『ソワレ』レビュー:コロナ禍の今、手を取って逃避行する男女映画の意義とは?
(C)2020ソワレフィルムパートナーズ
いつの時代も“ボーイ・ミーツ・ガール”で始まる青春のドラマというものが存在するわけではありますが、それはキラキラした明るいものからコミカルなもの、激しくぶつかりあうもの、シリアスなものなど種類も多彩で、当然ながらそこには犯罪を伴うものもあります。
映画『ソワレ』もまた犯罪が若い男女を偶然にも結び付け、逃避行の旅をふたりに強いていくロード・ムービーです。
青春、犯罪、旅といった諸要素を、映画は不思議と昔から好んで描いてきました。
なぜ相性が良いのかはわかりません……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街498》
しかし、この3つの要素がもたらすエモーションの連鎖は、ドラマそのものがいかに悲劇に終わろうとも、見る側に何某かの清らかなカタルシスをもたらしてくれるのも事実です。
もちろん映画『ソワレ』も例外ではなく、本年度の日本映画を代表する、そして混迷する令和の今を象徴し得る秀作の1本足り得ているのでした!
罪を犯してきた男と
罪を犯した女の逃避行
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『ソワレ』の主人公、まず“男”の場合は役者を目指すも鳴かず飛ばずで、オレオレ詐欺の片棒を担ぐなどして生計を切り盛りしている岩松翔太(村上虹郎)。
そんなある夏の日、翔太は所属する劇団とともに生まれ故郷の高齢者施設に赴いて、演劇を教えることに。
その施設で働いている山下タカラ(芋生悠)が“女”の主人公です。
父親(山本浩司)の過酷なDVに苦しめられていた過去を持つタカラでしたが、夏祭りの日、その父がアパートに戻ってきて、彼女に襲いかかります。
衝動的に父を刺してしまうタカラ。
そのとき、一緒に夏祭りに赴くべくタカラのアパートを訪れた翔太は、現場に直面して咄嗟に彼女の手を引き、その場から逃れ、走り出していきます。
かくして、傷ついた青春の逃避行が始まります。
男はこれを"かくれんぼ"と称しました。
女は“かけおち”と称しました。
ふたりは一体どこに向かって走り続けていくのか?(走り続けていけばよいのか?)
そして、その行く先は?
豊原功補&小泉今日子の
初プロデュース映画!
(C)2020ソワレフィルムパートナーズ
冒頭に記したように、ボーイ・ミーツ・ガールがもたらす青春と犯罪と旅とは、まるで映画における三種の神器のような存在で、『俺たちに明日はない』(67)『地獄の逃避行』(73)『青春の殺人者』(76)など、見る側の一生を左右しかねないほどに衝撃的な(その鑑賞が10代などの若き日であればあるほどに!)名作も多数生まれてきました。
映画『ソワレ』もまたその中の1本に組み込まれることは必至でしょう。
ここでは『ディストラクション・ベイビー』(16)『銃』(18)などの若手実力派のひとり村上虹郎と、『左様なら』(19)『37seconds』(20)などで鮮烈な印象を与えた芋生悠が、それぞれ“ボーイ”と“ガール”をみずみずしく演じます。
ここでの“ボーイ”は詐欺で人を傷つけながら生きている男です。
“ガール”は過去に受けた傷を押し殺しながら生きている女です。
傷つけてきた“ボーイ”と傷つけられてきた“ガール”による、何気ないはずであった出会い。
しかし犯罪がもたらした手に手を取っての逃避行は、やがて男を傷つけ、女が傷つけてしまう構図にまで逆転していくことすらままあるのです。
特にソーシャル・ディスタンスが叫ばれる令和の今の世で、そもそもさしたる恋愛感情などなかったはずのふたりが「手に手を取って」しまった関係性がもたらすエモーショナルな衝動とぶつかりあいのドラマは、期せずして人との接触を避けてドラマの発生を抑えたがっているかのような(そして、この罪を犯した主人公カップルも、当然ながら他人との接触は避けたいというのが真情)、偶然ながらも今の時代に対するアンチテーゼに成り得てしまっているようにも思えてなりません。
監督は『此の岸のこと』(10)『燦燦―さんさん―』(13)『春なれや』(17)などシニア世代の“青春”に目を向けた秀作群や、芳根京子主演のセンシティヴな短編青春映画『わさび』(17)などで、地道ながらも着実に映画ファンの注目を集めてきた外山文治。
この新鋭監督を堂々抜擢したのが何と豊原功補(プロデューサー)と小泉今日子(アソシエイトプロデューサー)!
そう、本作は長年俳優として活動してきたふたりが、未来の日本映画界を見据えて取り組んだ初プロデュース映画なのでした。
コロナ禍の今、街を見渡すと手を繋ぐことに躊躇しているかのように並んで歩いているカップルもいれば、そんなのお構いなしとばかりに手を繋いでベッタリ寄り添っているカップルも見かけたりしますが、どちらのパターンの男女にも見ていただきたい、普遍的な青春像を描きつつ、今の時代にもフィットしてしまった青春映画の秀作、それが『ソワレ』です。
ちなみに“ソワレ”とは“舞台”という意味。
誰でも、いつの時代でも、人は青春の“舞台”に立って、みな何かを必死にパフォーマンスし続けながら生き続けていく存在であることを、巧みに示したタイトルなのでした。
(文:増當竜也)
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