「逃げて逃げて行き着いた場所に今あるなという感じ」津田寛治が語る主演作『名前』への思い

6月30日公開の映画『名前』は、直木賞受賞作家・道尾秀介原案、『ねこにみかん』『狂い華』の戸田彬弘監督がメガホンをとった作品。経営していた会社が倒産し、妻と別れて茨城の片田舎に身を寄せ、行く先々で違う名前や素性を名乗って暮らす男・中村正男(津田寛治)と、正男の元に突然現れて、彼を「お父さん」と呼ぶ女子高生・笑子(駒井蓮)の心の触れ合いを描いた物語です。

今回、シネマズby松竹では、主役の正男を演じた津田寛治さんにインタビュー、自分を偽り刹那的に生きる男を演じた作品の裏側、演じることや映画作りへの思いなどを語っていただきました。

正男は「自分の役を掴みとれない人」

(C)2018映画「名前」製作委員会

──本作は、道尾秀介さん原案の作品ですが、台本読まれたとき、どんな感想をもたれましたか?

津田寛治(以下津田):道尾さんというと推理のイメージがあったのですが、従来のそれとはかけ離れている印象でしたね。本当に淡々とした静かな物語で、登場人物にも突飛なキャラクターはいない。非常に好きなタイプの台本だと感じました。

──主人公の正男は行く先々で名前や肩書きを偽っている男ですよね。映画の冒頭でも、どういう人物なのか、非常に掴みにくいミステリアスな感じがありましたが、津田さん自身は、彼をどういう男だと思われましたか?

津田:正男は「逃げている奴」だなと思いました。そこが、自分ともすごくリンクしたんですけれど、逃げて逃げてあそこまで来て、逃げた結果として名前を変えたり、自分を偽ったりしているだけで、決して前向きに違う誰かを演じてはいない印象でした。

──正男に共感できるところはありましたか?

津田:たくさんありました。逃げて逃げて逃げまくって行き着いた場所に僕も今あるなという感じがするので、そこはすごくわかるし、自分探しというものを完璧にしていないところもですね。この作品の中でも若い人たちの自分探しみたいなセリフがあって、「本当の自分を見つけないといけない」というところもあるんですが、それに相反して、正男は本当の自分というものにあまり興味を持っていないですからね。

これは、この作品のテーマにもなっていると僕が勝手に考えていることですが、「名前」というもの自体がひとつの記号で、人を振り分けてみんなで共有するためのものだと思うんです。生まれたときに振り分けられる名前があるからこそ、「この人が津田だよ」と共有できて、周りの人の反応で自分のポジションがわかっていく。それで、「自分はおちゃめな人なんだ」「根暗でオタクみたいに思われている」という中で、無意識に演じてしまっているのが、この世の中なんじゃないかなと思うんです。

周りの空気を読みながらそれをうまく演じている人は、コミュニケーションに長けて、人生を世渡り上手にいいところまで行くけれど、決してそういう人ばかりではなく、演じ下手で自分の役を今ひとつ掴みとれず、いろいろな自分がどうしても露呈して、話す相手によって声のトーンすら変わってしまう人もいる。いくつもの自分を演じている=自分の役を掴みとれていない人で、正男もまさにそうなんだろうなという気がします。

たぶん、正男は「俺ってこういう奴なんです」と自分から積極的にああしていったわけではないと思うんですよ。まわりが根掘り葉掘り聞くものだから適当に答えていって、それで周りが作った人間像を放置した結果、ああなっていった気がしますね。

──逆に彼の理解できない、自分と違うという部分はありましたか?

津田:やっぱり、あそこまで崩壊はできないだろうなというところですね。嘘をつくのもパワーがいるので、普通の人はあそこまで放置はしておけないと思う。それは、怖いことでもあり、大変なことになりかねないですから。なのに、彼があそこまですべてほったらかしてしまっているのが理解できず、ただ、そこまで行ってしまった人だというのが、自分自身にはなかったことなので、興味深くもありました。

(C)2018映画「名前」製作委員会

──追い詰められて逃げてきた正男の前に、突然笑子という一人の少女が現れて、彼の生活は変化していくわけですが、笑子を演じた駒井蓮さんとの共演はいかがでしたか?

