「人生、生きちょるだけで丸儲け」の名セリフを残した南田洋子

■「キネマニア共和国」

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.14

現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。

日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

南田 洋子さん

「人生、生きちょるだけで丸儲け」
の名セリフを残した南田洋子

前回の本コーナーで長門裕之を紹介させていただいたので、今回はその妻・南田洋子をご紹介させていただければと思います。
若き日は大映、日活を代表し、長門とのおしどり夫婦でしられつつ、映画、テレビ、舞台と名演を披露し続けた、どこかヴァンプ的に映える妖艶さと、それに相反する気品の高さを体現し続けた名女優です。

『十代の性典』での人気を経て
溝口健二監督作品出演へ至る飛躍

南田洋子は1933年3月1日、東京市芝区三田生まれ。終戦後、家族で茨城県土浦市に移り住み、女学校に通いながら両親とともに行商や露天商などを経験したとのことです。

49年、16歳の春に上京し、同年秋に水谷八重子に弟子入り。もともと女優になる意思はなかったそうですが、51年、アルバイトの延長の気持ちで受けた大映5期ニューフェイスに合格。同期に若尾文子がいました。

52年、『美女と盗賊』でデビューし、しばらく端役が続きますが、53年に若尾文子と共演した『十代の性典』が大ヒットし、シリーズ化されるとともにふたりは“性典スター”のレッテルを張られ、そのイメージを払拭するのにはお互い苦労したようです。

もっとも、これによって人気を得た南田洋子は『近松物語』(54)『楊貴妃』(55)と溝口健二監督作品に連続出演しますが、その後に日活へ移籍。彼女の女優としての資質を買っていた溝口監督はかなり落胆したとのことです。

『太陽の季節』の進言者
そして数々の名匠との出会い

日活では第1作『沙羅の花の峠』で主演し、その後の順調に作品数を重ねていきますが、56年の春に体調を崩して入院。その際、読んだ石原慎太郎による芥川賞受賞小説『太陽の季節』に感銘を受けて、映画化を常務に進言し、それが叶って映画(56)は大ヒットすると共に(石原裕次郎のデビュー作でもあります)、主演した彼女はそこで後の夫となる長門裕之と共演することにもなりました。

また『太陽の季節』の大ヒットによって、日活は不良性感度の高い作品を連打するようになり、それがひいては日活アクション路線にも結びついていきます。

つまり、南田洋子の進言なしに、その後の日活アクション路線はなかったということにもなります。

その後も日活では『わが町』『餓える魂』(56)『幕末太陽伝』(57)の川島雄三監督、『街燈』『美徳のよろめき』(57)の中平康監督、『盗まれた欲情』(58)『豚と軍艦』(61)の今村昌平監督など、映画史に残る名作へ出演し続けていく一方、日活の基軸となっていくるアクション路線では、バーのマダムや情婦といったヴァンプ的魅力を発揮していくようにもなっていきました。

61年3月9日、長門裕之と結婚。

63年の『競輪上人行状記』と『サムライの子』でブルーリボン女優助演賞を受賞。また、この年から夫・長門と共に日活を止めてフリーとなり、64年には夫婦で人間プロダクションを立ち上げます。

大林宣彦監督作品における
名演の数々

夫・長門裕之とのオシドリ夫婦ぶりは前回の長門裕之の項でもお伝えしましたが、本人のみの活動としても65年のNHKドラマ『紀ノ川』で日本放送作家協会女性演技賞を受賞。日本舞踊・市山流の名取、三友商事の社長、かとうようこのペンネームでドラマ脚本も手掛け、さらには建築家の一面も持ち、自宅の建て替えの際は、すべて彼女自身が図面を引いていたとのことです。

70年代以降の女優としての白眉は、大林宣彦監督の商業映画デビュー作『HOUSE』(77)で若い女の子を食べてしまう家の化身として現れるおばちゃま役でしょう。そこでの彼女はホラー映画としての不気味さだけでなく、古き館の格調高さを代弁する気品、そして事のすべてが戦争の惨禍であるという悲劇性をもすべて体現し得ていました。

南田洋子は2004年ごろから認知症の症状が徐々に顕れ始めていきます。そのことを聞かされた大林監督は『理由』(04)に続いて『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』(07)でも彼女を起用。このとき、台詞を覚えるのも困難になっていた彼女でしたが、共演の夫・長門や大林組スタッフの慈愛に支えられながら見事に演じ切り、これを映画の遺作とし、2009年10月21日、満76歳で死去。長門裕之も、後を追うように2011年5月21日にこの世を去りました。

南田洋子との
個人的思い出

私は2004年の暮れ、『理由』で南田さんに取材させていただいたことがあります。
このときは、まだ少なくとも私たち取材陣の前に認知症の気配を示すようなことは全くなく、それどころか『理由』撮影時のエピソードや大林監督のことのみならず、若かりし日の溝口健二監督との思い出や、川島雄三監督がいかにかっこよく女優たちにモテモテであったかなど、楽しい話を伺わせていただきました。

(このときはご自宅の居間で取材させていただいたのですが、取材中ふらっと長門裕之さんが「なあ洋子、今度のおせちはどこに頼もうか?」とやってきて、南田さんが「あなた、取材中なんだから後にして!」とたしなめ、長門さんは「はーい」とぼやくかのように部屋を出ていきました。今にして思えば、良いものを見させていただいたなあと)

取材時、ちょうど祖母役で出演していたNHK朝の連続テレビ小説『わかば』(04~05)に祖母役で出演されていた南田さんは、「人生、生きちょるだけで丸儲け」という宮崎弁の台詞が大好きだとおっしゃっていました。

マスコミが何と騒ごうとも、南田洋子さんご自身、生きちょるだけで(心は)丸儲けな人生を歩まれたのだと、私は勝手に確信している次第です。

今、いつでも見ることのできる彼女の出演作品群が、その何よりの証左ではないでしょうか。

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(文:増當竜也)


    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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