少女から大人の女優へ──吉永小百合という「時代」を映すまなざし
吉永小百合という名前を聞くと、多くの人はそれぞれの「一本」を思い浮かべるのではないでしょうか。
日活青春映画のアイドルとしてデビューし、10代の頃からスクリーンに圧倒的な本数で出演。
やがて、社会派ドラマや文芸作品へとフィールドを広げ、昭和・平成・令和と時代をまたぎながら、常に日本映画の「顔」であり続けてきました。
今回は、そんな吉永小百合の長いキャリアの中から、松竹作品での重要な4本を取り上げます。
- 映画デビュー作『朝を呼ぶ口笛』(1959)
- 海外を舞台にした戦争孤児ドラマ『風の慕情』(1970)
- 恋と性と家族を軽やかに描く『青春大全集 愛とは何か』(1970)
- 社会派パニック大作『皇帝のいない八月』(1978)
少女から若い女性へ、そして硬質な社会派ドラマへ──
4本をたどることで、「吉永小百合」という女優がいかに日本映画の変化と共に歩んできたかが見えてきます。
『朝を呼ぶ口笛』(1959)──14歳のデビュー作に宿る透明なまなざし

(C)1959 松竹株式会社
1959年公開の『朝を呼ぶ口笛』は、吉永小百合の映画デビュー作として知られています。
松竹大船撮影所で作られた作品で、新聞配達をしながら病弱な母と幼い妹を支える少年・次郎の奮闘を描く、いわゆる“貧しくも健気な庶民のドラマ”です。
吉永が演じるのは、次郎の前に現れるお嬢さん・刈谷美和子。
裕福な家庭に育ちながらも、次郎の暮らしぶりを目の当たりにすることで、自分の生き方や家族の在り方を見つめ直していく少女です。
まだ14歳の吉永は、この作品では主演ではありません。

(C)1959 松竹株式会社
しかし、恵まれた環境で育った少女が、同じ時代を生きる「となりの誰か」の痛みに少しずつ気づいていく──
そのプロセスを、丸い瞳の揺らぎと、はにかむ笑顔の奥の戸惑いで繊細に表現しています。
後年の、成熟したヒロイン像を知っていると、この作品での吉永は驚くほどあどけなく見えます。けれど、「他者の痛みを見つめるまなざし」という意味では、すでにのちの代表作につながる芯が芽生えているのも感じられます。
貧困や病といったテーマを抱えながらも、土の匂いのする下町の風景と、少年少女の交流が柔らかく描かれるこの一本は、「吉永小百合がどこから歩き始めたのか」を知るうえで、とても貴重なスタートラインと言えるでしょう。
『風の慕情』(1970)──戦争の影を追って、海の向こうへ

(C)1970 松竹株式会社
次に紹介する『風の慕情』は、1970年7月公開の松竹作品。
脚本は『おしん』などで知られる橋田壽賀子で、戦争孤児の悲劇をベースにしたメロドラマです。
吉永が演じるのは、長谷由布子。
幼い頃に戦争によって生き別れた姉がいる彼女は、お見合いを機に「一度、姉の意見を聞いてみたい」と思い立ち、姉の暮らすオーストラリアへ向かいます。
現地で出会う日本人男性・西条、そして謎めいた出来事の数々。
物語は、やがて舞台をマニラへと移し、戦後の混乱の中で翻弄された姉の運命と、由布子自身の心の成長を描いていきます。
ポイントは、戦争の傷跡が「その後の人生をどう歪めてしまったのか」を、家族の再会というドラマを通して描いているところです。
姉は戦争孤児として過酷な道を歩み、その果てに「淫売のような女」と蔑まれるような暮らしぶりに追い込まれている。
由布子はその姿を知りながらも、簡単には受け入れられない。

(C)1970 松竹株式会社
吉永の演じる由布子は、そこで安易な“美談”に逃げません。
怒り、戸惑い、羞恥、そして喪失──矛盾だらけの感情を抱えた若い女性として、最後まで揺れ続けます。
それでも、姉の人生を丸ごと否定しない地点まで、少しずつ歩み寄っていく繊細なプロセスが、彼女の演技の核です。
オーストラリアやマニラという海外を舞台にしつつ、物語の中心にあるのはあくまで「ひとつの家族の物語」。
そこに、日本映画が長年描き続けてきた戦争の影と、70年代という時代の空気が、静かに重ね合わされています。
『青春大全集』(1970)──恋と性と家族をめぐる、ちょっとビターな青春映画

(C)1970 松竹株式会社
同じ1970年の暮れに公開された『青春大全集』は、テイストのまったく異なる一本。
水川淳三監督、ジェームス三木脚本による、軽やかなのにどこか苦い青春恋愛映画です。
吉永が演じるのは、ピアノ調律師の根本律子。
役所勤めの父と二人暮らしをしながら、恋人でバンドマンの保と付き合っている、ごく普通の若い女性です。
土曜日にはキスをする──そんなささやかな約束を大切にする二人の前に、見合い話や“南極越冬隊員”というインパクトの強い候補相手、さらに施設から脱走してきた悪ガキ・ナオト君などが現れ、日常は少しずつかき乱されていきます。
物語は、恋愛・性・結婚といったテーマを、あえてコミカルな会話とシチュエーションで転がしていくのが特徴です。
- 「処女幻想」「プラトニックじゃしょうがない」
- ラブホテルの前での口論
- 家族や社会の価値観とのズレ
こうした要素は、当時の日本映画としてはかなり率直で、今見てもびっくりするほど“生々しい”ところがあります。