津田:みずみずしくて、とても明るく役に対して前向きで、そして、柔軟でしたね。柔軟だからこそさまざまな色に変わっていったというか、まさに笑子のようにいろいろなものに溶け込んでいっているような感じがしました。

クランクインの前にワークショップをやったとき、芝居の経験があまりないということで、一つの面しか見えていなかったのが、やっていくうちに、暗いところ、明るいところから、彼女のいろいろな面が見え始めた。それが、ロケ地の茨城に行ったときにパーンとはじけたような感じがありました。

──笑子と出会ったことで、正男は自分と向き合わざるをえなくなったというか、笑子といるときは、肩書を偽っているときとは表情も違うように感じましたが、笑子と接する演技で意識されたことは?

津田:相手の出している空気や表情をちゃんと受けとることですね。正男自身が何かを発することはないだろうと思っていました。彼は何かを人から受けて色が変わっていくタイプで、笑子の乱入もまさにそういうことなんだろうなと。笑子を演じたのが駒井さんでなければ、ああいう正男にはならず、彼女を反映した正男があの形だったと思います。

(C)2018映画「名前」製作委員会

──駒井さん演じる笑子とのシーンで印象に残っているものはありますか?

津田:クランクインして最初に撮ったのが、笑子が初めて正男の家に入っていくシーンなんですけれど、台本上では、車から降りる笑子を正男が止めて、その後セリフがあったんですが、現場で、彼女が車から降りたとたんバーっと走っていってしまったので、僕もそれを追いかけながらのセリフになったんです。それを見た戸田監督がすごく面白がって、「ここはこういうシーンにしよう」ということになったんですね。

あのとき、駒井さんが起こした化学反応をあますところなく活かした戸田監督の視線も素晴らしかったんですが、彼女の殻がはずれて、生の自分自身で台本やロケ地に対して化学反応を起こしていった、そのまさに始まりのシーンだったと思うんです。あそこで、この作品が決定づけられたんじゃないかと思いました。

──そうしたハプニングによる化学反応というのは、撮影の中でいろいろとあったんですか?

津田:たくさんありましたね。戸田監督もそれをどこかで望んでいたと思います。予定調和で撮るのもすごく大事なことですが、僕の尊敬する小津安二郎監督の「映画に”文法”はない」という言葉のように、映画には「こう作らないといけない」というマニュアルは存在しないわけで、監督ごとに、その組によって作り方が違っていいと思うんです。戸田組の場合は、よその組に比べて文法がなく、そのとき参加したキャスト、スタッフによってやり方が柔軟にどんどん変わっていく現場で、その中で生まれたシーンもたくさんありました。だからこそ、キャストの皆さんも生き生きしていて、たくさんの魅力的な方がキラキラ素晴らしい演技をされていた。そこも作品の見どころだと思います。

「悪い奴にも正義がある」と思っていたい

──今回、演じた正男の行く先々で名前や肩書が違う…というのは、まさにご自身の役者という仕事と同じですよね。

津田:そうですね。ただ、僕らの仕事と彼が決定的に違うのが、僕らがやっていることは、見ている方たちがお芝居だとわかっているということ。そこを相手が気づかずにやると、ある意味詐欺になってしまうわけで、詐欺師の中にも「俺は、人にロマンを与えているんだ」という前向きな方もいると思うんですが(笑)、正男はそういう人とは違う感じがありました。

──行く先々で名前が違う他人を演じる、ご自身のお仕事の面白さはどんなところでしょうか?

