昭和のテレビミステリーにおいて、「江戸川乱歩の美女シリーズ」は別格の存在だ。
艶美と怪奇、ロマンとサスペンス。
天知茂が明智小五郎に扮し、各回ごとに“美女”が物語の香りを決定づける。
なかでも1980年『魅せられた美女』、81年『白い乳房の美女』は、岡田奈々という女優の清新さがシリーズに柔らかな光を差し込んだ二編である。
ノスタルジーを纏いながら、いま観てもなお“面白い”。
その理由を、彼女の存在感を軸に丁寧に掘り下げたい。

(C)松竹株式会社
岡田奈々という“妹系の発明”
70年代後半、アイドルから女優へと歩み始めた岡田奈々は、当時のテレビが好んだ“妖艶な大人の美女像”とは対極にある。
大きな瞳、透明な声色、たおやかな所作。
彼女が画面に立つだけで、乱歩特有の陰影に無垢と哀愁が同居する。
結果、シリーズの温度が一段階下がり、恐怖も官能も“人肌の温度”へ引き戻されるのだ。
この“妹分の可憐さ”が、残酷な事件を運命論ではなく「守りたくなる物語」へと変える。
天知=明智のダンディズムと岡田の初々しさのコントラストは、昭和テレビならではの“説得力”を帯び、視線を最後まで釘付けにする。
『魅せられた美女』——涙のラストに宿るアイドルの矜持

(C)松竹株式会社
岡田が演じるのは、新人アイドル沖晴美。
プロダクションを巡る嫉妬と欲望に巻き込まれ、血の匂いのするスキャンダルの中心に投げ込まれる。
事件はハードだが、彼女の表情は一貫して“ひたむき”。
恐怖に揺れる瞬き、兄を思う涙、そしてステージに立つときの凛とした眼差し。
特筆すべきは終幕だ。
喪失の痛みを抱えながら、晴美は歌う——舞台装置の光が瞳の水面に反射し、ヒロインのプロ意識が物語をすっと結ぶ。
このラストは、昭和の歌番組の記憶とも響き合い、視聴体験を“ミステリー×音楽劇”へと広げてみせる。
衣装は時代の空気を取り込みつつも、肌の見せ方は節度がある。
シリーズに常につきまとうエロティシズムの濃度を、岡田は可憐さで中和し、別種の色香に転じるのだ。
さらに忘れがたいのが、天知茂の一人二役(明智と晴美の“支え手”を兼ねる発想)が生む心理的な陰影だ。
守られる存在の晴美に、観客は自然と肩入れし、同時に明智の所作の一つひとつが“紳士の作法”として胸に残る。
乱歩の猟奇趣味に、優しさの輪郭が引かれる瞬間である。
『白い乳房の美女』——バレエの白と、道化の黒

(C)松竹株式会社
一方の『白い乳房の美女』で彼女は、バレエ団に所属する野上愛子。
白基調の衣装、結い上げた髪、舞台袖の静けさ——バレリーナという設定は、岡田の線の細い美を最大限に引き出す。
物語は“地獄の道化師”を名乗る不気味な予告と連続殺人を軸に進む。
ピエロの指人形、石膏像、舞台装置——白い物質の冷たさが画面を支配するとき、愛子の涙と呼吸が生々しく立ち上がる。
彼女の演技は派手ではない。
だが、頬のこわばり、手の震え、微細な視線の泳ぎが、恐怖の温度を観客の皮膚まで伝えてくる。
姉・みや子(片桐夕子)の存在が放つ陰影の濃さも、結果的に愛子の“善良さ”を逆照射する。
明智が差し出すハンカチの一枚に宿る品格、肩に触れる手の重さ。
天知×岡田の関係性は、この回でより“保護”のニュアンスを強め、視聴者は「この子は必ず救われてほしい」と祈るように結末を待つことになる。
画面が教えてくれる“昭和のセンス”
両作に共通して目を奪うのは光と布の使い方だ。
スポットの縁、レースやシフォンの透け、ガラスや水面の反射——素材のきらめきが、岡田の肌理や瞳を一段引き上げる。
色数は決して多くない。だが、白・黒・赤(あるいは深い青)といった限定調の強度が、彼女の“清楚さ”を浮き彫りにする。
メイクは薄く、ヘアは柔らかい丸みを残す。
衣装は記号化を避け、シーンごとの心理に寄り添う。
結果、数十年を経ても古びない。
むしろ、ミニマル志向やクラシック回帰のいまの感性に寄り添い、「レトロでオシャレ」と見えるはずだ。
“いま観ても面白い”の正体
(1)視点の設計——無垢なヒロインに寄り添うカメラが、乱歩世界の残酷を“人ごと”でなく“当事者の震え”として伝える。
(2)リズム——事件の猟奇性と、ステージ/稽古/日常の緩急が、軽やかに運ぶ。
(3)俳優の相性——天知の粋と岡田の清らかさが、物語の温度をちょうど良いところへ着地させる。
(4)記憶装置としての美術——ピエロ人形、サングラス、髪飾り、石膏像…モチーフが鮮烈で、観終えても脳裏に残る。
その積み重ねが、「懐かしい」を超えて“現在にも有効な娯楽”を成立させる。
キャリアの流れの中で
岡田奈々は、アイドルとしての輝きと、女優としての実直さを両立させた稀有な存在だ。
のちの映画・ドラマのキャリアに先立ち、この二作で体得したのは“抑制の力”である。
泣き叫ばない、演技を大きくしない。
それでも画面の中心で観客の心拍を握り続ける——この重心の低さが、彼女の“清純”を記号ではなく具体的な演技術へと昇華させた。
どう観るか:再鑑賞のポイント
- 『魅せられた美女』は〈歌うヒロイン〉の美学。
最後のステージ、光の縁取り、髪飾りの煌めきに注目。明智の“紳士の距離感”も味わいどころ。 - 『白い乳房の美女』は〈白と恐怖〉の対位法。
稽古場の静、舞台の動、そして道化師の黒。岡田の微細な表情筋を追ってほしい。 - 両作とも小道具の象徴性が強い。
サングラス、指人形、石膏——物の手触りが物語る昭和のドラマ術を堪能したい。
結び——“可憐”は時代を超える
乱歩の世界は、ともすれば残酷の快楽に傾きがちだ。
だが岡田奈々がいると、物語は人の尊厳へ回帰する。
守りたい人がいる、だから探偵は走る。
昭和が遠くなったいま、これほど澄んだヒロイン像に出会えること自体が幸福だ。
『魅せられた美女』『白い乳房の美女』は、彼女の可憐さが作品の骨格を変えた稀有な例であり、ノスタルジーを通って現在へ届く娯楽として再確認しておきたい。
画面の端で、光が一瞬、瞳に跳ねる。
その瞬間だけで作品を見返す価値がある——そう言い切れる二編である。
配信サービス一覧
『江戸川乱歩の美女シリーズ 魅せられた美女 江戸川乱歩の「十字路」』
・U-NEXT
・Hulu
・Lemino
・Amazon Prime Video
・FOD
『江戸川乱歩の美女シリーズ 白い乳房の美女 江戸川乱歩の「地獄の道化師」』
・U-NEXT
・Hulu
・Lemino
・Amazon Prime Video
・FOD

