『翔んで埼玉』が本当にディスっているものとは?
(C)2019映画「翔んで埼玉」製作委員会
いくら漫画原作の実写映画がブームとはいえ、この作品の企画を最初に聞いたときは、正直「頭がおかしいんじゃないか?」と、マジに思う自分がいました。
しかし、キャスティングを聞いた瞬間、鳥肌が立ち、「え、それってもしかして……?」と少しずつ期待を募らせてしまう自分がいました。
そして、いよいよ完成した作品を見たとき、思う存分堪能している自分がいました……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街364》
すべては魔夜峰央の同名コミックの映画化『翔んで埼玉』のことなのです!
魔夜峰央の原作漫画が発行されていた
1980年代当時の思い出
(C)2019映画「翔んで埼玉」製作委員会
『翔んで埼玉』が一体どういう内容の映画であるか、原作を読んでない人でも大方ご存知ではあるでしょう。
「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」
の台詞でも有名な原作漫画は、徹底的に埼玉県をディスりまくり、1980年代の日本を大いに賑わせたことは、リアルタイムで原作漫画に触れていた身としては懐かしくも切ない思い出です。
正直、この手のディスりネタの作品は個人的に好みではありません。
しかしこの漫画は何かが違いました。
『パタリロ』で知られる魔夜峰央ならではの倒錯した薔薇の世界観は常に気品高くもどこかクレイジーで、その甘美な闇の魅力をもって、悪口すらもアートに変えてしまう突き抜けた気持ちよさに満ち溢れていたのです。
その証拠に当時これを読んでいる埼玉県人の中で、少なくとも私の周りで怒っている人は皆無で、むしろこの本のタイトルを口にしただけで、ちょっと困ったような顔をしつつも「自分たちの郷土をここまでアホらしく描いてくれてありがとう」とでもいった、満更ではないオーラを発していたものです。
(時折、マジに空気を読めない輩があまりにもしつこくディスってくると「いいかげんにしろ!」と怒り出すことはありましたけど、それは当然パフォーマンスする側のセンスが悪いからでした)
つまり、ディスりにはセンスが必要だということです。
では、その映画化『翔んで埼玉』にセンスは内包されていたのか?
その答えは?
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