映画コラム

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2016年11月05日

チケット完売の大人気!話題沸騰中の短篇映画「堕ちる」とは?

チケット完売の大人気!話題沸騰中の短篇映画「堕ちる」とは?


「アイドル」という単語に惑わされず、その本質を観て欲しい!


本作を観ての第一印象は、「あ、これって、内容的にはタクシードライバーじゃないか」ということ。
上映後、村山監督にこの感想を伝えたところ、実は監督も「タクシードライバー」は好きな映画だとの答えが。

なぜこれを書いたかというと、どうやら「アイドルにハマる初老の男」という設定だけで、「あ、私絶対ムリ!」との偏見や先入観を持つ女性観客が多いと、トークゲストのジェーン・スーさんがお話されていたからだ。

断っておくが、本作は決して一部のマニア受けを狙った作品では無く、その本質は極めて万人の共感を呼ぶものとなっている。
例えば、本作のストーリーを要約してみると、実は次の様になる。

単調で平凡な毎日の繰り返しの中で夢を忘れ、閉塞感の中で生きている一人の男。
突然現れた自分とは別世界の女性により、自分の力ではそこから抜け出せなかった場所から、外の別世界へと導き出される。そこで仲間を得て、女性のために自分の中に眠っていた可能性を目覚めさせ、彼女を成功へと導くが、それは同時に彼女を失うことも意味していた。しかし、人のために行動し自分の内なる能力に目覚めた彼は、もう今までの「迷える弱い存在」ではなく、一人前の男として生まれ変わっていた。

はい、これは正に、「スターウォーズ・エピソード㈿新たなる希望」そのものではないか!(あくまでも個人の感想です、念のため)

どうしても「アイドル」という言葉を使うと、一種の先入観とネガティブなイメージが付くのは仕方が無いとは思うが、どうかその様な先入観や固定観念に囚われず、本作の真の姿を読み取って頂ければと、願って止まない。

きっと見る人によって、様々な映画の影響を感じ取ることが出来るに違いないからだ。

俺たちが待ち望んだ、これこそ真の意味での男性映画!


今まで女性映画の名作・話題作は、それこそ数多く存在した。例えば「プリティウーマン」であったり、「ブリジットジョーンズの日記」やテレビドラマ「SATC」などなど。

しかし、映画の出来は別にして、正直どれも男にとっては完全には理解や共感出来ないものばかり。良くある「ブロマンス映画」もいいが、どこかに男性映画というものは無いのだろうか?そんな中で登場した本作に、世の男性が喰いついたというのが、この反響の凄さの原因なのではないだろうか?

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一定年齢を超えた社会人の男にとって仕事に打ち込むのは当たり前のこと。そう、確かにそれこそが正しい姿には違いない。
しかし、この映画は、「男の人生はそれだけじゃない、仕事以外の趣味にハマるのは決して変じゃない、むしろ、そのムダに思える経験と情熱が、自身の人生の新たな次元へと導いてくれるんだよ」と、教えてくれる。
そう、我々迷える男たちの背中を、力強く押してくれるのだ!

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特に本作で素晴らしかったのが、今まで機械を相手に織物を作るだけの毎日だった耕平が、いつも同じTシャツを衣装として着ている、めめたんのために、自分で手作りのステージ衣装を作ってプレゼントしようとする展開だ!

ここで耕平は本屋で参考になりそうな本を何冊も買い込み、独学でステージ衣装のデザインを勉強し始める。

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これは、毎日決められた仕事を行うだけだった彼が、初めて自分の意思で自身の目標に向けて努力する瞬間であり、大切な誰かのために行動するという、広い意味での「愛」に目覚める瞬間でもある。

最終的にこの体験と努力こそが、主人公に新たな未来をもたらしてくれるのだが、例えるなら映画「ロッキー」での、トレーニングシーンからの階段駆け上がりに匹敵する名シーンだと言えるだろう。

主人公がラストに発するセリフ、それは生まれ変わった男の産声だ!


前ページで述べた通り、本作の主人公である耕平は、本編中で一切セリフを話さない。
いや、正確にはラストのある重要な展開で、これも重要な「ある言葉」を3回だけ発するのだが、実はこの作品の中で、アイドル=母性・女神として捉えると、実に重要で深い意味を持ってくることに気が付いた。

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例えば、主人公が「めめたん」に魅了される描写。床屋で頭を洗う際に顔にタオルを掛けられ、間違っていきなりタオルを外されて顔を見られた瞬間に、主人公は彼女に心を奪われてしまうのだ。

堕ちる12



これはこの場面の撮り方からして、赤ん坊がこの世に生まれてくる瞬間のメタファーであり、そこで眼にする女性の顔こそ母親に他ならない。産まれて初めて見る物=母親という、動物の本能としての「刷り込み現象」と考えれば、主人公がかなり年齢の離れたヒロインに魅せられる展開も、非常に納得出来るのではないだろうか。

そう考えれば、ラストで主人公が慟哭の中で搾り出す様に発する「ある言葉」こそ、この世に生まれ出た赤子が発する「産声」であり、正にそれは母親の名前を呼び続ける赤子の姿だと言える。このシーン、どん底まで「堕ちた」情けない男の姿を描いた様に見えるが、実は過去の自分に別れを告げて一人前の男に生まれ変わった男の姿を描いた名シーンであり、村山和也監督の確かな演出力が無ければ成立しなかったに違いない。
ここからラストの衝撃の展開までの畳み掛けは、是非上映会で!。

最後に


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実は、この慟哭シーンはOPタイトルにも使用されており、、ラストの展開とのギャップを際立たせる上で最大限の効果を上げている。
本作における衝撃のラストシーン、これは見る人によって賛否両論あると思うのだが、自分が鑑賞した回のトークゲストのジェーン・スーさんが言った言葉が、個人的に非常に的を射ていると思ったので、ここで紹介しておこう。

「まさか、ここに堕ちるとは思わなかった。主人公にはここから本当の地獄が待っている」

正直、自分はこれ以上ない位の理想的なハッピーエンドだと思ったのだが、実際にアイドルのプロデュースもされていたスーさんのこの言葉!うーん、確かに現実的に考えるとそうかも?

やっぱり、我々男はロマンチストで夢を追いかける生き物なのだろうか?

果たして、耕平は最終的に何を手に入れ何を失ったのか?是非とも今後行われるであろう上映会に足を運んで頂いて、ご自分の眼で目撃して頂ければと思う。今はただ、この傑作が少しでも多くの観客の眼に止まる日が来ることを、願って止まない。

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(文:滝口アキラ)

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