言うのです。どんな状況でも、パズーのマジメで勤労的な性格はまったくブレてはいない。この一貫したキャラクターの魅力がパズーにはあるため、誰もが彼のことを大好きになれるのではないでしょうか。

さらに、前述した炭鉱の“どうしようもない現実の問題”は、後にシータから(パズーを守るために)「ラピュタのことを忘れて」と言われ、ムスカから金貨を受け取って帰るしかなかった、というシーンにもつながっています。このパズーのとてつもない悔しさを描いてから、豪放磊落なドーラ一家とともにシータを救いに行き、そしてパズーの勇気こそが彼女を救うという……何というカタルシスでしょうか!

『天空の城ラピュタ』のアクションの連続に本気でハラハラドキドキでき、応援できる。その面白さの根源には、こうして主人公のパズーの魅力を、わずかな時間でしっかりと描ききっていたこともあるのでしょう。

余談ですが、宮崎駿は本作が“子ども(若者)のための映画”にしたいというこだわりがあったようで、キャラにもっと陰影をつけるためにパズーの年齢をもっと上にしようと鈴木敏夫プロデューサーが提案したところ、「小学生に見せる映画だ。年齢をあげたら元も子もない!」と怒ったのだそうです。確かに、パズーはあの年齢だからでこそ、その純粋さが際立ちますし、(詳しくは後述しますが)その性格が豪快な海賊たちや、凶悪な本性を隠しているムスカとの“対比”として生かされているように思えます。

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