音楽

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2016年07月03日

「映画音楽は劇の伴奏=劇伴ではない!」名匠・佐藤勝の傑作サントラCDからその叫びを聞け!

「映画音楽は劇の伴奏=劇伴ではない!」名匠・佐藤勝の傑作サントラCDからその叫びを聞け!

■「キネマニア共和国」

日本の映画音楽界にはさまざまな名匠巨匠が存在しますが、中でも映画音楽一筋に生き、生前308本の作品を世に遺した佐藤勝の名前は、日本映画ファンならば絶対に見聞きしたことがあるかと思われます。

『ゴジラの逆襲』『狂った果実』(共同)『蜘蛛巣城』『俺は待ってるぜ』『錆びたナイフ』『美女と液体人間』『紅の翼』(共同)『隠し砦の三悪人』『独立愚連隊』『用心棒』『人生劇場 飛車角』『赤ひげ』『組織暴力』『若者たち』『兄貴の恋人』『肉弾』『新選組』『家族』『戦争と人間』『日本沈没』『ゴジラ対メカゴジラ』『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』『キタキツネ物語』『皇帝のいない八月』『あゝ野麦峠』『遥かなる山の呼び声』『地球(テラ)へ…』『陽暉楼』『薄化粧』『塀の中の懲りない面々』『敦煌』『大誘拐 RAINBOW KIDS』『滝廉太郎物語 わが愛の譜』『釣りバカ日誌スペシャル』『雨あがる』……

雨あがる



これらは彼が手掛けた映画音楽のごくごく一部ですが、映画ファンを自負する人で、これらのタイトルを1本も知らないという人もほとんどいないのではないでしょうか……。

キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.141

そんな佐藤勝の『斬る』『大菩薩峠』『日本のいちばん長い日』『日本海大海戦』がCD化されました!

映画と映画音楽に捧げた
佐藤勝の人生


まずは佐藤勝のプロフィールから紹介します。

1928年5月29日、北海道留萌市生まれ。

幼い頃から音楽を習い、戦後、国立音楽学校へ進学するも、同時に映画にも魅せられており、作曲家になろうか映画監督になろうかと、真剣に悩んでいた時期もあったとのこと。

そんな彼の転機となったのが、黒澤明監督『羅生門』(50)を見て、早坂文雄のボレロ形式の映画音楽に衝撃を受け、自分も映画音楽の道を進みたいと決意を固めます。

翌51年、音大卒業の直前に早坂邸の門を叩き、弟子入りして映画音楽を学ぶことになりました。

52年、『三太と千代ノ山』で映画音楽作曲家としてデビュー。クレジットは師匠・早坂と共同になっていますが、実質全ての曲をひとりで担当しています。

その後も早坂の弟子を努めながらコツコツと映画音楽のキャリアを重ねていく佐藤勝でしたが、55年、その早坂が急逝し、彼が音楽を担当しつつも未完のままであった黒澤監督作品『生きものの記録』を代わって仕上げ、それを機に『蜘蛛巣城』『どん底』『隠し砦の三悪人』『悪い奴ほどよく眠る』『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』『赤ひげ』と、黒澤明監督の全盛期ともいえる作品の音楽を担い、世界的にその名を轟かせることになりました。

同時に岡本喜八、沢島忠、五社英雄、蔵原惟繕、中平康、舛田利雄、森谷司郎、福田純、佐藤純彌、山田洋次、森崎東などなど気の合った同世代的俊英監督から、田坂具隆、滝沢英輔、山本薩夫、稲垣浩、中村登、豊田四郎などの巨匠連まで、合わせて90人以上の監督と組み、上記のような日本映画史上に残る名作群の音楽を担当。

テレビでも『遊撃戦』『若者たち』『三姉妹』『ゴメスの名はゴメス』『ジキルとハイド』『愛と死の砂漠』『水滸伝』『青春の門』『文吾捕物帳』『春の波濤』『八丁堀捕物ばなし』『御家人斬九郎』などのシリーズものや、『昭和怪盗傳』『太閤記』『武田信玄』『源義経』『忠臣蔵 風の巻・雲の巻』など単発ドラマを多数手がけています。

歌謡曲の作曲では『若者たち』『恋文』『昭和ブルース』『一本の鉛筆』などのヒット曲があります。

毎日映画コンクール作曲賞(4回)および日本アカデミー賞最優秀作曲賞(3回)など受賞歴多数。

1999年12月5日、71歳で死去。

今回リリースされる4作品の
佐藤音楽の特色と醍醐味


さて、今回発売されるサントラCDは、これまでにも『東宝「血を吸う」シリーズ音楽集 血を吸う音楽』(『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』『呪いの館 血を吸う眼』『血を吸う薔薇』3作品の真鍋理一郎・作曲の音楽を収録)、『吸血鬼ゴケミドロ』(音楽:菊池俊輔)『昆虫大戦争』(音楽:菊池俊輔)と、ユニークな作品群をリリースし続けるディスクユニオンのCINEMA―KANレーベルから発売されるもの。

