『そして父になる』徹底解説!是枝監督の作家性&福山主演の意図とは?




(c)2013「そして父になる」製作委員会



本日9月16日、『そして父になる』が地上波で放送されます。

本作は“子どもの取り違え”というショッキングな出来事を描きながらも、“家族の有り方”についてさまざまな思想を巡らせる優れた映画です。その魅力を振り返りながら、日本が誇る映画監督・是枝裕和の“作家性”はどういったことにあるのかを、以下に解説します。

※以下からは『そして父になる』本編の軽めのネタバレに触れています。核心的なネタバレは避けていますが、映画をまだ観ていないという方はご注意ください。


1.福山雅治演じる父親の“イヤな性格”が表れすぎ!






(c)2013「そして父になる」製作委員会



福山雅治演じる野々宮良多からは、いわゆる“勝ち組”のエリートならではの、イヤ〜な性格が滲み出ています。

そのイヤな性格の1つが、自分に自信があるがゆえに、相手を見下していること。妻の母に、子どもの取り違え相手の父親のことを「ああ、電気屋でした」と職業のことしか説明せず、その古びた電気店の外見を見て「おいおい、これはいくらなんでも」と口にし、あまつさえ「なんで俺が電気屋にあんなこと言われなきゃいけないんだろうな」とまで言うのですから。その人となりを見ずに、社会的な地位や経済力で人を差別する嫌らしさがはっきりと表れているのです。

良多は子どもに対して教育熱心に見えるようで、実は“切り捨てたこと”には冷淡な態度でいます。仕事を辞めた人間に対して「あいつは田舎のほうが向いているんだよ。辞めたやつのことまで心配してられっか」と言い捨てたり、今まで育ててきた慶多に「向こうでもピアノを続ける?」と聞かれると、「どちらでもいい」と言って、妻のみどりに「慶多が続けたかったら続けなさい。ママが頼んであげるから」とフォローされたりもしていました。

また、良多は冗談をほとんど言わない頑固な人間である一方で、「2人とも引き取りたい」という非常識なことを、冗談のような間の悪さで言ってしまったりもしました。相手の両親が慰謝料のことを口にすると軽蔑するのに、自身がお金で“子どもを買う”ことを悪いとも思わない。鈍感であり、無神経な人間でもあるのです。

良多は厳格でもある一方で、実は他人に影響されやすい面もあるのではないでしょうか。子どもを2人とも引き取ろうとしたのも、上司に「いいアイデアだろ?」とアドバイスされたことがきっかけのように思えますし、自身の父から告げられた「子どもは血だ。相手の子どもはどんどんお前に似てくるし、慶太もどんどん相手の両親に似てくるぞ」を、ほぼそのまま自身も繰り返すように言っていたりするのですから。

『そして父になる』および、是枝裕和監督作品の面白さの1つは、こうしたところにあります。説明やナレーションがなくても、セリフの端々や役者の表情から、その人物の性格や今までの生き方が表れているため、描かれていないことにまでさまざまな想像が膨らむのです。


2.父親2人の“遊び方”の違いに注目!






(c)2013「そして父になる」製作委員会



そのように良多がイヤ〜なエリートの感じを出しまくっていた一方で、リリー・フランキー演じる雄大は、良く言えばおおらかで、悪く言えば適当です。2人はさまざまなことで“正反対”であることを見せていますが、その中でも特にわかりやすいのは“子どもとの遊び方”なのではないでしょうか。

雄大はデパートの遊び場で自分も遊具の中に入ったり、ラジコンも自分で操作して見せたりと、全力で子どもと遊んでいます。ただ、お風呂のお湯を口に入れて飛ばすという客観的にみれば汚いことをしたり、ちょっとしたケガをしても夫婦ともども気にせず、良多とみどりには謝らないという、少し無頓着なところもみられました。

一方、良多はゲームで仲良く慶太と遊んでいるように見えて、途中で「相手の家に泊まってみないか」と提案するため、このゲームが“言いにくいこと何とかを言うための手段”にも思えてきます。また、回転する遊具の中で遊ぶときにも、自分は遊具を回さずに、慶太が“自分の力で入ってきた”ことを褒めていたりもしました。

雄大はただ子どもが好きだから、一緒になって遊ぶ。しかし、良多は遊びを自身のコミュニケーションにするか、子どもが成長するための“手段”と考えている。そんな2人の“子どもへの向き合いかた”の違いが、こうした何気ない遊びのシーンでも表れているのです。

ちなみに、映画本編でカットされたシーンには、家出をした琉晴(雄大の息子)を迎えに来た良多に、雄大が「子育てはピッチャーじゃなくてキャッチャーなんだ」と言うセリフがあったのだそうです。良多は父親が投げたい球を投げるピッチャー型、雄大は子どもがどんな球を投げてきても受け止めるというキャッチャー型、というのは、このセリフがなくても、確かに十分わかりますね。


3.ピアノの音色が示すものとは?



