『おおかみこどもの雨と雪』なぜ狼の姿でSEXをしたのか?賛否両論である理由を考える

6:雨は“自然を味方に”していた

(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会

赤ちゃんの時からおてんばだった雪は、小学校でヘビを素手で捕まえて驚かれたりしたことをきっかけに“周囲の子どもと合わせる”必要性がわかり、そして“人間”として生きることを選択していきます。母親の花と同じように……。

一方で、雨は自然の中で狼として暮らすことを決断しました。秀逸なのは、母親である花が、雨に“追いつけない”という描写があることです。雨が川に落ちて溺れそうになった時、花は(さっきまで雪の上で笑っていたのに)積もった雪に足をとられてなかなか辿りつけませんでした。終盤に、花は嵐の中で雨を追いかけても道から外れて落下して、気絶をしてしまいました。

花は、狼の姿のまま去ろうとしている雨に「私、まだなにもしてあげていない」と言いますが、すぐに「元気で、しっかり生きて」と旅立ちを肯定できるようになっていました。

この“突然の旅立ちの肯定”も、いきなり育児を放棄しているようだ、と否定的な意見を呼ぶ理由でもありました。ただ、筆者は「なにもしてあげていない」というほどに花が母親としての責任感を感じていたということ、花がここで“自身の汚れた手”を見つめていたこと、そしてナレーションの「一夜にして世界が生まれ変わったようだった」という言葉で、存分に納得することができました。

花は“人間の母親でならなければならない”という価値観にも囚われていたのでしょう。最終的に雨が自然の中に旅立っていったのは、花がその前に雨に言っていた「お母さんは狼が好きよ。世界中が狼を嫌っても、お母さんだけは狼の味方」という言葉を覆すものだったのではないでしょうか。

なぜなら、雨は自然の中で“先生”と呼ぶキツネを見つけ、雄大な自然の先で湖を見つける喜びを知り、花がどれだけ追いかけて“汚れた手”になろうとも、追いつけない存在になった……つまり、花の言う「世界中が狼を嫌っても、お母さんだけは狼の味方」なんてことはなく、世界(自然)は狼(息子の雨)の味方であってくれたのです。それがわかったからこそ、花は「元気で、しっかり生きて」と言うことができたのでしょう。


    ライタープロフィール

    ヒナタカ

    ヒナタカ

    ヒナタカ 「カゲヒナタの映画レビューブログ」運営中のフリーライター。All Aboutでも映画ガイドとして執筆中。なぜか中高生向けの恋愛映画もよく観ています。

    ピックアップ

    関連記事

    新着記事

    WP Facebook Auto Publish Powered By : XYZScripts.com