7月20日発売


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『大菩薩峠』(CINK-10)は戦前から繰り返し映画化されてきた中里介山の時代小説を、岡本喜八監督のメガホンで映画化した66年作品で、人を斬る血の味に魅せられた主人公・机竜之助の数奇な運命を描いたもので、クライマックスの新選組との終わりなき死闘など迫力十分。尺八の音が虚無的ながら、どこか鳥肌の立つような寒気まで醸し出し、人が夜叉と化していく凄みまで奏でています。

 

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『斬る』(CINK-11)は藩の不正を正そうとした若侍たちが逆に罠に落ち、かつて侍だったヤクザ者がその危機を救うという68年の時代活劇。ここではマカロニウエスタンを彷彿させるペシミスティックながら躍動感に満ちた音楽を披露。もともとマカロニウエスタンは『用心棒』(61)を勝手に翻案した『荒野の用心棒』で世界的に市民権を得たジャンルでもありますが、その『用心棒』の音楽を担当した佐藤が、ここでマカロニウエスタンをパロった音楽を披露しているのが何とも痛快です。

ちなみに、佐藤勝がもっとも多く組んだ監督が岡本喜八で、彼が監督した39本の映画の内、佐藤は何と32本の音楽を担当しています。一般的に佐藤音楽は黒澤明監督作品を代表格に語られることが多いのですが、実質、一番ユニークな音楽が構築できているのは岡本作品ではないかと、個人的には思っています。

8月10日発売


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『日本のいちばん長い日』(CINK-12)は、昨年松竹でリメイクされた終戦秘話を描いた超大作の67年版で、東宝8・15シリーズ第1作。こちらも岡本喜八監督作品。一見無調のようでいて、その実メロディアスかつリズミカルでスリリングな佐藤音楽の剛速球ともいうべき醍醐味が堪能できる傑作。全てが終わっての勇壮なエンドタイトルと最後の平和の鐘の音が素晴らしい余韻を持たせてくれています。

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『日本海大海戦』(CINK-13)は東宝8・15シリーズ第3作で、日露戦争の全貌を日本海大海戦をクライマックスに描いた69年の丸山誠治監督作品で、特撮の神様・円谷英二の遺作としても知られています。ここでは当時の軍歌がいくつか登場する中、佐藤は《日本海マーチ》を作ってそれらを凌駕し、日本の戦争映画音楽の白眉としています。

(それぞれ価格は税抜3500円+税となっております。僭越ながらライナーノートの執筆は、私が務めさせていただきました)

実は私自身、佐藤勝の晩年、およそ10年ほど雑誌連載の担当者としてずっとおつきあいさせていただいてきました。

以降は、そんな彼との交流の中から、彼との厳しくも楽しかった思い出や、そのときどきの発言などを綴っていきたいと思います。

メロディメーカーだからこそ実践できた
「映画音楽は音色だ!」


繰り返しますが、映画音楽一筋に生きた佐藤勝は、映画における自分の役割を戦場に例えながら、あたかも自分を狙撃兵のように「俺は自分の音楽で監督を援護射撃するんだ!」と豪語し続け、自分の作った曲をめだたせようとかするのではなく、あくまでも映画の貢献を第一に考えていました。

よって彼の映画音楽はいわゆるメインテーマ的な数分の長いものもあれば、シーンのインパクトを引き立たせるための10秒とか20秒とか、そういった短いものも多数あります。

しかし、今回のCDを聞いていただければ如実におわかりいただけると思いますが、佐藤の楽曲は短いものでも非常にインパクトがあり、耳に残るものばかりです。

佐藤は映画音楽の根幹は音色にあると言い続けていました。つまりは演奏する際の楽器のキャスティングであり、この映画に最もふさわしい楽器は一体何か?

有名なところでは、その時代劇音楽の最高峰『用心棒』(61)ではオーケストラからヴァイオリンを外し、代わりにその分コントラバスを配して重低音を際立たせています。

芸者たちの確執や悲しみを謳った『陽暉楼』(83)では、普通なら三味線など使うところを、あえてバンジョーを用い、不可思議な響きを聞かせています。

組紐をモチーフにしたラブストーリー『忍ぶ糸』(73)では『第三の男』でもおなじみの楽器チターを用いました。このチター、当時は国内で演奏できる奏者が少なく、探すのに苦労したとのことです。

『恐怖の逃亡』(56)では本物の流しのギター弾きを呼んで、流し独自の演奏によってサスペンスを引き立てています。

もっとも、こういった音色第一主義の背景には、佐藤が優れたメロディメーカーであったという事実もあります。なんだかんだ言って、やはり映画を見聞きしながらメロディアスな情緒には浸りたいもので、その意味では昭和・日本の映画音楽はメロディか音色か、どちらかに偏りすぎているきらいはあるようにも思われますが、佐藤はその双方を融合させた秀逸な楽曲を披露し続けていたのです。

