映画コラム
『サバイバルファミリー』が描く、もしも電気も水道もガスも止まったら?
『サバイバルファミリー』が描く、もしも電気も水道もガスも止まったら?
(C)2017フジテレビジョン 東宝 電通 アルタミラピクチャーズ
もし今の生活から電気はもとより水道、ガスなどのライフラインが全部止まってしまったら?
ここ数年の大災害の数々を踏まえ、時折ふとそんなことを考えてしまうことってありませんか?
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.203》
映画『サバイバルファミリー』は、そんなライフラインが途絶えてしまった日本の姿をシミュレーションしていくヒューマン・パニック・ファミリー映画です!
ライフラインが途切れた中で
旅を続ける家族のロードムービー
本作の内容は実にシンプルで、ある日突然電気もガスも水道も止まってしまいます。
理由は何故だかわかりません。
(どことなく、神が奢れる人間に下した罰であり、試練のような趣も感じます)
テレビもスマホも役に立たず、トイレも水で流せなくなり、洗濯もできず、やがて食料が底をつきはじめていく中、東京で暮らす人々たちの間では「大阪に行けば電気が使える」といった噂が飛び交いはじめ、ある一組の家族が一念発起して、自転車で(電車も飛行機も動かない。車のガソリンもなくなってしまったようです)大阪まで旅立ちます……。
それまで当たり前だと思いこんでいたライフラインがなくなってしまうと、人間が一体どうなってしまうのか?
家族や人間同士の関係性や絆は?
深刻に考え出すときりがなくなるこの問題をテーマに、極上のロードムービーとしてのヒューマンドラマを構築してくれているのが矢口史靖監督。
これまでにも『ウォーターボーイズ』(01)や『スイングガールズ』(04)など、ちょっと視点をずらした発想の数々で活きのいい上質な作品をモノとし、最近は林業コメディ『WOOD JOB!~神去なあなあ日常~』(14)でも気を吐いてきた彼ですが、ここでは人が生きていく上で真に何が必要なのかといった根源的問題に果敢に、しかも独自のユーモアを忘れることなく挑戦しています。
特に食料の問題に関しては、踏み込まざるを得ません。
それは、生き物は生き物の命を奪って生きる糧としているという厳然たる事実であり、本作はその部分からも目をそらすことのない描出の数々がなされています。
養豚場から逃げ出した豚を家族全員で捕まえようとするシーンなど、ユーモラスではあれ、どこか身につまされるものがあります。
(C)2017フジテレビジョン 東宝 電通 アルタミラピクチャーズ
電気がなかったら
映画も見ることができない!
家族に扮するのは、父親=小日向文世、母親=深津絵里、長男=泉澤祐希、長女=葵わかな。
それぞれの現代人としてのアイデンティティが未曽有の大パニックによって崩壊し、その中から少しずつ人間本来の生き方を痛感させられていく姿が、微笑ましくも感動的に映えています。
一方、そんな生活を楽しんでいるかのように旅をしているアウトドア家族(時任三郎、藤原紀香、大野拓朗、志尊淳)との対比も、どことなく笑えつつ、どことなくスマートに生きることって何かつまらないなと思わせてしまうのも、この映画の天の邪鬼な微笑ましさでしょう。
かつて黒澤明監督のオムニバス映画『夢』の最終話で電気が引かれていない村が登場し、水車小屋の老人が「電気なんか、いらん」と言い放つところで、私などは「電気がなければ、あなたたちが作る映画も見られないじゃないか!」と妙に反発したことがありましたが(もちろんそれは比喩的な意味合いであると、今では納得していますが)、本当に電気がなければ映画も見られないわけですから、我々はもっと謙虚にライフラインというものを見据え直していく必要があるのでしょうね。
『サバイバルファミリー』とは、そんなことまで語りかけられ、考えさせられる、そんな作品です。
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(文:増當竜也)
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