津田:世の中の人は多かれ少なかれ演じながら生きていると思うんです。無意識かもしれないけれどみんなが演じているという前提にあって、僕らは「演じている人を演じている」仕事をしていることに最近気がつきまして、そこがすごく面白いなと思います。

たとえば、僕が刑事の役をやっているときは、捜査会議で説明する際、途端に悦に入って人格が変わるし、ビジネスマンの方もプレゼンをするときは別人格になる場合があると思うんですよ。だから、日常の状況によって自分の人格が変わるというのを念頭に置いて演じると、自由になれる感じがありますね。

「このキャラクターはこういうことはしない」とキャラを一つに定めてしまうと、枷をつけられたような感じになってしまう。けれど、寡黙な人がお酒を飲んで変わったり、好きな人と話しているときに変わったりする瞬間はみんな普通にあると考えると、演じることの奥が深くなるし、すごく楽しくなるなという気がしますね。

──逆に他人を演じるときに、難しい、つらいというのはどんなところですか?

津田:悪い人、性根の腐った人間を演じるときでしょうか。自分にないものを演じてしまうと、どうしても嘘になってしまうし、そういう芝居は個人的には好きではないので、性根の腐った奴を演じるときは、自分の中の性根の腐った部分を出すしかないんですね。そうした芝居を何度もやっていると、やっぱり腐った部分が出やすくなって(笑)、悪い人をたくさん演じているときは、日常でもイライラしやすくなるので、それがつらいところではありますね。

(C)2018映画「名前」製作委員会

──津田さんは悪役も得意とされているイメージがあるのですが、では、悪役を演じているときのほうが、よりエネルギーを消耗される?

津田:そうですね。やりがいがあるという感じです。心の襞が大きくなってくるので。昔は、悪役をとことん悪い奴に演じたりもしていたんですが、最近は、「悪い奴にも正義がある」と思うようになってきました。

誰からも愛されなかったら、それはただ単に役の虐待でしかないなと。監督が「こいつが悪いやつじゃないと、主役が立たないから」と考えていて、まわりの役者も「ヒールだから、こいつだけは憎んでていい」と思っている中で、演じている人間までもがその役を憎み始めたら、役の拠り所がなくなってしまうので、「俺は悪い奴じゃなくて、正義のもとでやっている」と、どこかで思っていたいんです。

あるいは、悪い役だと思うならば、罪悪感を抱えている、普段子供に優しい一面もあるといった、いいところをピックアップしていかないと、役自体に魅力がなくなっていくと思うんです。とことん腐った役だとしても、スパイスとしてちゃんといい部分をどこかに持っていないといけないなと最近思うようになりました。

──本作の主人公の正男も、周りの人たちを騙している、ある意味悪い男ですよね。けれど、その一方で愛情を見せる場面もあり、特にラスト近くの笑子と向き合うシーンのセリフでは、彼の中のすごく優しい部分を見たように思いました。

津田:実は、あの場面のセリフ自体、一文字たりとも台本に書かれていないセリフだったんですよ。

──え、そうだったんですか?

津田:台本ではト書きが二行くらい、情景描写だけだったんです。ロケ場所も突然決まった場所で、「とりあえず本番で回しながら行きましょう」っていうことになって、喋っている芝居をしないといけないので適当に喋っていたら(笑)、どんどん正男が自分の中に入っていって、たぶん、もうしみついていたんでしょうね。

すでに撮影の後半で、監督とも何度も話し合いを重ねて、駒井さんともたくさん話していたから、あのくらいのことは、考えなくてもポロポロ出てくるくらいになっていた。その中で喋っているうちに、あのセリフのような笑子への思いを僕、津田寛治自身も感じたんだと思うんです。それで、最後にああいう言葉になったんだと思います。

──では、もとから台本にあったセリフではなく、津田さん自身の中から出てきたセリフだったんですね。

津田:そうなんです。

──あとは、作品の中盤、正男と笑子が釣り堀に行く場面も印象的でした。

津田:あれもハプニングから出来上がったシーンなんですよ。もともとは、渡り船の上で会話をしているシーンだったのが、ちょうど台風が来て渡り船が出せなくなってしまった。それで、監督が急遽ロケハンをして、「この釣り堀で」ということで決まったシーンで、前の日くらいに改定稿が来たんですよね。