画と音のフィフティフィフティの関係性を
終始求め続けて


さて、映画がサイレントからトーキーに移り変わり、多くの作曲家が映画音楽を手掛け、生活が潤うようになっていく戦前の時代、かたくなに純音楽を貫こうとするゲージュツ肌の作曲家たちは彼らを「劇の伴奏で飯を食ってる情けない連中」とでもいった姿勢で侮蔑し(音楽だけでなく、当時は映画そのものも演劇界から馬鹿にされる傾向がありました)、その象徴として「劇伴」という言葉を生み出しました。

哀しいかな、この言葉は今、映画音楽の業界用語として一般の映画ファンにも浸透して久しいものがありますが、佐藤は徹頭徹尾この言葉を映画音楽に対する差別用語とみなし、激しく嫌悪しました。

これは師匠・早坂文雄が「劇伴という言葉がある限り、日本の映画音楽に未来はない」と佐藤に語っていたことを、師亡き後も心に刻んできた証でもあります。

「俺は劇の伴奏なんか一度たりとも作曲したことはない!」

「劇伴なんて言葉を使う監督とは、俺は絶対に組まない!」

取材中、インタビュアーがこの言葉を使おうものなら、機嫌が悪いと取材を中断し、その場を立ち去ることすらあったそうです。

(そういえば、宮崎駿監督作品などで知られる現代の日本映画音楽界の巨匠・久石譲は、取材の際に必ず「僕は劇伴という言葉が嫌いです」と発言します。実は彼、若き日に佐藤のもとに出入りしてはアシスタントや録音時の奏者を努めるなどの交流があり、こういった発言を聞くと、彼が佐藤の教えを忠実に受け継いでいることを実感できます)

もちろん、伴奏そのものを差別する意思など佐藤には毛頭なく、要は映画音楽を侮蔑するあまり、その言葉を生み出した者たち、および現実に手を抜きまくって映画音楽でメシを食っていた先達(戦後昭和の時代、楽譜を使いまわしたり、ベロベロに酔っぱらって録音ブースで指揮する作曲家など多数いたそうです)への怒りなどからの、批判の発言なのでした。

今、この言葉を差別的に使っている作曲家や映画ファンは少ないとは思いますし、作曲家の中にも「劇伴という言葉に誇りをもって仕事をしてきました」と堂々言い放つベテランもいます。

が、ときどきどこぞのミュージシャンなどが映画音楽を手掛けた際、「劇伴でこんなすごい曲を書いていいのか?」とか「初の映画音楽ってことで意気込んでみたけど、所詮は劇伴だった」「やはり劇伴作曲家にはなりたくない」「僕ら劇伴屋だから」といったコメントも、意外と多く見聞きします。

言霊とはおそろしいもので、普段差別しているつもりはなくても、やはりどこかで映画音楽を差別的にみなしてしまうという、そんな傾向は気づかぬうちに色濃く残っているのです。

この言葉がそうそう映画界から消えることもないかと思われますし、私自身今さら言葉狩りをする意思もありませんが、最近では映画のクレジットにも「劇伴担当」と堂々載ってしまう、そんなご時世の中、この言葉の真の意味を心ある映画ファンには知っておいていただけたら幸いです。

佐藤は、映画音楽にはそれこそ伴奏的に寄り添う場合もあれば、ここ一番というときに前面に出て勝負をかけるときもあり、そういったシーンごとの駆け引きの中から最終的に画と音がフィフティ・フィフティになるのがベストであると、良く語っていました。

黒澤明監督はダビングの際、「おい、ここは音楽が四番バッターだぞ!」と、野球用語を多用しながら佐藤と音楽の打合せをしていたと言いますが、ときに四番、ときに七番、二番などなど、あらゆる打順を網羅しながら映画の援護射撃をする。それが佐藤勝の一貫した姿勢でもありました。

したり顔の映画音楽評論に対しては「音楽を言葉にできるわけないだろ!」と激を飛ばし、先生と呼ぶと「俺はそんな嫌な奴じゃないよ」と笑い(もっとも、バーのママさんやおでん屋の大将らから「先生」と呼ばれるのはまんざらでもない様子でした)、「映画の仕事でもらったギャラは観客に還元するのが筋だ」と、良い酒、美味い飯、おしゃれな服と、宵越しの金など持たずにイキな立ち振る舞いをつづけた佐藤勝。

「超大作ほどオーソドックスにやればいいのだから、仕事は楽だよ」などとうそぶき(もっとも、そのあと必ず「ただし、映画というものをちゃんとわかっていれば、の話だけどね」と目をギラリと輝かせることも忘れなかった)、口角泡を飛ばしながら、しゃべりだしたら何時間も止まらず、ずっと映画と映画音楽の話ばかりを楽しそうにし続けていた佐藤勝。

その真髄は、今回のCD4作品からも、とくと味わうことができると思います。

ぜひとも、ご一聴のほどを。そして彼が携わった308本の映画にも、機会があればぜひご覧になってみてください。映画音楽とは何か? が確実に理解していただけることと確信しております。

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(文:増當竜也

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