(C)1970 松竹株式会社
律子は、決して奔放なタイプではありません。
むしろ、まじめで、家族思いで、少しだけ勇気の足りない女性です。
けれど、そんな律子が、自分の身体と心、そして「誰とどう生きていきたいのか」を少しずつ言葉にしていく姿には、今の観客にも通じるリアリティがあります。
主題歌「この風は」を歌うのも吉永自身。
清楚なスクリーンイメージと、70年代の価値観の揺れが同居するこの作品は、“国民的清純派”が、より現代的な女性像へと移行していく過渡期を刻み取った一本と言えるでしょう。
『皇帝のいない八月』(1978)──国家と家族の間で揺れる、成熟した大人のヒロイン

(C)1978 松竹株式会社
4本目の『皇帝のいない八月』(1978)は、山本七平のベストセラー小説を映画化した社会派の大作です。
陸上自衛隊の戦車部隊の一部が、クーデターを目論んで首都へ向けて進軍する──という、政治サスペンス/パニック映画として語り継がれています。
クーデターの中心にいるのは、自衛官・江藤。
吉永が演じる藤崎杏子は、その江藤のかつての恋人であり、今は別の男性と結婚している女性です。
夫もまた自衛官であり、さらに杏子の父は政府側に近い立場の人物。杏子の存在を通して、「国家」と「家族」、そして「個人の感情」が複雑に絡み合っていきます。
ここでの吉永は、もはや“清純派ヒロイン”ではありません。

(C)1978 松竹株式会社
- かつての恋人が、国家転覆計画に身を投じているという事実
- その相手を未だに想いながら、別の男の妻として生きている現実
- 何も知らないまま事件に巻き込まれていく家族
その板挟みの中で、杏子は否応なく「決断」を迫られます。
感情をあからさまに爆発させるのではなく、押し殺した表情や、一瞬の沈黙、言葉にならない視線の揺れで、「自分の中にもどうしようもなく矛盾した感情がある」ことを示してみせる吉永の演技は、まさに円熟期のそれです。
タンクが市街地を走り、政治家や官僚、新聞記者たちが奔走するシーンの数々は、70年代の日本映画らしい骨太さがあります。
一方で、杏子のいる家庭のシーンは、驚くほど静かで小さな空間です。
そのコントラストによって、「国家レベルの事件」が、最終的には一人ひとりの生活と感情にどう突き刺さるのかが、痛いほど浮かび上がってきます。

(C)1978 松竹株式会社
この作品で、吉永小百合は「国民的スター」であると同時に、政治や社会の歪みの中に置かれた“ひとりの市民”を体現する存在になったと言えるでしょう。
(C)1978 松竹株式会社
4本から見えてくる、吉永小百合という「光」
『朝を呼ぶ口笛』のまだあどけない少女。
『風の慕情』で、戦争の影を追いかける若い女性。
『青春大全集 愛とは何か』の、恋と性と向き合いながら自分の意志を模索するヒロイン。
『皇帝のいない八月』で、国家と家族の間で引き裂かれる大人の女性。
4本を並べてみると、私たちはひとりの女優の成長だけでなく、
戦後日本そのものの変化をも目撃することになります。
- 貧しさの中でも、まっすぐに生きようとする庶民の姿
- 戦争の記憶が、海の向こうにも残し続けた傷
- 高度成長と共に揺れ始める価値観──恋愛、性、家族
- 安定したはずの社会の足元でうごめく、不安と分断
どの時代、どの状況においても、吉永小百合のキャラクターは「誰かの痛みを見てしまう側」に立っています。
決して特別なヒーローではなく、かといって完全な被害者でもない。
ただ、目の前の出来事から目をそらさず、自分なりのやり方で受け止め、何とか前へ進もうとする人たちの代表として、スクリーンに立ち続けてきました。
そのまなざしの優しさと、時に驚くほど強い意志。
それこそが、多くの観客が「吉永小百合の映画」に惹かれ続ける理由なのかもしれません。
今回挙げた4本は、決して代表作のすべてではありません。
けれど、デビューから円熟期へと至る流れの中で、吉永小百合という光がどのように変化し、どのように変わらずに輝き続けてきたのかを知るには、うってつけのラインナップです。
この機会に、1本でも気になる作品があれば、ぜひ手に取ってみてください。
きっとスクリーンの向こう側で、今も変わらない微笑みと、その奥にある強い眼差しが、静かにあなたを迎えてくれるはずです。
配信サービス一覧
『朝を呼ぶ口笛』
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『風の慕情』
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『青春大全集』
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『皇帝のいない八月』
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