──そうだったんですね。釣り堀の場面は、正男が笑子に心を開きだした印象がありました。

津田:上がったものを見たとき、僕もそう思いましたね。釣りが笑子に心を開くきっかけになったんだなと。あれも、茨城に釣り堀があったからこそ、実現したシーンなんです。

──やはり、現場の化学反応で思いもよらないシーンが出来上がっていったんですね。

津田:そうですね。僕は、映画の醍醐味はそこだと思っているんです。こういうことは舞台ではまずありえないし、テレビでもシステマティックに撮っているのでなかなかない。映画という間口の広い公式でやっていくと、土地とも化学反応ができるんです。

頭の中で考えたり、テーブルで本読みをしたり、リハ室でリハ−サルをして作られた芝居が、その土地から湧き出てきている磁場みたいなものや歴史がグワッと押し寄せたときに、今までやってきたことがゼロになるくらい変わってしまうことがあり、『名前』に関しては、そこを監督がきちんとアンテナをはって引っ張ってチョイスしてくれたんだと思います。

「自分は変わった名前で、子供の頃は嫌いでした」

──本作のタイトルであり、「名前」というキーワードについてお聞きしたいのですが、これまでの人生の中で自分の名前について考えた時期、瞬間などはありますか?

津田:自分はちょっと変わった名前だったので、子供の頃はからかわれるので、すごく嫌いでしたね。「津田幹事長」とか「津田ひらがな」とかいわれて(笑)、自己紹介するときも嫌で、「なんで太郎とか普通の名前じゃなかったんだろう」と思いました。

でも、年をとったら、そういう名前ってお気に入りになってくるんですよね。そうなる人は多いと思うんですが、僕も例に漏れず大人になって「特殊な名前でよかったな」と思うようになりました。

──本作を通して、「名前」という言葉、概念について考え方が変わった部分はありますか?

津田:先程話したように、名前って記号だなというのは感じました。「名前がなくともその人はその人だ」とみんな思うかもしれないけれど、名前がないと、共通認識がバラバラになって共有できなくなると思うんですね。

何かの記事で読んだのですが、赤いものがあったとしても、赤という名前がついていない色だったら、赤色には見えず、人それぞれに違う色に見えてしまうらしいんです。「赤」という記号があるから赤に見える、それは人も同じじゃないかなと。名前がないと深まっていかないところがあるんじゃないかと、この作品をやって改めて思いました。

(C)2018映画「名前」製作委員会

この作品は、名前を変えることでキャラクターも変えている、この共通認識が崩壊した男の話で、正男のそれは詐欺師とは明らかに一線を引いていて、なりたくてそうなっているのではなく、ほったらかしていたらそうなってしまって、それでもまだ生きている。はたから見るより過酷な生き方をしている気がしましたね。

──そうした意味でいうならば、笑子にとっての正男は「お父さん」という名前で認識する存在だったわけですよね。

津田:そうなんですよね。そこが、正男からするとあどけなく見えたというか、名前をころころ変えている自分に対して、気持ち悪がることもなく、「お父さん」だと思って無邪気にコミュニケーションをとろうとしてくる。そういうところへの愛おしさみたいなものは、僕自身も感じました。

──正男と笑子の物語、そのラストも非常に余韻が残るものでしたが、あの後、正男はどのような人生を歩んでいくと思いますか?

津田:正男は変わらないと思います。彼にとって笑子との出会いは、別に自分を変える何かにはならなかったんじゃないかなと。年をとるというのは、それくらい怖いこと、切ないことで、「もう変わらない」というものが出てくる頃合いだと思うんです。どんな事件やショッキングなことが起こっても、ここだけは変わらないというものが出てきてしまう。それと相反して笑子は大きく変わっていくと思うんですが。

「犯罪者をしっかりと紐解いて演じてみたい」

──津田さんご自身についても、お聞きしたいなと思います。お仕事以外で何か自分自身に戻って楽しんでいることはありますか?

