映画コラム

REGULAR

2016年05月01日

実は、神木隆之介くん版「テラ・フォーマーズ」だった、話題の映画「太陽」!人間にとっての真の幸福とは何か?

実は、神木隆之介くん版「テラ・フォーマーズ」だった、話題の映画「太陽」!人間にとっての真の幸福とは何か?


話題の映画「太陽」とは?


今や多くの映画ファンがその新作を待ち望んでいて、自身も観客との交流を積極的に行っている映画監督入江悠。

「今、会いに行ける映画監督」として、映画ファンの絶大な人気を誇る彼の待望の新作、それがこの「太陽」だ。

2011年に劇団イキウメによって上演された舞台劇「太陽」を原作とするこの映画は、見る人によって様々な解釈が出来る、まさに「万華鏡」のような作品だと言える。ウィルス感染により多くの人類が死滅した世界で、ウィルスに対する免疫を得た代わりに太陽の下では生きられなくなった新人類「ノックス」と、ウィルスに感染していない旧人類「キュリオ」。同じ人類でありながら昼と夜に分断されて生活することを余儀なくされた人々のドラマを通じて、我々観客は人間の真の幸福とは何かを考えさせられることになる。

舞台と違って、映像で見せなければいけない映画の場合、まずそのロケーション探しが重要なポイントとなるのだが、本作でも、10年間経済封鎖されていたという設定の村探しには、かなりの苦労があったとのこと。その甲斐あってか、まさにイメージ通りのロケーションの中で展開される濃密な人間ドラマは、観客に抜群のリアリティをもって迫ってくる。

そして本作の最大の魅力、それは演技力と存在感に溢れた若手俳優陣のキャスティングにあると言えるだろう。特にキュリオである主人公の鉄彦を演じる神木隆之介くんが、前述したイメージ通りの背景の中に立っているだけで、何かもう胸にこみあげるものがある。

その他にも、今注目の若手男優の古川雄輝が、ノックスでありながら主人公と友人となる森繁を見事に演じ、同じく若手女優の中でも演技派で知られる門脇麦が、キュリオからノックスへと生まれ変わるヒロインの結を演じている。

更に、古舘寛治や中村優子などの実力派俳優陣が脇を固めることで、よりこの作品に厚みを加えることに成功している。

太陽 神木隆之介 門脇麦


(C)2015「太陽」製作委員会



映画「太陽」と小説版「太陽」の違い


「太陽」は、言うならば「弱さ」についての映画だ。

ウィルスの抗体を得て超人化したノックスに対して、旧人類であるキュリオはあまりに弱い存在。そう、ノックスこそは、自身の肉体的・精神的弱さから完全に開放された人間の姿だと言える。この部分において小説版が素晴らしいのは、ノックスたちがキュリオの弱さを認め、密かに彼らに憧れを抱いている点が描かれていることだ。

ノックスたちは能力的に遥かに優れた存在でありながら、キュリオたちの持つ、既に自分達が失ってしまった人間的弱さに憧れ、また絶滅に向かうキュリオたちを保護しようともしている。そこが描かれているからこそ、森繁と鉄彦が友達になって二人で旅に出るという展開に特別な意味が生まれるのだ。特に小説版が描いたこの部分は、映画版に比べて遥かに前向きで明るい希望をもたらす事に成功している。

しかし、映画版においてはノックス側の生活はあまり描かれず、単に優れた支配層としての存在として描かれており、主にキュリオ側の生活と物語が中心に描かれている。

本編中に、ノックスのいない理想郷として語られていた四国が、実はキュリオ同士による争いや暴動で破綻しており、その様子をノックスたちが、生中継で日常的にテレビで観ているという映画独自の描写があるのだが、実はここが映画版においての大きな問題点だと言える。キュリオの暴力性・野蛮な行為を日常的に観ているノックスが、キュリオと友達になろうと考えるとは到底想像できないからだ。

こうした描写でノックスとキュリオとの深い溝が描かれてしまった映画版では、二人が友人になるためのハードルが格段に上がってしまっているのだが、残念ながらそのハードルを越えて観客を納得させるだけの、鉄彦と森繁の間に友情が生まれるまでの過程が、映画版には明らかに不足しているのだと言わざるをえない。そのため、本来二人の友情をためす「ある決断」シーンまでもが、非常に唐突で説得力の無いなものに感じられてしまったのは、個人的にかなり残念だった。

ここで小説と映画の明暗を分けたのが、初対面で鉄彦が森繁にプレゼントする品物の違いだ。

映画版では、太陽が苦手なノックス用に作った手作りのマスク(鉄仮面?)を、初対面の森繁にプレゼントする鉄彦。しかし、マスクの不完全さを指摘され、度々作り直す事になる。これでは、森繁の方が優位なままであり、この二人に対等な友情が芽生えるとはとても思えない。

残念ながら、この部分の処理は映画版よりも小説版の方が数段優れている。小説では鉄彦が森繁にプレゼントするのが、自分が栽培したオリジナルのブレンドの紅茶なのだ。

小説版では、ノックスが紅茶を好むとの設定がなされており、そのために経済封鎖された後でも、紅茶の取引などにより鉄彦たちの村の生活が成り立っていたと説明されている。

ここで重要なのは、鉄彦がノックスの好みを知っているという点。そう、小説版においては映画版よりもはるかに情報の共有によるコミュニケーションがなされているのだ。
更に、もらった紅茶を間違えた入れ方で飲んでしまった森繁に、鉄彦が正しい淹れ方を教えるという描写が続く。

ここにおいて本来劣っている存在であるキュリオ側が、優勢人類であるはずのノックスに知識を与えるという「逆転現象」が発生する。ここで、二人の立場は逆転・対等となるので、後に森繁が鉄彦を友人と認める展開に説得力が増すし、読者も納得できるのだ。

太陽 入江悠監督


(C)2015「太陽」製作委員会



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