BGMとして流れるバッハの「ゴールドベルク変奏曲」と、慶太が演奏会で披露したたどたどしいピアノの演奏も、強い印象を残します。他にも、野々宮家に連れてこられた琉晴がピアノをめちゃくちゃに弾いたり、その後すぐに良多が一音だけピアノを弾いたり、良多の実家の隣の家からは“進歩のないピアノの音色”が聞こえてきたりと……劇中におけるピアノの音色は、登場人物の内面、または“成長”を表していると言っていいでしょう。

そのピアノのBGMが、激しく、そして優雅に奏でられるシーンが後半に用意されています。具体的にどの場面かは秘密にしておきますが、これは今まで“父親になれなかった”良多が、大きく前進をしたシーンです。彼の成長もさることながら、そのピアノの音色そのものにも、感動できるでしょう。


4.気楽に“冗談”を言っても良いという価値観






(c)2013「そして父になる」製作委員会



良多はほとんど冗談を言わないうえ、前述したように最悪なタイミングで非常識なことを言ってしまったり、子どもに言いにくいことをゲームで遊びながら告げるなど、良く言えばマジメで厳格、悪く言えば融通の効かないところがありました。

一方で、雄大は来るたびに「こいつ(妻のゆかり)が出がけになっていろいろ言うもんだから?」などと、冗談めかした物言いをしていて、妻のゆかりから半ばあきられていました。これを“責任の所在の追求”と言えば堅苦しく聞こえますが、雄大からはそのような深刻さはまったく感じられず、良い意味でお気楽なのです。

ずっと努力をしてきたエリートである良多は、こうして気軽に冗談を言えるだけの、柔軟性やおおらかさがなかったのでしょう。だからでこそ(慶太が自分と血の繋がった息子でないことを知った)良多がクルマの中でぼそっとつぶやいた「やっぱりそういうことか」という言葉は“本気”に聞こえるため、妻のみどりを深く傷つけたのは間違いありません。

そんな良多にとって、電話で母から聞いた「あなたとはもっとくだらない話がしたいわ」という言葉は、救いになったのではないでしょうか。子どもの取り違えという、重く、苦しく、一生つきあっていかなければならない問題が描かれた作品でありながら(だからでこそ)、「もっと気楽に考えてもいいよ」という、優しさも感じるのです。

また、終盤に雄大が言った「電球、何ワットにする?」という何気ない冗談も、とても感動的です。これは、雄大が常連のお客への対応とほぼ同じ言葉。「これからも、こんな感じで気楽に付き合っていこうよ」という想いが見えて、なんとも嬉しくなりました。


5.福山雅治が主演を務めた理由






(c)2013「そして父になる」製作委員会



本作『そして父になる』の大きな目玉と言えば、福山雅治が主演を務めているということ。映画の企画のスタートは、その人気にあやかるなどではなく、実は福山雅治が是枝裕和監督へ「一緒に何かをやる前提ではなく、良い空気が生まれたらその後のことを考えるという気楽な感じでお会いしませんか」と提案したことがきっかけだったのだそうです。

元々の企画に福山雅治という存在があったため、脚本はその人のキャラクターを観察しながら執筆するという、いわゆる“当て書き”がされたそうです。イジワルな言い方をすれば、福山雅治はイケメンで何でもできる完璧超人なので、そのことすらもエリートのイヤな面を表すのにちょうどよく、大スターの俳優としての挑戦にもぴったりだったのでしょう。

ちなみに、是枝監督が父親を演じてもらいたいと頼んだ時、福山雅治は「僕は父親に見えないと思いますよ」と不安そうだったため、是枝監督は「少しずつ父性を獲得していく父の話なので、むしろ最初は父親に見えないほうがいいんです」と言って安心させたのだとか。映画を観終わってみれば、確かに福山雅治が“父親に見えない”ことこそが重要に思えてくる……これ以上のない、ベストのキャスティングだったと思います。

おまけ:『三度目の殺人』との共通点



三度目の殺人 ポスター



(C)2017フジテレビジョン アミューズ ギャガ



現在、是枝裕和監督・福山雅治主演の最新作『三度目の殺人』が映公開中です。過去に起こった殺人についてさまざまな思想と疑惑が交錯するという内容で、良い意味で重々しい作風であるため、優しい家族の関係も描いていた『そして父になる』とのギャップを感じる方も多いでしょう。

しかし、『三度目の殺人』および『そして父になる』には(是枝監督作品のほとんどにも)、やはり共通する特徴がありました。

その1つが、ある事象に対してさまざまな価値観や意見、その根拠を提示したとしても、どちらかが正しく、どちらかが間違っていると明確にさせないことです。

『そして父になる』が「血か、育ててきた時間か」という二者択一にはっきりとした答えをあえて出さないことと、『三度目の殺人』における「何が本当のことなのかがわからない」には、この是枝監督の作家性が如実に表れています。それは、作品からさまざまな価値観や考えを読み取り、観客がそれぞれ自身で考えることができる映画という媒体だからでこそできる面白さそのものでもある、と言っていいでしょう。

ぜひ『そして父になる』と、『三度目の殺人』を続けて観てほしいです。なぜ是枝監督が映画監督として最高峰の方であるか、映画の奥深さとはどういうものであるかが、より鮮明にわかることでしょうから。

(参考図書:映画を撮りながら考えたこと

是枝裕和著)

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(文:ヒナタカ)

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