浅草に平成中村座が帰ってきやす♪「したまちコメディ映画祭」シネマ歌舞伎『法界坊』上映を記念して中村扇雀さんがご登壇!
『したまちコメディ映画祭』略して“したコメ”総合プロデューサーを務める いとうせいこう さんの、かねてより「浅草とのゆかりが深い歌舞伎を、いつか映画祭で!」という強い思いから実現した今回のシネマ歌舞伎『法界坊』上映。
この日はなんと「平成中村座」当時のお茶子さん達も“当時の衣装”のままにお手伝いに駆けつけて頂き、帰ってきた「平成中村座」そのままに、たくさんのお客様にシネマ歌舞伎『法界坊』をお楽しみ頂きました♪
上映前に行われたトークショーには、スペシャル・ゲストとして浅草観光連盟の冨士滋美 会長、そして『法界坊』では永楽屋娘お組 役としてご出演されている中村扇雀さんがご登壇。
扇雀さんは貴重なお休みに常夏のハワイを満喫されたそうで「まっ黒でスイマセン♪」と、第一声からさっそく会場の皆さまから大きな笑いを頂き、和やかな雰囲気でトークショーがスタートいたしました。
このシネマ歌舞伎『法界坊』が収録されたのは、初めて二ヶ月連続での公演が行われた2008年 浅草寺境内平成中村座での上演。公演に先駆けて行われたパレードでは「勘三郎さんがパレードの先頭にたって、法界坊の坊主姿のまま浅草を練り歩いたんです。勘三郎さん本人だとは気づかない方も多くて、そのままお布施をもらっちゃったりして…」と、扇雀さんが当時の懐かしいエピソードを披露。
これには冨士会長も「ご本人も気付かれなくて「寂しかった」って仰ってましたよ(笑)」と懐かしんでいらっしゃいました。
富士会長からは、浅草の平成中村座のテントが建てられた場所には「江戸歌舞伎創始者である猿若勘三郎(初代中村勘三郎)が中村座を移転した際に池を埋め立てた土地の“土”が使われていたんです」という、貴重なエピソードもお話頂きました。
これは後々調べてから判明したそうで、扇雀さんも「その場所を選んだというのは、やはり勘三郎 兄さんの先祖の導きがあったんでしょうね…」とシミジミ。
時には客席のお客さまも巻き込んで、笑いたっぷりのユーモラスな掛け合いが楽しめる演目『法界坊』。
ニューヨーク公演で『法界坊』が上演された際には、なんと他の役者さんが通常通り日本語のセリフで演じる中「法界坊のセリフだけ、全て“英語”で演じたんです。勘三郎さんは、ブロードウェイの役者さんにいわゆる“スラング”を訳してもらって、それを徹底的に覚えて公演に挑んでいました。」と扇雀さん。
「(日本での公演と同様に)お客さんに話しかけたい!という思いから、どんな会話になっても答えられるようにニューヨーク近郊の様々な情報を頭に全て叩き込んで、本物のニューヨーカーのように会話できるようにして初日に挑んだんですが…」
「最初に『Where are you from?』って話しかけたお客様がヨーロッパの方(笑)これには勘三郎さんも『oh!my god…』としか言えなくなって。助けを求めるようにコチラを見るんだけど、僕らも知らないふりしました(笑)!」と、今だから明かせる驚きのハプニングがあったそうです。
「平成中村座」立ち上げにも関わり『法界坊』を演出された演出家 串田和美氏は「歌舞伎とは真逆の、いわゆる“反・伝統”な方」。串田氏は、笑いたっぷりのコメディでありながら、悪行を重ねるうちに実は罪悪感のないままその行為に溺れていく法界坊の“狂気”を掘り下げて描き「僕たち(歌舞伎役者)が知っている「法界坊」ではなくなっていたんです。」と扇雀さんも明かすように“本当は恐い”『法界坊』を、作品を細部まで鑑賞できる「シネマ歌舞伎」でじっくり味わって頂ければと思います!
「平成中村座」の舞台を「演じている役者もどんどん舞台に引き込まれていきます。お客さまからも沢山の拍手や声援を頂けるものですから…なんか上手くなった気になる(笑)平成中村座に出演して千秋楽を迎えると、自分も一つランクアップした気持ちになるんです」と、特別な想いで語られた扇雀さん。
「他の劇場では味わえない、今できる“最高のエンターテイメント”をお見せする。それが平成中村座 一番の目的」との扇雀さんの言葉には、会場の皆さまからも大きなご賛同を頂きました!
笑いたっぷりのユーモラスな掛け合いから歌舞伎の様式美まで、歌舞伎の世界を存分にお楽しみいただけるシネマ歌舞伎『法界坊』は、いよいよ10月18日(土)より月イチ歌舞伎として全国劇場にて上映!
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