津田:芝居をやっている以外では、小学5年生の娘と遊んでいるとき、あとは、地方ロケに行って空いた時間に散歩しているときですね。「この公園はこの町の人にとって憩いの場所なのかな。それとも、祭りをする大事な集会所なのかな」とか、「この川は釣りをする人はいるのかな」とか、観光地ではない土地に行って、住んでいる人たちの生活とか歴史を想像しているときが楽しいです。

──昔から、そういった観察をするのがお好きだったんですか?

津田:好きでしたね。たとえば、車や新幹線に乗っているとき、風景が流れているけれど、その流れで過ぎ去る情報はものすごく密が深くて、フッと止まってぐっと見るとすごく深い情報がレイヤー上に突き刺さっているものだと思うんです。そこに時間を超えた歴史まで含めて考えたら、さらにとんでもない情報が流す風景の中に入っているわけで、それが「すげえな」と小さい頃からから思っていましたね。

──流れる風景の中にある情報を捉えていくというのは、映画作りと通じるものを感じますね。

津田:そうですね。だから、そういう映画が好きです。日本の片隅の港町にこんなふうに生まれてこんなふうに死んでいった男がいた。東京とかから見たら誰も知らないけれど、この人にとっての人生は一番メインの物語だった…というような。

──今後の展望についてもお聞きしたいのですが、この先、どのような役を演じてみたいですか?

津田:これまで、サラリーマンや刑事など体制派の人間を演じることが多かったので、反体制派というか、犯罪者を通して弱者をしっかり演じていきたいです。犯罪者を弱者というと語弊があるかもしれませんが、なぜこの人はそうなってしまったのか、加害者でありながら実は被害者である、そんな歴史を紐解いてくような、一人の犯罪者を突き詰めた話で演じてみたいとは、前から思っていますね。

──俳優としてだけでなく、作り手側としてやってみたいという気持ちなどは?

津田:あります。作り手として常に思っているのは、現実と非現実の境目をちゃんと描いていきたいということ。現実の中でも、共通認識としての現実と、その人にしかない現実があると思うので、そこの交差点をちゃんと描ける作品を撮っていきたいです。

これから、現実という価値観がどんどん変わっていく世の中になると思うんです。今も「これは実は現実じゃなかった」と、科学の介入によって昔の人たちが信じていたことが間違いだということになっていっている。でも、物理学が進んでいくとその科学も間違いだということになって、気がつくと「結局そういうことだったんだ」と、おじいちゃんおばあちゃんが昔から言っていたことに、最新の物理学がたどりついていたりするんですよね。

そうやって、真実がころころ変わっていく中で、人が何を本当だと思い、何を虚像だと見ているのかというところを描いていきたいとは常々思っています。

──最後に、作品公開を楽しみにしている「シネマズ」読者にメッセージをお願いいたします。

津田:この映画は、茨城の若い人たちと、日本映画をこれから支えていく若い監督、俳優界を支えていく若い俳優さんたちと一緒になって作った作品なので、青田買いだと思って見ていただけると、後々、「こんなすごい俳優さんが出ていたんだ」「あの監督、若い頃こんなの撮っていたんだ」ということになる可能性があると思います。一見の価値ありなので、ぜひご覧になってください。

(撮影:生熊友博、取材・文:田下愛)

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    ライタープロフィール

    田下愛

    田下愛

    フリーランス・ライター。雑誌、書籍、Webメディアで、幅広いジャンルの仕事をこなして活動中。ファンタジー映画が大好物で、『オズの魔法使い』『ナルニア国物語』『アリス・イン・ワンダーランド』など、魔法やおとぎの国を扱った作品にはすぐ飛びついてしまいますが、一方、『レインマン』のような人間をきっちり描いたドラマも好き。石ノ森章太郎先生をリスペクトする昭和特撮フリークでもあります。

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